カテゴリー「平和」の記事

原水爆禁止宣言50周年記念シンポジウム

20070908 もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でもそれを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。(『原水爆禁止宣言』より)

1957年9月8日、台風一過の三ツ沢公園陸上競技場で、戸田城聖創価学会第二代会長はいかなる理由であれ原水爆の使用は絶対悪であり、使用者はことごとく死刑にすべきであるという宣言を発表した。
戸田城聖先生は強硬な死刑廃止論者であったことは有名である。その戸田先生が「死刑」を主張までして原水爆廃絶の思想を全世界に広めようとした真意はなんだったのだろうか。

ちょうど50年後にあたる9月8日(土)に開催された「戸田城聖先生原水爆禁止宣言50周年記念シンポジウム」に参加した。13時15分からのビデオ上映の後、13時35分過ぎから開始。創価大学S201教室の会場は定員520名だが次々と一般市民の方々が来場し別教室(S101)に音声中継を行ない収容するなど1200名余りの参加となった。

基調講演は明石康・元国連事務次長。
国際的な核軍縮の現状を様々な視点から考察、NPTの取り組みやCTBTにおける核保有国の独善性を糾弾。カットオフ条約はその後の進展がみられないが、核非保有国による非核地域の広がりを評価し北東アジアでの非核化が当面で課題であると指摘した。
「我々は核廃絶の熱意を失ってはならない」という明石氏の訴えは心に残った。
日本だけでなく国際的平和が必要とされており、国連を中心とした平和構築が重要であると述べ、一国平和主義の流れが出てきた日本の現状はとても気になると指摘。その意味でも戸田城聖先生の原水爆禁止宣言は今だもって輝きを失っていないのみならず、池田大作SGI会長の提言を先頭として全世界的な広がりをもつ創価学会の活動に大いに期待し評価していることを述べた。

その後、小出稔、中山雅司、西原祥子各氏による報告が行なわれ、原水爆禁止宣言の意義、国際法から見た核兵器使用の問題、原水爆の生物に及ぼす影響や平和利用の可能性について等が論じられた。
その後休憩をはさんで、質問票によって参加者から寄せられた数多くの質問に関して応答があった。
原子力の平和利用に関しての質疑では参加者の中に水素発電の実用化に7ケ国共同で取り組んでいる方がおられて50年後の実用化を目指して研究が行われている報告もあった。

核抑止論の幼稚な論理が横行した20世紀。しかし9.11事件に象徴される核テロリストの存在に対して有効的な論理を持ち合わせていないアメリカは、ピンポイントで地下に打ち込む限定核使用の研究を始めている。
中途半端な理性を根拠とした核抑止論による「使えない核」保有から「使える核」開発に踏み込んでしまった核保有国の暴走をとめることが私達にできるのか。
私たち個人がいったい何ができるのか。
これが参加者の多くの思いだったに違いない。
中山雅司教授は、核の「必要悪」から「絶対悪」への転換、「平和を願うならば平和の準備をせよ」という思想を伝えることを強調。明石氏は民間レベルでの対話、すなわちセカンドトラックでの対話の推進を呼びかけた。

核保有国は核の必要悪、核抑止論を捨てない。
しかし彼らを含めてほとんどの人は核兵器は悪だと認めている。
私たちは更に踏み込んで、核兵器の絶対悪の思想を広めるために対話を繰広げたい。
それが意見の対立になり、感情的分断に陥る危険に直面したとしても、相手の気持ちを思いやりながら自ら歩み寄り、分断から団結へと変えていくという、とても困難でしかし単純な行動の持続が求められている。

原水爆禁止宣言50周年にあたり、私たちの使命を今一度確認しあって地道な対話を少しずつでも日々続けていきたい。それが「遺訓の第一」とした戸田城聖先生の平和実現の思いに答える道ではないだろうか。

【関連リンク】
恒久平和への挑戦
戸田記念国際平和研究所
創価大学平和問題研究所

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平和学とは何か 玉井秀樹氏の講義を受講

今年の夏季大学講座は第2日(8月25日)にテーマ「平和学とはどのような学問か」講座を受講した。
講師は創価大学平和問題研究所の玉井秀樹准教授。
玉井准教授は昨年はじめて夏季大学講座で担当され、その講座を受講して非常に感銘深く学ばせていただいたので、今年も受講させていただきました。

皆さんは平和学という学問はどういうものだと思うだろうか。
平和学という学問領域があることを知らない人も少なくないかもしれない。
ましてや平和学の講義を聞いたことがある人は一握りではないかと思う。

玉井准教授の講義は、2度の世界大戦の反省から平和学がうまれてきた歴史的経緯、ストックホルムアピール、ラッセルアインシュタイン宣言、戸田城聖原水爆禁止宣言、冷戦からポスト冷戦の中でブラッシュアップされてきたピースビルディングの考え、平和構築における重要な出来事があった1979年と1989年、平和構築支援プロセス、今日的課題としての平和構築などを俯瞰し、その根源にある人間性の確立、人間主義の行動準則に至る、様々な実例と相反する理論をわかりやすく紹介しつつ、明瞭な理論を展開。具体的な方策展開の着眼として創価大学創立者である池田大作SGI会長の平和提言に込められた意義と先見性に注目。スポンヴィルの人間社会の多層秩序から暴走する人間を制御する観点からも、創価の人間主義、平和主義の重要性を展開されていた。素晴らしい内容であった。

