カテゴリー「平和」の記事

2012年11月14日 (水)

核兵器はなくならない? 橋下氏は間違っている

日本維新の会代表である橋下大阪市長が発言した「核廃絶は現実的には無理」。
果たしてそうなのだろうか?
議論は様々な視点で行うことが必要であると思われるし、早計に結論を出すのではなく議論を続ける中で、個々人の思索も深められていくのだと思うので、橋下氏の発言の是非を現時点で言うのは適切ではないという指摘もあると思う。

しかし、あえて言っておきたい。
「核廃絶は現実的には無理」との橋下氏の発言は、間違っている。

すでに多くの人が気づいている、橋下氏独特の世論形成のためのパフォーマンス手法だとは、思う。難しい議論となる一方の極論をぶち上げておいて、比較的多数派となる「落とし所」で世論を獲得する。最初から民意と思われる主張をしても「平凡だ」と思われるだけだが、極論をぶち上げたのちに、自ら多くの意見をくみ取ったというステップを踏んだように見せれば、多くの有権者の支持を得ることができる。
弁護士である橋下氏が、法曹の世界を渡り歩く中で、自然と身につけてきた必勝戦術法なのかなとも思う。

しかし、この数年で、その手法を何度も見せられてきた私達も、多少なりとも学習している。正直言って、橋下氏のパワーゲームでもやっているような政治手法には、辟易してきているのではないだろうか。

人間というか、庶民というのは、もっと正直に生きている。
本音でぶつかって、生活を生き抜いているのだ。
人の裏を読んだり、一発かまして自分が優位に立って物事を進めるばかりが支持されるわけではないのだと言いたい。

「核廃絶」のテーマは、まさに人間としての安全保障と人間開発という人類の根本テーマに直結している。
言いかえれば「世界平和」のための行動の一構成要素といってもよいと思う。
私が思うところは、折に触れてこのブログでも表明してきたし、別途テーマとして論じるつもりである。長くなるので今日は書かないことにする。
今日は、一言だけ、繰り返して言っておきたい。

核廃絶は、できるかできないかの問題ではない。
核廃絶は、必ず達成すべき人類の課題である。

【読売新聞】「核廃絶は無理」橋下氏に広島知事「勉強不足」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121113-OYT1T01232.htm

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2010年8月20日 (金)

ロマ人送還報道に平和の意識を目覚めさせよ

今月19日、フランス政府が国内に不法滞在していたロマ人93人をルーマニアに送還したことが報じられている。

「ロマ人」という呼称は日本人には馴染みがない。
日本では「ジプシー」と言われることが多いが、その呼称には差別意識が含まれているとして使用しないのが世界的潮流となっている。ロマ人自身が開催した1971年の第1回ロマ民族世界会議で「ロマ」を民族の自称と決定しているという経緯がある。
「ロマ」とは彼らの言語で「人間」を意味する「ロム」の複数形である。
西暦1000年頃にインドに住んでいた民族が移動生活を始めたのが起源といわれているが確たる検証はなされていない。その後14世紀から19世紀にかけて現在のルーマニアの地域で奴隷として非人間的扱いを受け続けるなど14世紀頃には民族間の迫害を受けていた歴史が残っており、現在に至るまで少数民族の衰亡の歴史を刻み続けている。

様々な文学作品にも「ジプシー」の呼称で登場するロマ人。
様々な楽器演奏をしたり、動物を操って見世物小屋を開いたり魔術を使った見世物でお金を取ったり...。怪しげな雰囲気を醸し出しつつも自由奔放で各地の文化圏を交流する自由人のように描かれているイメージが強い。
※そもそも「ジプシー」と呼ばれる人達の主なルーツが一つなのか複数民族の総称なのかということさえ学術的には明確にはなっていない。

