カテゴリー「食と農」の記事

2013年6月 6日 (木)

安倍政権/成長戦略を正式発表 個々の戦略に思う(農業編)

今月5日、安倍晋三首相は、日本の長期的成長を達成するための成長戦略を発表した。日本再生のための「3本目の矢」と位置付けた重要な戦略である。

その内容は多岐にわたり、様々な戦略の分析、構築がなされたものと推察される。日本を必ず再生させるのだという挑戦的意欲を大きく評価したいと思う。
それと共に、目的達成のために重要となってくる個々の政策についての評価については別物である。特に気になった点について私見を述べておきたい。

発表の中で安倍首相は「民間の創造的な活動を鼓舞し、国境を超えたあらゆるイノベーションを日本の中で起こす」と述べ、「国家戦略特区」「国民総所得150万円増」などの言葉が並んだ。
そしてとくに重視されていたのが、「民間活力の爆発」のキーワードである。
具体的な産業事業として、医薬品のネット販売、医療、交通インフラと並んで、民間の重要産業の一つとして農業が明示されている。

農業についての政府の認識として「変革が遅れる農業」と位置づけられていることは明白だ。その当然の帰結として「国際競争力」をつけることが成功の要因とされている。

しかし果たして、そうなのだろうか。
私は、農業分野の事業展開を推進してきた立場の一人として異論を唱えたい。

いま、日本の農林漁業は大きな転換点を迎えている。
地方に住む住民の高齢化による限界集落の維持問題、第一次産業の後継者問題、雇用の急激な減少、少子化問題...。こうした様々な要因が相互に絡み合い、社会そのものの綻びが地方村落から大きくなりつつあると言われている。
さらにそれらの要因の奥底には、有史以来変遷を続けてきた人間の生活スタイルの流動性があるのだろう。

人間は同じ場所で、同じ生活文化を半永久的に維持発展し続けるという習性にはない。
その時代時代において、住む場所も、生活のスタイルも、食の確保方法も、大きく変化をし続けてきた。そのことによって地球上の覇者としての地位を確保したとも言えるかもしれない。

個人の所得をはじめとする経済格差は、住民の生活を直撃しており、都市生活者との文化的生活水準には大きな格差となって現れ、日本社会全体のゆがみとなっている。

国民の多くが都市部に住む日本人にとって、農林漁業を共有問題とする意識がほとんどないのが現実だ。
山村の現実を我が問題として解決方法を模索し、苦悩しているのは、結局は山村地域に住む人たちだけである。

「それでいいじゃないか」という声も、聞く。
長年、山村再生に取り組んできた諸団体のメンバーですら、閉鎖的な体質を払拭しようともしない。山村地域の人たちとの協働を訴えるが、企業・都市側には自分たちの縁故だけでやっていて、大きく広げようとしないのが、現在の山村再生事業の実態である。
その意味では、限られた人達だけの特権化、既得権を守るような閉鎖的領域となりはじめている。儲け話の『山村再生ビジネス』はその典型である。
日本の将来にとって、極めて、危険な状況に追い込まれている。

こうした危機感を訴えてから約10年の年月が経過した。
近年「里山」再生が重要な課題としてクローズアップされている。
折しも経済再生を訴える安倍政権が「国際競争力をつけることによって農業を再生する」と訴えている。
今の日本の農業政策は、集落営農(農業経営の大規模化)と6次産業化の2本柱によって国際競争力をつけるという方向に突き進もうとしている。

しかしその方向性は、誤っていないのだろうか?
敢えて問いたい。
農業に国際競争力の概念は必要なのだろうか。
そもそも農業とは、地球規模で差別化を競う産業なのだろうか。

それぞれの地域には、その地域特有の強さがある。
他の地域での事例や理論を参考にしつつも、地域の差異を活かす生活を構築できる。
そのために重要な視点は、従来にない発想、異種の経験を、先入観を排除して活かす取り組みが重要になる。そして、その地域が持っている潜在力、「地域力」とも呼べるものを生活にダイレクトに有効活用することが、いま求められている。
そこに、これからの地域再生のポイントがある。
農業は、産業としての一側面だけで取り組んでも、よい結果には到達しない。
私は、そのように思うのである。