また、国連のあり方、ある国連加盟国が戦争を起こした場合に他の加盟国が行なうと規定されている軍事行動について、ソマリアでの集団的暴力行為、IAEAの日本への疑惑、瓶の蓋論など、次々と起こっている重大事象を指摘。
紛争のない日本で生活している私達にとって、個々の事象それ自体が衝撃的である。
それ以上に、個々の事象を断片的にみれば180度違う論理だって主張することさえできるし、事実、そのような主張が国際社会では平然と行なわれている。
総合的に把握し、行動を決定する、人間としての良識の重要性を痛感した。

今年の講義を受講して「平和とは何か」という根本問題について大きな気づきがあった。
「平和」の対極になる概念は何か。
多くの人は「戦争」「争い」等と答えるのではないだろうか。
しかし戦争がない状態だけで平和といえるのか。決してそれだけでは平和とはいえない。
このあたりまでの思考であれば、多くの人ができる。
それでは、どうすれば、どうなれば、真に平和が実現したといえるのだろうか。
その答えに到達するためのひとつの入口が「平和の対極にある概念を定義する」ことにあると感じた。

ヨハン・ガルツゥング氏は「平和」の反対概念を「暴力」と定義している。
直接的な暴力を排除するだけではなく、精神的な暴力も、構造的な暴力も、人間が潜在的に持っている可能性を妨げる全ての働きが、すべて暴力なのだ。

平和ではない状況を生み出してしまう主たる要因には病気や貧困がある。
ならば、病気や貧困をなくせばそれで平和になるのか。
なくすだけでは、またいつか再発してしまい、非平和状態に落ちていってしまうのではないか。
そうした疑問が、永く自分の中にあったのも事実だ。
「平和の対極は暴力である」という考えを元に再度自分自身の思考を再構築すると、やるべき方策が大きく変わってくる。
病気や貧困をなくすためにワクチンや金銭的支援をすることももちろん重要だが、その状態を発生させない構造構築がより重要なのだ。
そして更に重要なのは、そのような悲しむべき構造状況が発生したときに、自ら改革する強い意志と行動を持った人間性を醸成することである。

ある意味で、平和の実現とは全人類共通の目標だろう。
私たち一人一人の人生の目標も、ここに基準をあわせて考え直すことでより多くのことが見えてくるのではないだろうか。
平和学は学者のための学問ではない。
政治家のためだけの実学でもない。
私たち庶民一人一人の究極の目的を、学問の目で追求した行動的理論構築の試みではないだろうか。
真の平和を考え、行動することで、個々人の人生の目標も定まってくる。
そんな感慨を深くもつことができた、真に有意義な受講であった。

平和学の目標や方策アイデアは相当議論されていて、やるべきことは明確になっていると言ってもいいかもしれない。
「誰がみてもやるべきことはわかっている。
 核兵器はないのがいいに決まっている。
 戦争がなくなればいいと誰もが思っている。
 しかし、わかっていることが実現できない。
 その壁を乗り越えるのが私たちの使命だ。」
講義の中で玉井准教授が訴えていた言葉が、深く心に刺さった。

玉井秀樹准教授。
これからも夏季大学講座で毎年担当いただきたいのはもちろんとして、いろいろな機会で平和について声を大にして語って下さい!

〔関連リンク〕
2007年度夏季大学講座
個人的な案内ページ http://www.prosecute.jp/keikan/2007summer.htm

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62年目の夏

62年目の終戦記念日を迎えた。
戦後日本も還暦を過ぎた年齢になった。
ここ数年、個人的な関心もあってピースビルディングについて学ぶ機会を持っている。直訳すると「平和構築」と表現される。
以前に紛争予防と呼ばれていた概念等を中核にして、真の平和とは何かと模索し現実の世界に安心して暮せる社会を実現しようという平和学の中核概念だと理解している。
私の大学時代の同級生が準教授としてこの分野の研究を牽引していることもあって、数年前から継続して学んでいるが、このピースビルディングの思想が今後の地球規模の平和構築の主幹を成していくことは国際的な共通認識である。

平和とは、単に紛争がない、軍備を縮小するという単視眼的な、表面的な事象だけでは実現できるものではないのは自明の理だ。
その大きな要因には貧困の解消、病気の減少、人権問題の解決、水問題を含む環境問題など、生命に直結する諸課題が含まれている。
その現実の運動のオピニオンリーダーは国連だ。
事務総長が交代して、今後の活動がぼやけている印象もあって少し不安材料もあるが、その国連の中で中核的存在として活動しているのが国連公認のNGO団体だ。
私たち日本人はその事実をほとんど知らない。
日本のマスメディアの不勉強のゆえか全く報道されないからであるが、メディア報道に依存し主体的な発想をしない日本人の日常意識にも大きな問題がある。