しかし歴史が語る事実は、迫害と貧困そのものである。
早い時期から「同化政策」の対象となり、ナチス・ドイツ政権下においてはユダヤ人と同様に熾烈な迫害を受け、多くの同胞の生命が失われていった。戦後保障にあってはユダヤ人よりも不利な状況下に置かれ続けている。
その後もユーゴスラビア紛争、コソボ紛争などでもロマ人が迫害の対象となるなど、民族同化等の大義名分の下で行なわれた民族差別はソ連、スイスなどヨーロッパ全域に根強く残っているといわれている。

現在、ドイツやユーゴスラビアやハンガリーなど一部の国で少数民族として保護政策を受けているが、ロマ人居住地区の極貧生活は海外メディアではたびたび報じられており、その凄惨な状況は今も続いているのではないだろうか。

このあたりのことは日本ではほとんど認知されていない。日本人が「民族意識の薄い民族」といわれる一面かもしれない。
今回のロマ人送還報道のみでは詳細はわからないが、そもそもフランス国内に93人もの人数で不法滞在することになった経緯を推測すると、問題は根深いと思わざるを得ない。
戦後65年を迎えた日本。
私達に少しでも真の平和を志向する気持ちがあるのであれば、知らずに過ごしてきた世界の歴史に目を向けることが必要ではないかと痛感するのである。

【関連記事】
仏に不法滞在のロマ人93人、ルーマニアへ送還(読売新聞)
ロマ人(ウィキペディア)
日本人には疎い「民族問題」(JANJAN)

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2009年9月30日 (水)

第54回桂冠塾 『人類の議会』(ポール・ケネディ)

054 9月26日(土)に今月の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回取り上げた本はポール・ケネディ著『人類の議会』です。日本語訳は上下2巻で日本経済新聞社より発刊されています。

9月15日から30日まで国連(国際連合)の第64回年次総会が開催されている。
国連の年次総会は毎年9月に開催され、各国の代表がそれぞれの立場から独自の主張が繰り広げられる。
華やかで全世界の注目を浴びる最高の舞台であるが、議決権をもたないのが総会の特徴でもある。
今回は、「核のない世界」をアピールするオバマ・アメリカ大統領の発言に注目が集まった。一人の偉大な決意が、二人、三人と波動を起こすことを信じたい。

著者のポール・ケネディは1945年イギリス生まれ。イェール大学歴史学部教授、同大学国際安全保障研究部長。国際関係論の世界的権威で現代最高の歴史学者として知られる。ニューキャッスル大学に学び、オックスフォード大学で博士号取得。1987年に発表した『大国の興亡』は世界中でベストセラーになる。1995年にガリ国連事務総長(当時)の要請で、「国連の未来」研究作業部会の共同議長を務めた。

国連についての基礎知識

本論に入る前に、国連(国際連合)について、少し触れておきたい。

国際連合(United Nations)とは、国際連合憲章の下に設立された国際機構である。世界の安全保障と経済・社会の発展のために協力することを目的とする。多くの言語で第二次大戦中の連合国と呼称を同じくする。主たる活動目的は国際平和の維持、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。略称は、国連、英語ではUN。公用語は、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語本部はアメリカ合衆国のニューヨーク市マンハッタン島にある。

19451024日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンフランシスコで発足。国際連合加盟国は、現在192か国。最初の加盟国(原加盟国)は51ヵ国。日本は1956年(昭和31年)1218日に80番目の加盟国となった。最新加盟国は、モンテネグロ(2006628日加盟)である

原則として国際連合に加盟できるのは主権を持った国家だけである。国連憲章第2章第4条によ、安全保障理事会の勧告に基いて総会の決定によって加盟国として承認される。承認が得られなければ主権を持っている国であっても加盟できない。現在のすべての加盟国が主権国家であるが、設立当初からの加盟国であるインド、フィリピン、ベラルーシ、ウクライナ、シリアの5か国は国際連合設立当初は独立した国ではなかった。