現実の話として、都市部と比べると、山村地域の物価は安い。
特に、家賃等をはじめとする住生活関連、そして農漁業産物を中心とした食生活に関わるコストは、農漁山村地域に圧倒的な優位性がある。平たく言えば断然「住みやすい」のである。
雇用確保や収益を確保できる事業展開ができれば、少ない収入であっても経済的にも充分に豊かな生活を送ることができる。
現実には環境整備も必要だ。それは収益事業及び雇用の確保(生活費の確保)、住居の確保、教育・文化的生活の確保である。
その根本的要素は「人」の問題である。

更に国際競争となれば、ポストハーベストの課題、フードマイレージの視点からの悪影響も懸念される。
農産物の地球的拡散による種の混交の問題も、どのような影響があるのか未知数である。
大きな問題として認識されていないが、F1種を使い続けることへの警鐘も鳴らされている。

農業を取り巻く課題は、農業だけにとどまらない。
自然環境の回復、保水力をはじめとした自然災害への対応力、野生動物や小生物との共生など、どれも重要な課題と深くリンクしている。

「農業経営の大規模化」についての疑念は、以前から何度も提起してきた。
そもそも大規模化すれば根本的な改善になるのか。
大企業にならなければ中小零細企業はつぶれてしまうか?と置き替えて考えてみれば誰にもわかることだ。大規模化するかどうかは、真の対策ではないのだ。
加えて、日本の中で相当な大規模化を行ったとしても、アメリカ大陸で行なっている大規模農業は桁違いにスケールが大きい。いくら日本国政府あげて大規模化を推進しても、国際的に見れば大した規模にはならないのだ。
そんなことは少し調べれば、誰にでもわかる事実だ。
しかし、農水省は相も変わらず、大規模化に突き進んでいる。
誰もとめることができないのが、日本の農業政策の実態なのだ。

いま求められている喫緊の課題は何か。
農業従事者と消費者、それそれの意識改革であると訴えたい。
批判もあると思うが、あえていずれが重要かと言えば、重視すべきは消費者の意識改革であると主張する。
食の安全に関する諸課題を我が事として受け止めて問題解決に取り組む決意があるのか。
その決意があれば、地産地消などの消費行動に出るのは必然の結果とも言えないだろうか。
そうした消費市場が日本人の生活の中で熟成されることで、はじめて持続可能な農業経営が成り立つ。
その視点を明確にすれば、たとえば休耕地の有効活用も、生産者の生活支援の側面と共に、消費者と生産者の溝を埋める方向に進める道が見えてくる。
それが遠回りのように見えて、最も堅実な王道であると私は思う。

私達は今年の秋をめどに、新たな活動を広げることを模索している。
奥山から始まり、里山、人里、都市部へと繋がり、里海までの一気通貫したフィールドでの取り組みである。
従来から生活を行なってきた先人達の智恵と哲学に学び、2世代、3世代先の子孫に受け継いでいける日本を創る。
それが私達が目指す農業と里山再生の取り組みである。

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2011年4月 9日 (土)

体験農園 第5回目

第5回目の今週は
(1)トウモロコシの種蒔き
(2)枝豆の種蒔き
(3)生姜の植え付け
(4)落花生の準備(マルチ敷き)
を行いました。

ひとつひとつの作業は初めてのことばかりですが、かなり要領、感覚がつかめるようになってきました(自分なりに...ですが^^;)。
今日も娘と二人でスタート。途中で妻が来ました。

来週はお休みで次は2週間後です(^^)/bud

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2011年4月 2日 (土)

体験農園 第4日目

今週で4回目になりました。

今週の農作業は...
(1)トウモロコシの準備(マルチ敷き)
(2)枝豆の準備(マルチ敷き)
(3)コールラビーの植え付け
(4)サニーレタス・サンチュの植え付け です。

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2010年10月 4日 (月)