私たちが目指すべき将来の社会とはどうあるべきか。
そのために、今、自分が何ができるのか。
具体的な一歩を踏み出すきっかけの一日としたい。

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沖縄本土復帰35周年

沖縄が日本に復帰して35周年を迎えた。
第二次世界大戦の敗戦処理の中で、アメリカの統治下に置かれた沖縄が日本に復帰したのは、戦後27年が経った1972年(昭和47年)5月15日。
米軍統治の影響はいまだに残っており、在日米軍基地の大半は沖縄に集中している。
国内で唯一の民間人を盾にした戦争被害の地でもある。

そうした歴史を持つ沖縄の人達は平和への意識が高い。
現代の日本にあっては、沖縄、広島、長崎の人達以外の平和意識は極めて脆弱になっているのではないだろうか。
そんな平和を希求する沖縄だが、所得水準は日本全体の平均よりも低い。アメリカ軍に関連した職業に従事する人も多く存在する。平和を望み、軍隊撤退を要望しつつも、アメリカ軍基地が一斉になくなると路頭に迷ってしまう庶民が多発するのも沖縄の現実だ。

ビジネスのグローバル化が言われて久しい。
私達も何かできることがないのか、自身に問い直す契機にしたい。

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目下の課題に生きる人に

2007年明けましておめでとうございます。
今年の正月も私の生まれた岡山で親子3人に私の両親、兄家族と揃って迎えました。年末の29日に初雪が降りました。未明に大きく積もり、その後1日かけて降ったりやんだりが続き18cmほど積もりました。

新年は素晴らしい快晴で迎えました。
本年は自分自身から、今いる場所で、目下の課題に全力で生き切ってまいりたいと決意しております。
一人が変わっていくことが社会と未来を創っていくことができる。
またそうした地道なひとつひとつの行動を続けていく皆が、ひとりももれなく持続して幸せに暮していける社会にしたい。
そう願う2007年の年頭です。

本年も誠心誠意頑張ってまいる所存です。よろしくお願い申し上げます。

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9.11から5年

9.11の事件から5年が経った。
日本での報道は思いのほか少ないように感じられた。2日も経つと新聞もTVからもすっかり消えている。気持ちが移ろいやすいのは現代人の特徴なのか追悼の意を表する人はいても9.11のその後の世界を語る人はほとんどいない。
しかし9.11を経て私たちの住む地球の平和への意識は厳然と変化を遂げている。日本においても公然と政治の世界で先制攻撃の必要性が論じられるようになった。北朝鮮脅威論はその最たるものだ。
こうした考えは以前からあったが9.11の事件によって鮮明に打ち出されるようになったように思う。ではそうした「悪の枢軸を叩きのめす」的発想で本当に戦争やテロを根絶させることができるのか?多くの世界市民は「ノー」または「それはわからない」と答えるのではないだろうか。

いま、世界に平和を構築する推進母体となるべきところはどこかと考えると国連がある。もちろん異論もあるだろう。実際に役に立っているのかという声も実際に聞く。しかし他に代わるより有効的な機関や団体があるのかと問い直すと不完全であるかもしれないが国連を抜きにして平和構築を考えるのは非常に無駄が多いだろう。
国連は今年で結成61年を迎えた。今月には第61回国連総会も開催される。世界市民の一人である私達も、まずは国連総会での議論の行く末を見守りながら、世界平和は他人事であるかのような姿勢を改め、いまいる場所からいまできることを始めたい。

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第34回夏季大学講座に参加

8月25日~27日に行なわれた創価大学夏季大学講座に出席してきました。
だれでも参加できる市民講座として始められて今年で32年目。参加者も日本最大で今年は1万1千人を突破したそうです。
私は初めての3日間連続で受講しました。
第1日:「多文化共生を目指す創価大学の国際交流」
第2日:「創立者の若き日の思索に学ぶ」
第3日:「平和学の学び方―創立者の平和提言に学ぶ―」
の3講座を受講しました。いずれもとても興味深く、新たな気づきもあり、楽しく受講することができました。

特に3日目の平和学の講義は非常に感銘を受けました。
講師は玉井秀樹助教授(平和学研究所専任)。私の同期で夏季大学講座は初めて担当したそうです。受講者は教室にいっぱいで開始5分前に到着した私は教室の後の席にやっと座りました。
講義は平和学の起こりから2回の世界大戦、東西冷戦、核開発競争、南北対立、そして9.11事件の時代の中でどのように変遷し「ピースビルディング」という志向性に至り、現在の平和学の主要テーマ、地球上に起きている紛争や貧困、病理の問題等々を資料映像を交えながらわかりやすく進められました。