政府間組織や非政府組織、正式に認定されていないが確かな主権を有する政府等は「オブザーバーとして参加するために招待を受ける団体 (entity) あるいは国際組織」としてオブザーバーとしての演説は行えるが、投票権は認められない。

世界75ヵ国から国家として承認されているマルタ騎士団及びパレスチナを国際的に代表するパレスチナ解放機構PLO)は、オブザーバー参加になっている。
スイス、バチカン市国は中立を保ちたいとの理由でオブザーバーとなっている。
コソボ共和国は、常任理事国のロシアが強く加盟に反対しているために加盟が困難な状況である。
ソマリランド共和国や北キプロス・トルコ共和国など、紛争地域における独立国は、国家承認をしている国が皆無または極めて少ないため、国家の存在自体が認められていない場合が多い。
サハラ・アラブ民主共和国は、アフリカ連合諸国や中南米諸国などの多くの国が国家として承認しているが、オブザーバー参加もできていない。

本書の構成

本書は、8章立て3部構成になっている。

第一部 起源
 第一章 新世界秩序に向けての困難な歩み 1815年-1945年
第二部 1945年以降の国連諸機関の発展
 第二章 安全保障理事会の難問
 第三章 平和維持と平和執行
 第四章 経済的課題
 第五章 国連の活動のソフトな一面
 第六章 国際的な人権の推進
 第七章 「われら人民」-民主主義、政府、非政府組織その他の団体
第三部 現在と未来
 第八章 二一世紀の約束と危険

第一部は第一章だけが割り当てられており、国際連合が誕生するまでの経緯が述べられている。
第二部は第二章から第七章の6つの視点で構成されており、国連の現状を理解する重要な部分となっている。
第三部は第八章のみ一章のみで、ポール・ケネディ氏の国連改革の主張と今後の展望について語られる箇所である。

各章の流れに沿って書いていくと、相当な文章量になりそうなのでどうしようかと思うのだが(^_^;)いくつかポイントと思われる箇所を指摘しておきたい。
まず第一章は、第一次世界大戦前の欧州5大国によるコンサート・オブ・ヨーロッパ(欧州協調)の評価に触れるところから実質的に書き出されていく。欧州協調は必ずしも欧州全体を鑑みるものではなく、第一次世界大戦と防ぐことはできなかった。
この構図は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟を想起させるものである。国際連盟は、第一次世界大戦の反省のうえに、大きな戦争を防ぐことを目指すが、アメリカ、ソ連の2国は自国の利益優先の姿勢を崩すことなく、ドイツ、日本の暴走を止める力など全くなかった。最終的にアメリカもソ連も連合国に参画するが、あきらかに戦後世界の勢力争いに参集するものでしかない。
そうした中で、1943年頃よりイギリスを中心として戦後世界の協調体制を目指す試みが始まる。
国際的な責任体制に参画することを嫌悪するアメリカ、ソ連の2大国をいかにして国際協調の枠組に組み込むことができるのか。これが戦後世界が成功する最大不可欠の条件であったことは誰もが認めるだろう。
こうした状況下で必然的に認められたのが「拒否権」の付与であった。
この歴史的認識を共有化するのが第一章の目的であるといってよい、と私は思う。

第二部は6つの視点で国際連合(国連)の現状と問題点、現在までの功罪を記述している。
現状として、最も関心を集めるのは安全保障理事会に関する問題である。
第二章に詳しいが、拒否権をめぐる常任理事五ケ国の行動が問題を大きくしているのは紛れもない事実である。ではその拒否権を制限すればいいのか。そんな単純な問題でないことを私たちは学ばなければならない。その点が第二章の主眼のひとつである。
拒否権を、そして常任理事国のあり方そのものを批判する国は、多い。
しかしそんな国が常任理事国になれるという可能性が提起されると、こぞって「なりたい」という。安保理の常任理事国とは魅力あるもののようである。