群馬県片品村 第3回目訪問

10月2日(土)に片品村を訪問してきました。
今回で3回目。今回はホタルの自然孵化を実現させるための候補地の決定と水質検査、ホタルのえさとなるカワニナの放流が主な目的である。
水質検査等で選んだ2ケ所の場所に約30kgのカワニナをまく。
ホタルの幼虫が上陸するための苔も貼る。
初めての経験で勉強になった。

そのほか沼田市にあるホタル公園、吹き割の滝、古民家、休耕田、鱒養殖場なども見て回り、忙しいスケジュールでの訪問となった。
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2010年9月20日 (月)

稲刈り体験

9月20日(月)。今日は敬老の日で祝祭日。
親子三人で稲刈り体験に参加した。
朝7時30分に駅近くの集合場所から貸し切りバスに乗車して出発。
バスに乗り込む地点は全部で3ケ所。
外環と常磐道を経由して茨城県の農家のある地域に向かった。
私達家族は春の田植え体験を経験した友人家族に誘われての参加で今回初めて。参加者は50数名だっただろうか。
貴重な体験でした。
ただプロジェクト全体のマネジメントはいただけない。
参加費をとる企画である以上は最低限の運営は求められてしかるべきである。
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2010年8月 9日 (月)

片品村 訪問

8月3~4日で群馬県片品村に行ってきました。
今回の主な目的はNPO法人設立の意向と地元関係者との懇談、NPO設立後の事業展開の候補地の視察です。
初日にトマト栽培を続けてきた農家の方のお宅を訪問。
自宅にあげさせていただいて、もぎたてのトマトをいただきながら片品でのトマト栽培の歴史、御苦労話、現在のトレンド等をお聞きしました。
昼食は民宿「みやま」で。ここの手料理の食事は前回訪問に続いて2回目。本当においしいです。
その後村内を視察して夕刻に村役場に。担当課長、村長と種々意見交換をして逗留宿の民宿「千明山荘」へ。民宿所通のグランドや周辺の畑や雑木林を散策したあと、夜更けるまで貴重な懇談の機会をもつことができました。

今回の訪村目的のひとつである事業展開の候補地の視察。
まだまだ人間関係作りがこれから...という段階ですが後世に残し続けたいと思う自然と人間との共生の空間が広がる地域です。
そうした地域というのは経済的には過酷な場合も多々あり、片品村が例外というわけでもありません。
次回訪問時はNPO法人設立申請後になると思います。
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2009年3月13日 (金)

青森リンゴが大量廃棄の危機 発想転換の救済に乗り出せ

Images014 メディアで青森りんごの大量廃棄の危機が報じられている。
青森リンゴ 大量廃棄の危機 霜被害で加工処理追いつかず(毎日新聞)

昨年春以降の霜とひょうによる被害は過去最悪レベルになるとのこと。
地元では様々な対策を講じてきてもいる。
被害リンゴ:霜やひょうで大打撃…高品質ジュース販売や宅配業者社員に販売/青森 - 毎日新聞(2008年10月1日)
悲鳴!青森リンゴ加工業者 処理量7年ぶり10万トン超も - iza(1月23日)
キズがあってもいいじゃない…ひょう害りんご消費拡大へあの手この手 - 産経新聞(2008年11月16日)

しかし状況は芳しくなく、大量廃棄が検討されるに至っている。
報道によると、地元団体が傷つきリンゴのジュースを開発。しかし、原因は記載されていないが傷のないリンゴの需要も落ち込み、価格は前年比8割にダウン。価格下落を防ぐため、生食リンゴの出荷を制限したため制限した生食用りんごが加工用に回されるという悪循環を招いたという。2月末現在、青森県下の農家の在庫は約33万箱(1箱20キロ)になっている。その多くは廃棄に回る危機に遭遇している。
しかもジュース用の買取り価格は一箱50円とも。箱代にもならない、とんでもない価格だ。
なぜこんな状態になってしまっているのか。