後半は創価大学創立者である池田大作SGI会長の平和提言を通してその本質を探るというストーリーだったようですが時間的な制約もあって、たぶんその内容は来年の講座にということになるのかなぁと思いました。
一受講生として、来年以降も継続して開講されますよう玉井秀樹助教授並び創価大学関係者にお願いするものであります。
創価大学の建学の3モットーのひとつに「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」とあります。その具体的な学術的アプローチとしての平和学の更なる充実と発展を心から期待し支援をしていく気持ちで3日間の受講を締めくくりました。

《リンク》
第34回夏季大学講座

個人的なお誘いの案内等

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陸上自衛隊サマワから撤退完了

イラク復興支援特別措置法に基づいて行なわれていたサマワでの支援活動。17日午後(現地時間)日本の陸上自衛隊が完全撤退を完了した。
無事故での撤退は至上命題。どの分野での作戦業務でもそうだが勢いのある攻撃の局面に加えて、最終局面の撤退(クロージング)の困難さはその作戦業務の成否の最重要要件である。

賛否が渦巻く中ではじまった自衛隊のイラク派遣。2年半の活動。撤退の準備は1年余り前から準備されたという。陰で見えない準備の出来栄え次第が成功の因といえよう。おそらく陽の当ることのないスタッフの皆にも感謝の気持ちを伝えたい。

国内の世論は思いのほか(というか予想通りというか)大きな反響は起きていない。自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加してすでに10年余り、今回のイラク復興支援特別措置法による復興支援から2年半。国際情勢の大きな変化の中での帰還である。
平和の維持とは何か。その本質は何か。絶対に譲れない根本は何で、臨機応変に対応すべき事項は何であるのか。その判断が個々の庶民が行なえる資質を成熟させる時期が来ているように思える。

武力行使からは何も生まれない。しかしそれを金科玉条のように唱えているだけでは現状は何も変わらない。
私達は「行動する理想主義者」でなければならない。
どこまでも一人を大切にした対話を続ける。と同時に目下の課題に敢然と立ち向かっていく。
しかしその判断基準は非常に難しい。一歩間違えば机上の空理空論になり、また正反対に暴理暴論にもなりかねない。
どこまでも生命尊厳を絶対とした実践哲学が不可欠である。

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盂蘭盆(うらぼん)の季節

7月も半分が過ぎました。各家庭や職場では「この夏はどこに行こうか」等の会話が聞かれる時期でもあります。
日本では今日15日と来月15日は盂蘭盆(お盆)として故人となった先祖家族、知人等の冥福を祈念する慣わしとなっています。これは仏教の追善回向の考えが基になっており生の生命が終えた先を「彼岸(ひがん)」と表現した教典があることから「彼岸会(ひがんえ)」「お彼岸」とも呼ばれ、そうした諸霊の冥福を祈る行為を「追善回向(ついぜんえこう)」と呼んでいます。

元来「追善回向」とは、生きている私たちが行なった善行の功徳を故人にも回し向けるという意味合いの生命法則を指しています。その意味では特定の日に経文を唱えるだけでは本当の意味での追善回向はできるわけではありません。
生命を貫く生命リズムを自ら涌現し、身勝手でないだけでなく自他共の幸福を願い行動することこそが本当の意味での盂蘭盆会(お盆)を迎える意義があると思います。生ある私たちがより価値的な、意義の大きな人生をおくることが最も重要と言えます。

またある経典では「より境涯の大きな人生は自分自身のみならず出会った人々という空間的な広がり、先祖から子供、孫の先の子孫までという時間的な広がりに及んで生命リズムを伝えていくことができる」と記述されています。
お盆のこの時期を一人一人が自分自身の生き方を検証する契機にしていきたいと思います。

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イラクからの陸上自衛隊の完全撤退へ

陸上自衛隊のイラクからの撤退が正式に発表された。
振り返ってみるとイラク派遣が始まってから約2年半が経過した。日本の自衛隊の持つ復旧支援能力は世界的に高度で現地で有用であることも充分に立証されたという意味では世界的な貢献は高かったと言えるだろう。

その一方で現地での活動は他国軍隊の庇護下で行なわれた事実も認識しなければならない。撤退は今後1ケ月半をかけて行なわれるとのことだが無事故で完了することを祈りたい。

他国からの支援活動は自ずから限界がある。今後のイラク和平は「今ここにいる」庶民の力で成し遂げるしかない。しかし他国に住む私達も祈っていくことは可能である。自他共の幸福を成し遂げるために生命の底からの祈りを続けていきたい。

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平和への大道展・池袋サンシャイン今日まで

池袋サンシャインで行なわれている『平和への大道展-心と心をつなぐもの-』の展示会が11日(木)から本日まで開催されている。
私も13日と14日の両日、鑑賞させていただいた。
両日とも雨が降ったりやんだりで一日の気温差が激しかったせいもあって会場内外で汗をかいたり寒くなったりだったが(^_^;)実に多くの方が鑑賞に訪れていた。

会場内にはSGI(創価学会インターナショナル)と池田大作SGI会長の活動の足跡をパネル、記念品、作品等を中心に展示されていた。世界各国、各地からの最高級の顕彰が相次いでいることに改めて驚嘆する。それとともにこうした出来事が日本国内でマスメディアで報道されないこと、国内からの顕彰がほとんどないことに日本の精神性の未熟さを重ねて情けなく感じた。