国連憲章には6つの機関の設置が明示されている。
憲章上では対等に位置づけられているようにも読めるが、実態は安全保障理事会がその頂点に立っている。けっして「総会」では、ない。(蛇足だが、信託統治委員会にいたっては有名無実である。)
加盟国すべてが発言の機会を得ることができる「総会」は人類の議会のイメージそのものであるが、私たちの「国連」は安全保障理事会が決定した事項を総会で追認するというのが実態である。
総会がいかに勧告を出そうとも、安全保障理事会は自分たちの価値観で無視することができる。事実、過去の歴史がそうであった。
その安全保障理事会の意思決定は5つの常任理事国に握られている。
現在、それ以外に10の非常任理事国が2年任期で交代して任命されているが、彼らは拒否権を持つ常任理事国に比べて、まったくの無力である。それは「だらしない」とかの問題ではなく、国連憲章の規定によってパワーバランスが決まっているのである。

私たちの住む日本は、そんな強大な権力を持つ常任理事国になりたがっている国の筆頭格だ。
どうして日本は常任理事国になりたがるのだろうか?
これは自民党も民主党も、同様の傾向である。民主党の小沢氏にいたっては「熱望」状態かもしれない。
ポール・ケネディ氏は安保理理事国を目指す理由は、「名誉」と「拒否権」の2つであるとバッサリ切り捨てている。
「世界平和の実現のため、世界でリーダーシップを発揮するためには、常任理事国にならなければならない」という主張には、論理的な理由がみつからない。
常任理事国になれば何ができるというのだろうか。
少し学べば誰にもわかることである。

第三章『平和維持と平和執行』は、現在の世界が抱える喫緊の問題である。
元々、各国が国連に加盟するには、常任理事会の了承を経て国連総会で承認される必要がある(加盟国の実態概要は→こちら)。

日本人の多くが理解していない事実として、国連は武力による平和維持及び平和執行活動を前提としている(国連憲章第42条)。すべての国連加盟国は国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便宜を安全保障理事会に利用させることを約束している(同43条)。日本がその特例になっているという事実はない。
つまり、もし国連加盟国に紛争が起こり、その安全保障が脅かされる場合において安全保障理事会の要請があれば、加盟国は必要な兵力を提供する義務を負っていることになる。もちろん、国連憲章は各国の国内法を優先するため、その国の法律が執行の前提になる。
この観点で現在の政府の対応を検証すると、明らかな義務の不履行が存在するといわざるを得ない。
国際の平和のために軍事力を持つ必要などは、もちろんない。
しかし、軍事力を持たないことが、紛争地域に日本国民を送り出さなくてもいいという理由にはならないのである。
民主党連立政権が主張するような「民生分野に限定した国際貢献」しかしないという主張は、国内法の根拠はないということである。
仮に日本が担当しなければ、他の国が担当することになる。
危険な地域での平和維持及び執行活動は他国に押し付けて、日本は生命の危険のない分野での貢献しかしない。
中小国であれば、それでもいいだろう。
しかし、果たしてこれで「国連の中で強いリーダーシップを発揮したい」という鳩山総理の主張が、真正面から受け入れられるかどうか...。

ソマリア、セルビア、カンボジア、ルワンダ...。
国連の平和維持及び平和執行の失敗が続く。
なかでもルワンダの失敗は国連の責任が重過ぎると言わざるを得ないだろう。
これらの紛争の中で生命を落としていった人々のことを思うと、またその同時期にその事実すら知らないですごしていた自分自身の来し方を思うと、世界の平和って何なのかと考えてしまう。日本としても、民生分野だけと言って、それ以外の検討をしないでよいのだろうか。
どんなきれいごとを言っても、世界のどこかで紛争が起こっている。
国際紛争の解決としての軍事力を放棄した日本であるが、だからと言って、紛争で苦しんでいる世界の同胞を守らずでよいのだろうか。
なんらかの責任を果たし、住民の安全を守るために働くとしたら、その業務を前提に人員を募り、訓練し、現地に赴く取り組みを検討することを提案したい。