あえて言いたい。
地元関係者や地元出身の企業経営者に、このピンチを救える者が誰もいないのか。
本当に手も足も出せない、どうしようもない状況なのか。
ビジネスで磨き上げてきた経営者感覚で、日本全国に名だたるブランド青森リンゴを支えてきた生産農家の窮状を救え!と訴えたい。

一箱50円という破綻状態。
県下の全在庫33万箱で1650万円にしかならない。青森リンゴ、というかりんごそのものの栄養価値だけだってそんなわけない。
10倍の買取り値にして1億6500万円。事業規模5億円の投下で採算可能な事業展開が検討できないものか。
ポイントは、どのような視点で商品化を行ない、販売流通ルートを選択し、最終的に誰に買ってもらうかだ。

商品化と販売による需要と雇用の創出にも期待が生まれはしないか。
青森県をはじめ、地元自治体も指をくわえている場合ではない。
政府与党が発表し今国会で可決された75兆円の経済対策の一部を財源にするアイデアだってあるだろう。その中の5億円程度なら、わずか0.007%だ。
※計算間違ってないよね?あまりも小さい割合なので小数点の位置が違うのかな?と不安になるほどだ(^_^;)
青森県は堂々と生産農家のために補正予算から財源を確保せよと強く訴えたい。

青森県関係者よ。
今こそ智慧を発揮し、わが故郷のピンチをチャンスに転換せよ!
それが成せるのも、地元に密着して生きてきた、庶民のなせる業である。
見事なる境涯革命に心からエールを送りたい。

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2008年10月10日 (金)

マンナンライフこんにゃくゼリー製造中止 に一言。

こんにゃくゼリー製造最大手のマンナンライフは今月7日、7月に1歳の男児が窒息死した同社商品・ミニカップ入りこんにゃくゼリー「蒟蒻(こんにゃく)畑」の製造中止を決め、卸売各社に通知した旨が報道されている。

この措置の理由としてマンナンライフは「警告マークを大きくするなど行政(農林水産省)に要請された改善策に応じられないため」としている。また「商品が危険だから製造中止にするわけではない」ということで自主回収はしないのコメントも報じられている。

個人のブログ等をみてみると農林水産省の指導に対して概ね批判的、マンナンライフに同情的、自己責任がとれない消費者の身勝手というような意見が主流のようなので、一言書いておきたいと思う。
私個人の意見としては、農林水産省の指導も、マンナンライフの措置も妥当であったと感じている。これは2007年5月に死亡事故が公表された際に当ブログでも指摘してきた通りである。
→《こんにゃくゼリーで窒息死の報道にどう対応?(2007/5/23付ブログ)

あらかじめ断っておきたいが、「消費者の自己責任がない、責任は全て製造者側にあるんだ」と言っているわけではない。
とかく自論に固執した人は、どんな文章を読んでも一定のバイアスがかかり、歪んだフィルターを通して読んでしまう。自身の考えと合致しないと激しく攻撃的になる。
匿名のブログや投稿では、特にその傾向が著しい。

確かに今回のマンナンライフ社の姿勢には少なからずの不満もある。
最初の事故からは相当の時間が経過しており、遅きに逸した感が否めない。
同社コメントからは「本意ではないが行政のせいで製造中止する」「我々メーカーや商品自体に何の問題があるのか」という不承不承対応したという姿勢が明白だ。だから事故になった当該商品一品のみしか製造中止にしないのだろう。本当に納得しないのなら対応しなければいい。「弱みを見せたくない、自社の強気の姿勢を崩したくないが、今後何かあったら面倒だ」としたらこんな対応になるだろうというような勘ぐりも出てくる。
死亡した遺族の方々は、激しい怒りを感じているに違いない。
食品製造に関わる者の一人として、経営者として、もっと誇りを持って潔くあってほしいと思う。

確かに製造中止すればそれでいいのかという問題もある。
子供が喉に詰まらせないのは保護者の責任だというもっともらしい意見も多い。
しかしこんにゃくゼリーは、元々存在する食品形態ではない。
こんにゃくメーカーが自社が取り扱う原材料を使った新商品が開発できないかと考えて、市場に出してきた独自商品である。
また、死亡事故で亡くなったのは子供だけではない。高齢者もこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて死んでいる。
これは自己責任だと言って片付けてしまって良い問題だろうか。