一緒に鑑賞していた友人の一言が印象的だった。
「理屈じゃないですね。これだけのことをやってきた団体、個人が他にあるのか。事実を直視すれば誰にでもわかることです」

※新宿展あり。
期間:5月31日(水)~6月5日(月)
会場:小田急百貨店新宿店(本館11階)

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湯川スミさんご逝去

本日(5月14日)午後、湯川秀樹博士のご夫人であった湯川スミさんがご逝去されました。享年96歳。
日本人初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士を陰でささえ、1981年に博士が逝去された後、博士の悲願だった核兵器廃絶の遺志を受け継ぎ、平和運動を展開した。女性としての立場で平和を守り育てる平和運動を志向し、背筋を伸ばし「いいものはいい、悪いものは悪い」と淡々と語る姿には微塵も私心が感じられない方でありました。
心より追善回向を申し上げます。

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ガルブレイス博士ご逝去

20世紀を代表する著名な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイス博士が4月29日逝去された。享年97歳、天寿を全うされました。
博士の名著『不確実性の時代』は一世を風靡した。この数年は次代をになう後継者の育成のために様々な提言を行なってきました。最晩年の著作として池田大作SGI会長との対談集『人間主義の大世紀を』はその集大成です。

「技術とは人間の幸福を実現する技術であり、武器である」
「経済を動かすには、人間を鍛えることです」
「良識の人間を育てなければなりません」
「経済学者として、わずかでも人間の幸福に貢献したい」

まさに激動の20世紀を駆け抜けた巨人でありました。心より追善回向を申し上げます。

《関連リンク》『人間主義の大世紀を』

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阪神淡路大震災から満11年

今日は阪神淡路大震災から満11年。地震が起きた当時、私はまだサラリーマンをしておりました。

「大変なことが起きた」と感じつつも、どこか自分とは関係のない出来事のように感じている自分に気づき、切迫感のないいらだちを感じていたことを思い出します。 あれから一昔と言われる年月が過ぎました。果たして自分がどれだけ成長できたのか、何ができるようになったのか甚だ不満足ではありますが、不満を感じるだけでなく一つひとつ今いる場所で目下の課題に生きることが大切なんだなと感じるようになった今日この頃です。

被災された方々そして御家族の皆様の更なる幸せを心よりお祈り申し上げます。

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終戦60年・広島でのアンケート結果

終戦から60年目の当日を迎えた。
広島市内の被爆者と小・中・高校生を対象に行われたアンケートの結果がある。
被爆60年 被爆者・若者アンケート《実施元・中国新聞社》
被爆者の40.4%、小・中・高校生の45.4%が「どんな理由があれ投下すべきでなかった」との回答が最も多かった。
しかし一方で被爆者の18.9%、小・中・高校生の25.3%が原爆投下を絶対悪と考えていないことがわかった。

選択肢(回答内容) 被爆者 小・中・高校生
戦争中でやむを得なかった 12.6% 10.2%
戦争終結のため仕方なかった 5.3% 10.1%
アジア侵略の結果 1.0% 5.0%

アンケートの選択肢を選ぶ際の心境としては様々あるだろう。同じ回答を行った人達が同様の心境と考えるのは余りにも早計であるが、実際に原爆被害にあった方の2割弱、未来を担う子ども達の4人に1人が原爆投下があったことをある面で容認している。これは言い換えれば、状況が状況であれば原爆使用もあり得るという発想に直結する危険があるということでもある。被害にあった人達やその地域の子ども達でさえこれだけの数字が出るのである。それ以外の地域や世代ではその数字はさらに高くなっているとことは想像に難くない。

生命の絶対尊厳は一定の共通認識であると思うには大きな油断があるのかもしれない。総論賛成各論反対という思考傾向は最も事態を過たせるのだ。例外を認めてよい考えなのか、不変の哲学なのか、一人一人が自らを問い直す日にするべきであると強く感じた。

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長崎原爆投下から60年

長崎に原爆が投下されてから60年目の日を迎えた。
この1年で新たに200人以上の方の犠牲が明らかになった。8.6広島原爆に続き3日後の投下。様々なTV番組で「原爆投下は戦争終結には必要だった」との世論がアメリカで主流であり続けていることが紹介されている。しかし百歩譲っても(仮の話であって私は譲らない)広島の3日後に長崎の投下したことをその人達はどのように理由づけるのであろうか。

物事に当たる場合、状況に関わらず不変である理念哲学が必要だと私は思う。自然社会では当たり前のように万有引力や惑星運行のリズムが解明されているように、私達の生活も地球の一部であり、相互に影響を及ぼしあっています。そのことからも私達人間の行動のみが適当な感情で左右されていることの危うさを感じざるを得ません。
生命尊厳の哲学理念は全宇宙を取り巻く状況を端的に表現しているワードだと私は感じます。

・戦争もテロも絶対反対
・核兵器の完全廃棄、核軍縮の早期推進
・イラク、コソボをはじめとする地域紛争の早期完全解決
・環境保護を推進し自然破壊を阻止する
・貧困と人種差別を撤廃する
・Cox等排出規制をはじめとする地球温暖化防止対策を進める
・未来の子供達を育てる、教育を推進する
・宇宙の可能性を研究探索する
・7世代先の子孫達にこの美しい地球を渡していく    etc...