第四章『経済的課題-北と南』は実に興味深い分野である。
「三脚椅子」のたとえのように、経済の復興、貧しさからの脱却は平和実現における大きな要素である。
しかし、この重要な分野での国連の貢献度、かかわりがどの程度有効であったかは、ポール・ケネディ氏が指摘するように、極めて疑問視すべきである。
民間の財団による貢献、そして主に自助努力で戦後復興を成し遂げたアジア諸国の成功例を目の当たりにしてきた私達から見ても大いに共感する論点である。
重要な課題であり、今後の世界平和を支える不可欠要素であるが、国連との関係という視点では、語るべき内容はさほど多くない。
しかし、経済的課題、特に南の国家発展を推進するためには、その財源の確保が不可欠である。その負担を北の先進諸国がどこまで担うのか。またそうした経済的支援を、南の国々は返済することができるのか。
現実問題として、不採算であれば継続することは困難である。

そしてここで指摘されるもうひとつの問題は、「世界の大国は本当に安保理常任理事国の5ケ国なのか」という点である。
国連が目指す、軍事的衝突がない世界が実現された暁には、常任理事国に付与された拒否権という特権も消滅させるのか。経済的大国となっているであろうインドやアジア諸国、中南米諸国が自国の利益のために国連を脱退すると言わないとは、誰が保障できるだろうか。そんな状況になった場合に、経済的大国に拒否権を付与することで国連に留まれという主張を、当事国自身が主張することも想定されるのではないか。

経済的課題の底辺には、こうした今後の国連内のパワーバランスの問題が大きく横たわっている。

そして、この経済的課題への挑戦は、第五章にも関連する地球規模の環境破壊と深く関係する。
第五章のソフト面の国連活動として取り上げているのは、女性と子供の問題、公衆衛生、人口問題、環境問題、そして文化の多様性の尊重である。「軍事」「経済」的活動をハードな側面と規定し、その対照軸として論じている。

しかし、国連憲章では、こうしたソフト的課題を担う部署は規定されていない。
必要に応じて設置された機能委員会や専門機関が精力的にその責務を遂行している。
そして、こうしたソフト面の理解、融和が世界の政治的軍事的危機を回避する大きな、かつ本源的な力になる事を、私たちは大いに理解している。
こうした活動を効果的に推進するために、「国際会議」という舞台を積極的に活用している。国際会議がもたらす効果は、実に広範囲に広がる。
ひとつの国際会議が終わる時点で、次の会議までの達成(努力)目標が決議される。それと同時に次の開催時期、開催地域が発表される。
ここは前人の智慧を大いに感じるところだ。
明確な数値目標を掲げることで、次の会議でその達成度がはっきりする。
各国が批准すらしない場合もあるが、それも各国の状況が国際的な明らかになるということでもある。
確かに、目標の不達成が続くと会議そのものの意味が問われることにもなりかねない。
しかし、それも現状に立脚するために必要なワンステップとなるだろう。

ここで取り上げられている各種団体、組織の取り組みや比較は非常に興味深い。

第六章では「人権」の課題を取り上げている。
いうまでもなく、生命尊厳という偉大なテーマと深く関係する課題である。
国連創設の精神的基底部に、ナチス・ドイツが犯した非人道的行為への激烈な怒り、人類としての反省があったことは間違いない。
その一方で、国連創設後もしばらくの間、植民地統治は続けられた。
相矛盾する行為であるが、国家というものは、人間というものは、自身の利益のためには平気で矛盾する行為もするし、エゴイスティックにもなれるということだろう。

特に民族独立を進めてきたアフリカ地域、東南アジア地域での事件は凄惨を極めた。ルワンダ、カンボジアの悲劇を繰り返さないために、私たちは何ができるだろうか。

ポール・ケネディ氏は、人権問題の分野で国連から広まる進歩の可能性として、
①指導者のレベル
②人権侵害の報告とデータ収集の強化
③国連人権高等弁務官事務所の存在による世界へのメッセージ発信
この3点をあげている。しかし、その主張は実に脆弱である。