他のブログ等での発言を見ていて気になるのは、どうも一面的にしか物事を見ない人が増えているのではという危惧だ。
たとえば「喉に詰まらせて死亡している食品は他にもあるのに『こんにゃくゼリー』だけが危険視されている」という論調がある。例として取り上げている食品が「もち」である共通点があり、だれか最初に記述したコメントに多くの人が同調したのかもしれない。
確かに餅を食べて死亡する人も後を絶たない。その意味では餅製造業者への喚起を促す必要があるかもしれない。
しかし、大きく異なる点がある。
それはこんにゃくゼリーには、類似した大きなゼリーという商品市場があることだ。こんにゃくゼリーはこのゼリー市場の一部ともいえる。この元々の「ゼリー」の食べ方として、あまり噛まないで呑み込むシーンが多くあるという状況が事故を生む背景なのだ。言い換えれば、飲み込んで食べる「ゼリー」のカテゴリでなければこのような事故は起きていないともいえる。
元々存在する「ゼリー」と同じような食べ方をして死亡するという悲劇が生まれているという状況を正確に認識しなければならない。事実、私の家族も普通のゼリーだと思って「こんにゃくゼリー」を買ってきたことがある。こんにゃくゼリーを呑み込んで食べると子供だけではなく大人も窒息する危険があるということを知らない人も多い。
そして、問題なのはこんにゃくゼリーを一度喉に詰まってしまうと水を飲んだり、逆さにしても排出しにくいという点も挙がられている。
事件の記憶は簡単に風化する。何らかの形で商品購入時の注意喚起を行なうべきという指摘にはそれなりの妥当性があるのではないか。
もちを喉に詰まらせるのとは状況が明らかに違うことをよく理解すべきだろう。

厚生労働省は「製造を中止しろ」と要請しているのではない。
一般の「ゼリー」と違って、「こんにゃくゼリーは噛まないで呑み込むと喉に詰まらせて死亡する危険がある」ということをもっと購入しようとする一般消費者にわかるように告知してほしいという趣旨である。
他のブログ等での発言ではこの点を勘違いしている者さえいる。

製造者の立場としてすべきことは
①消費者に「正しい食べ方をしないと死亡に至る危険がある」ことをはっきりとわかる形で告知する
②消費者がメーカー側が想定していない食べ方をしても危険が発生しないように商品を改良する
という処置を講じる必要があると私は感じている。
マンナンライフと事件にあった購入者のどちらに責任があるのか、というような問題ではないと私は思う。
それぞれがそれぞれの立場でよりよき関係を目指して努力すべきではないか。確かに「行なう必要はない」という意見もあるだろう。それはそれとして一つの意見だ。だから厚生労働省も強制力のない「要請」というお願いで留めているのだと思う。

私も食品製造販売に関わる者の一人として自戒を込めて申し上げたい。
食に関わるということは、生死に関わることだ。
製造者自身の目の前で、目の届く限られた範囲で食べていただける環境なら、まだいい。
しかし流通にのせて、より多くの消費者の皆様に食べていただくということは、予測不可能な事態が発生するという事業選択を行なったということだ。
そうした不測の事態が発生した時には、その当事者として被害を被った消費者の立場に立って、最善の措置を、迅速に、最大限の誠意をもって対処するしかない。

それができないのであれば、小さく、目の届く範囲で商売することだ。
マンナンライフの今回の対応は、昨今の食の安全の問題と同根である。
今回の対処についても、厚生労働省やマンナンライフが「事故を起こした消費者の自己責任である」という発言をしたとしたら、それはそれで大きな問題になっているだろう。
多くの人達の利害が絡み、関係する人の立場が複雑になっている現代においては、大多数の賛同を得る対応が見つからないことも多くなってきている。
どのような処置、態度をとっても賛否は激しく巻き起こるだろう。
私たち庶民は賢明な目で、物事の本質を見抜いていくことが求められている。