これらすべてに共通しその根幹にある理念こそ生命尊厳であると私は思います。私達一人一人の生命、自然界に生きる様々な生命、地球生命、宇宙生命そのものを不可分で代替の効かない存在、決して偶然ではなく存在する意味を持って誕生した生命として捉えようとした瞬間から私達一人一人の意識が劇的に転換し、具体的行動の重要性が認識され行動そのものが続けていけるのだと思っています。
広島・長崎の原爆死亡者の皆様の御冥福と被爆者、ご家族の皆様の御健康を心からお祈り申し上げます。

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広島原爆投下から60年

広島に原子爆弾が投下されてから60年を迎えました。
60年の節目とあってテレビ等では例年になく原爆に関する特別番組が組まれている。
そのうち何番組かをみた。番組内での表現で特に印象に残ったのは原爆投下60年にして初めて当時の模様を語ったという方が複数名登場されていることだ。
生存されている被爆者の方々の平均年齢は70歳を越えている。実際に体験した方の声を聞く機会は年々減少していくことは止めようはない。しかし昨今の核脅威の増大、戦争体験がないがゆえの戦争容認の傾向に実際に身を持って体験した方々が魂からの叫び声をあげずに死んでいくことはできないという痛烈なメッセージがあるように思えてならない。

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パグウォッシュ広島会議が閉幕

広島市でおこなわれたパグウォッシュ広島会議が7月27日「広島宣言」を発表して閉会した。
広島での同会議の開催はちょうど10年前の1995年にも行われている。会議ではこの10年間は核廃絶への有効な手段を打つことができなかった「失われた10年」との言葉も出たという。
今年は原爆投下から60年、ラッセル=アインシュタイン宣言から50年の意義深き年である。参加した40ケ国約170人の科学者、政治学者の思いにも決意するものがあったのだと推察する。

最終日に発表された広島宣言には「人間性を心に止め、それ以外のことは忘れよ」とのラッセル=アインシュタイン宣言の言葉が引用されていた。
同会議が核保有国とみなしている8ケ国(アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエル)の核軍縮・核不拡散への取組みには何ら進展は見られない。アメリカにあっては劣化ウラン弾の使用や新たな小型核兵器開発の疑念まである。核保有がほぼ間違いないイスラエルはいまだNPT(核不拡散条約)に未加盟のまま。核兵器開発疑惑のあるイランは開発に関連すると見られる動きをやめていない。

こうした中東地域や米国の問題に加えて東アジア地域の核武装化(北朝鮮の核開発宣言・中国の弾道ミサイル発射実験など)の中で日本の果たすべき役割の模索も続けられた。東京大学大学院・藤原帰一教授の「日本は核廃絶を強く訴える一方で、安全保障はアメリカの傘の下での核抑止力に頼っている」という自己矛盾の指摘には全面的に同感する。広島・長崎・沖縄から発信される平和へのメッセージと永田町からの日本政府の表明とが、国際社会では全く同一視されていないというのが現状ではないかと思う。

パグウォッシュ会議の精神が学者のみにとどまらず庶民一人一人が実践するということがどういうことなのか?早急な思索と実践が求められている。
そう思うと少なからず焦りを感じるのです。

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イギリスでテロ

7月7日にイギリス・ロンドンに起きた爆発事件はテロ行為であることがほぼ断定されてきた。現時点ですでに死亡者は50名以上、負傷者も700名が確認されたとロンドン警視庁は発表している。ロンドンでのオリンピック開催が決まった翌日でもあったが、テロ行為の標的が開催中のサミットであることにほぼ間違いないだろう。

イギリスでは日本と比べると歴史的にテロ行為の危険が身近に存在してきた国でもある。今回はアルカイダの関与も取りざたされているが私達はこうした行為に対して鈍感であってはならないと思う。
どのような主張があるのか、また言い尽くせないほどの苦悩を抱えてきたのかもしれないが、それでも人々を負傷や死亡に追いやる権利など誰人も持っていない。絶対に許せないのが生命を脅かす生命軽視の思想と暴力行為だ。主張があるのであれば言論で戦え!埋めがたいと思える心の溝であっても対話の力で乗り越えることができると信じて前へ前へと進むのだ。

またこうしたテロ行為の奥底には地球上における隔絶した貧困と病理があることが指摘されて幾久しい。具体的な募金活動等に協力することももちろん重要であるが、お金がないから貧困なのではないのだと私は思う。物質的豊かさを追い求める心こそが根源的な迷いであると私は言いたい。そのうえで一定上の物質的な豊かさを実現する。そうしたビジョンが求められていると訴えたい。
死亡された皆様のご冥福を心からお祈り申し上げると共に、一日も早い真相解明と根源に横たわっている憎悪と生命軽視の思想の根絶を願うものである。

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アジアにくすぶる日本への不信

先週末突然降って湧いたかのように中国で抗日反日デモが起こった。
東京を中心とした関東以西エリアでは満開の桜で花見酒に酔っていた日本人も多かったに違いない。

10日に行なわれた町村外務大臣と王毅駐日大使との会談で、王氏は破壊行動に走った中国国民の行動について「過激な行動は中国政府としても賛成しないし目にしたくない」と述べ、公式な発言として初めて破壊行動に対して否定の立場を示した。当然であろう。
9日のデモでの破壊行動発覚以後、中国政府は「原因は歴史認識の過ちを認めない日本側にある」として中国国民の破壊行動について制止する処置を講じないできていた。デモの現場においても日本企業の建物への投石を繰り返す国民を目の前にして制止すらしない警察官の姿が映像として世界中に流れた。

正しくないものに対して声を上げるのは必要なことである。また日本の常任理事国入りを良しとせず抗議行動に出る自由も認められるべきだ。しかしそれと暴力による破壊行動とは全く異なる問題である。いくら正当性を訴えようと戦争を起こしてしまえば悪となるのと全く同じだ。暴力によって破壊行動に出ること、そしてそれを黙認する行為はそれ自体絶対に許されない悪である。

今回のデモ勃発の根底には日本への根深い不信感が横たわっている。アメリカでは殆ど語り継がれていない広島長崎の原爆投下を日本人が忘れていないように(それ以上に)中国や韓国、アジアの人々は戦時中の日本の蛮行を忘れていない。家族の生命を失った方々も多かったはずだ。そのことを私達は深く心に刻むべきだ。その上で世界の人々の安穏と平和のために何ができるのか思索することが求められている。

そもそも常任理事国入りして日本は何をやろうとしているのか?常任理事国になるのとならないのとでは何が違うのか?常任理事国にならなくてはできないことがあるのか?日本国民をはじめ同胞であるアジアの友に丁寧に語ることが求められている。
その上で理解が得られない、必然性が認められないとなった場合は常任理事国入りは断念することも必要であろう。

別の角度で見ると、現在社会主義国である中国では庶民レベルまで情報が充分に行き渡っているとはいえない状況もあるのかなと感じる。特に自由主義の前提である双方の意見を充分に聞くということはある程度意識して経験を積まなければできないことではないかと感じるし国営放送の他はインターネット(しかもネット人口は推定1割以下)という状況では不充分と言わざるを得ない。

教科書検定にしても様々な教科書製作会社があって日本人でも「おかしい」と感じる教科書が検定に合格することもある。しかし合格したといって日本人すべてがその教科書を認めたわけではない。またその教科書を採用するかどうかは各自治体の教育委員会によって決まる。デモによる意思表示も場合によっては必要であろうが、それよりもあらゆる場を使って言論による主張こそが求められている。

日本国内にあっても歴史認識の正邪を質していく努力が行なわれなければならない。ちなみに双方の意見を充分に聞くという点では日本人の精神レベルも実に脆弱だ。公式発表を鵜呑みにする。マスコミ報道に踊らされる。先入観や固定観念で物事を判断する。デマをデマと見破ることができない苦手だ。ディベートがうまくできない。個々の事態に対して自分個人の意見を持つことができない。集団で行動するほうが楽だと思っている。etc...
そのような精神的な未成熟さを中国をはじめとするアジア各国の有識者が見逃してはいないと私は思う。物事の本質を見極めることができない傾向を有する国を世界が見下している面があるように感じられてならない。
現在の混迷を打開するためには、どんな立場であれ、どのような評価が下されようとも正しいと思うことを正々堂々と主張できる、偏見を恐れず間違いを素直に認める勇気を持つことがすべての方策の必須前提となるのではないだろうか。

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竹島・独島問題

今月16日に島根県議会が制定した「竹島の日」をめぐって日韓関係が紛糾している。両者の見解の相違には異なる複数の問題が入り組んでいる。それらを整理しかるべき対応をとることが求められているのだろう。

①そもそも竹島(韓国名:独島)は日本韓国いずれに帰属する土地なのか?
②現在竹島に関わる生活がある庶民レベルの問題はどうするか?
この2つの視点で問題を解決するべきであろう。

まず1点目の土地の帰属について。これは双方それぞれに主張を明確にしている。
日本側の主張は「外務省HP/竹島問題」と「島根県HP/かえれ!竹島」に集約されるだろう。1618年までさかのぼり実質的、歴史的な文献をもとに領土の領有を主張している。
一方韓国側の主張は私がハングル語がわからないので(^_^;)公式サイトは読めないのですが中央日報系サイト等が参考になるだろう。日本が公文書で残っている1618年の出来事も「泥棒行為」と主張し一貫して領土侵略の意図があったとしているようだ。これは第2次世界大戦後の敗戦処理において返還の対象とされた暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域であるかどうかという点にも関係する。
両者の主張には征韓をはじめとする日本が行ってきた残虐侵略行為に対する根深い嫌悪感不信感が横たわっている。歴史のどこに基点をおくのか、またその際に侵略等の意図があったのかどうかは双方の主張にぬぐいがたい隔絶がある。
第一点目の解決のためには第三者に判断を委ねるのが妥当であろう。領土問題は国際司法裁判所に預託されるべきである。