【関連リンク】
国民生活センター
<こんにゃくゼリー>マンナンライフが製造中止(yahoo!毎日新聞ニュース)
こんにゃくゼリーで窒息死の報道にどう対応?(2007/5/23付ブログ)

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2008年9月17日 (水)

政府が事故米流通先を公表 人の生命の基底がみえてくる瞬間

三笠フーズの摘発によって実態が明らかになってきた事故米穀(汚染米)不正転売問題に関して、農林水産省の調査を元に政府は今月16日、新たに外食産業を含む375の流通先を公表した。
汚染米の流通先一覧(政府発表)はこちら

東京、千葉から西の日本列島の半分以上に広がる汚染拡大に、多くの人は驚きを隠せないに違いない。しかし長年にわたって、ある意味で米業界内では「あっても決して不思議ではない」黙認行為だったのではないだろうか。
何段階もの転売を重ねる米売買によって、トレーサビリティは全く判らなくなってしまう。しかしその転売によって決して少なくない業者の利益を生んでいた。
日本の農業、米の悲劇はこんなところにあるのだ。

政府による流通先公表という行為に対しての様々な反応には思いを複雑にせざるを得ない。今回の公表は必要であったという国民世論が大勢を占めるだろう。その一方で「事故米だと知らなかった善意の第三者である末端業者までなぜ公表するのか」という業者の立場での反論も当然起こってくる。仮にそのような理由によって公表を見合わせたとしたら、今度は消費者である国民の多くは政府、農林水産省の対応を一斉に非難するのは間違いないだろう。
ひとつの決断、行動を起こした時に賛否両論が出ているのは必然である。問題がより多くの人達に関係するとあればなおさらである。

事故米と知らずに購入した多くの商店、事業者は、「お客様に申し訳ない」「健康被害が出ていないか心配」と痛めた自身の心をさらに自分から先の人達に回し向ける。
その一方で、公表によって売上が激減するなど被害を蒙ったのは事情を知らされずに事故米を買わされた自分を含めた事業者だと主張する人もいる。その怒りの矛先は流通先を公表した政府、農林水産省に向かっている。

農水省の調査に販売先10社の実名を明かさなかった三重県四日市市の食材卸業「ミルズカトウ」の加藤芳男社長(49)は、三重農政事務所などを相手に訴訟を起こす考えを表明。社長は「公表された店は売り上げが落ちる。農政事務所の職員に『会社や販売先がつぶれても公表する』と言われた」と憤った。(MSN産経ニュースより転載)

事故米と知りながら不正転売した三笠フーズ等の業者や、それを防ぎきれなかったという意味での農林水産省を許せないというのではないところが私の目には不思議に映るが、その人その人の立場にあっては、その主張が最も重要な行為なのだろうと思う。
こうした非常事態に直面した時に、その人自身がもっている生命の基底がどこにあるのか、行動思考の基準がどこに置かれているのか、端的に現れてくる。

そしてもうひとつ、忘れてならないのは、こうした業者名公表という関心の高い出来事に目を奪われて事件の本質を見失わない私達の姿勢が大切である。
とかく日本人は熱しやすく冷めやすいと揶揄されがちだ。
大切なことは、
この事件が突発的なものなのか構造的なのか。
事件の本質的原因は何か、またどこがその発生温床になっているのか。
応急措置と恒久対策は如何にして講じるのか。
--こうした次を見定めた前向きな対応が求められている。

【関連リンク】
汚染米の流通先一覧(政府発表)
【事故米不正転売】「まさかうちが…」外食産業は困惑(産経新聞ニュース)
汚染米 外食産業にも“飛び火” 公表、戸惑いと憤り(Yahoo産経新聞)
複雑な流通ルート 隠蔽と価格高騰の一石二鳥(IZA!)