実際に生活が関係する庶民にとっては第2点目が重要であると思う。漁業に携わる者としてはその水域で操業できるかどうかは死活問題だ。1999年に日韓両国は新日韓漁業協定を締結発効し、領土問題を切り離して竹島周辺は両国が自由に操業できる暫定水域としたが、日本の漁業者には事実上操業できない状態が続いている。竹島の領有を主張する韓国が既成事実を積み重ね日本漁船を締め出すという強硬姿勢を取り続けているからである。壱岐をはじめとした漁業従事者は実際に生命の危険に遭遇していることが報道されてきた。今回の島根県議会の条例制定の背景にはこうした事情も大きく影響しているはずだ。
この点については日韓両国政府は無法状態を放置せず、漁業従事者の安全と生活を確保するべきである。領土がどちらになろうがそれとは関係なく生活を送ってきた人々がいる以上、その生活は保障されるべきである。
その意味で1999年締結の新日韓漁業協定が履行されることを双方が監視保障することを望む。また漁場としても素晴らしい資源があるこの水域である。獲ることにばかり執着せず、日韓協働での海洋牧場等を設置してはどうか。乱獲を防ぎ両国の将来の利益に貢献するという意味でも重要な取組みであると思う。

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59回目の終戦記念日

今日8月15日、59回目の終戦記念日を迎えた。
折りしもイラクでは内戦状態に入り、13日には沖縄でアメリカ軍のヘリコプターが沖縄国際大学構内に墜落するという事故が起きている。大きくは報道されていないが大学向いの民家ではこぶし大のコンクリート塊がガラス窓を突き破り生後6ケ月の赤ちゃんが寝ている枕元に襲い掛かった。
かつてマスコミでは「戦後は終わった」などというコピー文句が踊ったことがありましたが、有史以来地球上で争いの絶えたことはなかったのではないかと思う。すくなくとも昭和20年8月15日の終戦以降は常に紛争が起こっており貴い人命が失われ続けています。

しかし「戦争反対」を声高に叫んでいるだけでは戦争が無くならないことも厳然たる事実です。先日ある民放で岸信介の功罪といった内容の番組が流されていた。岸信介氏の功罪自体はともかく、その際に報道されていた安保闘争当事者の意識の希薄さには唖然とするものがある。もともと日米安全保障条約には何が書かれていて何が問題なのかさえ議論もされないままヘルメットをかぶっていた人が少なからずいたのかと思うと、あれだけの大きな運動になったことと合わせて考えると恐ろしいものを感じます。

振り返って現在の民意はどうなのか?
参議院選挙からわずか1ケ月余りしか経っていませんが、選挙で論点となった社会保障問題やイラク派遣問題をはじめとする国防外交問題について継続して考え議論している人はどれだけいるでしょう?政治家を批判する前に国民は自らの襟を正すべきではないかとさえ思います。

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メソポタミア湿原復元にUNEPが着手

7月23日、国連環境計画(UNEP)はメソポタミア湿原の復元計画に着手することを発表した。
古代文明発祥の地の一つとして知られるメソポタミア。誰もが学校の授業で習ったものですが、チグリス、ユーフラテスの2つの川に挟まれた肥沃な大地には2万平方キロともいわれる広大な湿原地帯が広がり、文明と共に様々な動植物の宝庫といわれてきた地域です。
しかしフセインが政権を握った1970年代から流域に住む反政府の色が強いシーア派住民の反乱の温床にならないようにと上流に川の流れを堰き止める工作を行なったことから急激に湿原が干上がり砂漠化していったのです。
湿原の環境を調査してきたUNEPは2001年には従来の90%が既に消失していると発表。このままでは2008年までに完全に消滅すると警告していました。
2003年のフセイン政権崩壊に伴い地域住民の手によって水門が開けられ、現在までに全体の5分の1の地域に水が戻っていたといわれていますがいったん破壊が進行した湿原の復興には本格的な取組みが必要といわれてきました。

日本においても7月の参議院選挙でこの問題が取り上げられ署名活動も展開されました。署名を行なわれた方も多くおられること思います。最終的に551万人余りの署名が集められ日本政府を動かす原動力となりました。
UNEPは日本政府がイラク復興信託基金に拠出した資金から1100万ドル(約12億円)を活用して破壊されたメソポタミア湿原の復興に着手することになったのです。
これによって地域住民にあっては飲料水を確保するなど生活環境を向上させることができ、生態系からみれば大きなライフサイクルを復元することができます。また永く途絶えていた農業、漁業を復活させることができると言われています。

今後の進捗に大いに期待したいと思います。

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