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2008年9月11日 (木)

農水大臣、汚染米輸入禁止を指示 本質はどこにあるのか

9月10日、太田誠一農林水産大臣は食品衛生上問題のある事故米(汚染米)が輸入検疫で判明した場合は輸入を認めず輸出元に送り返す方針を決めた。
大阪市の三笠フーズによる偽装転売事件を受けた対応策のひとつである。

期限を区切った応急措置としては一定の評価をしたいと思うが、今後も続ける対応策と考えているのであれば問題があると言わざるを得ない。
9月8日付でも書いたが、問題の米は日本が世界貿易機関(WTO)の協定に基づくミニマム・アクセス(最低輸入義務)枠で輸入した米である。自国民の安全を守りたいからという理由で汚染米を送り返すのであれば国際的義務を放棄することになりはしないか。これはPKO活動への参加とも同様の構図ともいえるだろう。
また、事故米は数量こそ少ないが国産米でも発生している。
輸入禁止では本源的解決ではないことを明確に自覚すべきである。

日本としてできる貢献は他にある。
事故米を発生させない努力、そして発生した事故米を安全に消費するシステム(仕組み)作りが重要なのではないだろうか。

そもそもなぜ事故米が発生するのか。
これを追求することで一番目の課題「事故米を発生させない」ことに大きく貢献できる。
大きな原因としては
(1)過剰な農薬使用による安全基準を超えた残留農薬米が発生する
(2)自然災害等で水に浸かった米が発生する
(3)土壌中、大気中の有害物質によって汚染米が発生する
(4)非衛生的な保管状況によってカビ等が発生する
このような原因が推測することができる。
こうした状況に対して、日本の農業技術、土壌改良技術、災害防止や被災後の農作物の加工技術などが大いに役立つはずだ。東南アジアでは自然界に存在する土壌中の砒素の問題もある。日本で行なわれてきた有機農法も大きな光明になるに違いない。
民力と協働し、早急でより効果的な検討実施を望みたい。

そして早急に対応すべきは、2番目に指摘した「発生した事故米の安全な消費システムの確立」である。
続報として「浅井」(名古屋市瑞穂区)、「太田産業」(愛知県小坂井町)の2社での事故米の不正転用が判明している。事故米の不正転用はもっと広がっていたと推測される。
三笠フーズでの不正行為は冬木三男社長自らが政府払下げ米の買付に意欲的であり、入札では工業用のり原料米相場の2倍以上の高値で落札していたことも報道されている。「なぜそんな高い価格で落札できるのか」「採算が取れるのか」等の疑問の声が同業他社からも出ていたという。
そうした疑問を応札した農水省自身になかったのか。
まずは農水省職員、そして農水省組織としての再教育を行なうところから始めていただきたいと思う。そのうえで最終消費まで追跡するシステムと執念を培うことが必須である。
この対策はさほど難しいことではないはずだ。
落札する業者は限られている。2003年度から本年7月までに落札した業者はわずか16社にすぎない。このくらいの数の会社を管理できなくて何のための国家公務員かと言いたい。

こうした2点の対策を講じることで当面の対処ができるだろう。
しかし、今回の事件の本質はもっと根が深い。
それは「ばれなければ多少のことは許される」という人間の奥底に潜む自分本位の生命の傾向性だ。人間社会の犯罪のほとんどは同根であると言っても過言ではない。
この自己中心的生命をどのようにして克服できるのか。
今までは道徳観や倫理観の徹底教育等でやってきたが、手に負えない状況になった。その綻びは次第に大きくなり、時代とともに加速度を増している。

自他彼此の心なく(自分と他人を差別する気持ちをなくして)、自他共の幸福をどのようにすれば実現できるのか。ここに思いをはせ、すべての施策の基としていく社会を創出するしかないと強く感じる事件である。

【関連リンク】
非食用の事故米穀の不正規流通米について(首相官邸)
「三笠フーズ」騙しのテクニック(J-CASTニュース)
愛知2社も汚染米販売 農水省との契約違反(産経新聞ニュース)
メタミドホス米「いい米だ。全部買いたい」三笠フーズ社長(産経新聞ニュース)

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