現在の国連において、人権を大きく主張できるのは国連総会であり、国連事務総長の存在といえまいか。国連人権高等弁務官事務所を活かしつつ、総会としての運動の推進を強く期待したい。

第七章は今後の国連、世界を代表する国際機関としてのあり方について言及している章である。
いうまでもなく、国連は国家の連合体である。
前述のとおり英語表記は United Nations であり、国連軍とも訳されることもあり、直訳すれば「国家連合」を意味する言葉である。
今後の世界の潮流を展望すると、国家の枠組みでない民衆の声を代表する機関が、いかに世界を代表する国際機関の中で発言権を得て、庶民の意思を反映させていくかという大きなテーマがある。
この章では、その問題について真摯に考察が行なわれている。

そして、第三部『現在と未来』に入る。
ここは第八章「二十一世紀の約束と危険」の一章が充てられている。
ポール・ケネディ氏が提唱する様々な国連改革案が丁寧に主張されている箇所である。
この内容については、各人で確認していただきたい。
※私なりのまとめは別途記載しておきたい。( →メモはこちら )

ポール・ケネディ氏は本書の冒頭で次のように綴った。

(国連が、現実に)人類共通の善と長期的利益のために、自らの不安や利己主義を克服できるかどうかである。
二十一世紀の歴史の大半は、その課題にわれわれ全員がどう対処するかにかかっていると言えよう。

そして、次の文章で本書を締めくくっている。

数々の予想外の展開や後退、恐ろしい統治の失敗、おぞましい人権侵害、憲章の目的を尊重せず独自の道を貫こうとする政権と遭遇することも、覚悟しておかねばならない。我々はそんなことに最善の対応を妨げられることなく、「戦争の惨害から将来の世代を救う」というこの常に成否相半ばする試みの歴史をよりよくし、「基本的人権に関する信念をあらためて確認」し、「いっそう大きな自由のなかで社会的進歩と生活水準の向上とを」促進するために、知恵を絞らねばならない。
この国連憲章の前文は、まさしく正鵠を得ている。
問題は、われわれにそれができるかどうかである。

眼前の危機を乗り越えながらも、今一度、問題の本質に迫る努力を私たちは開始しなければならない。
広範囲にわたる問題群に対して、ややもすれば個々人の努力は無力であるように感じてしまう。身近であるはずの政治や行政ですら、何か大きな力の流れで動いていて、一人の人間の意見では何も変わらないように感じる今日この頃である。
ましてや、世界の平和だとか人類の幸福などと言うと、個々人が想像をすることすら無意味であるように感じるのは致し方ないのかもしれない。

しかし、である。
突き詰めて思索を重ねるならば、一人の人間における地道な意識変革と具体的行動のみが世界を変えるという、絶対的法則に行き着くのではないかと思えてくる。
ここに書かれているのは、「人類の議会」が必要だと感じた人々が行動してきた歴史であり、その具体的な方策の成功と失敗の記述である。
そして、二十一世紀の現在を生きる私たちが「何をすべきか」を考えるための一書である。

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2008年9月 3日 (水)

平和を創る人間をめざして 玉井秀樹准教授の講義を受講

8月31日(日)、今年の創価大学夏季大学講座の最終日である。
今年も玉井秀樹准教授(創価大学平和問題研究所長)の講座を受講した。
玉井准教授の講義は一昨年、昨年に引き続き今年で3年連続の受講である。
今年のテーマは「平和を創る人間をめざして」。サブタイトル「創立者の平和提言に学ぶ」とあるように、池田大作創価大学創立者の平和提言、すなわち1.26を記念したSGI提言を平和学、世界平和構築の視点から考察しようという内容である。

この内容は昨年、一昨年ともレジメには講義予定といて記載されていたが、時間切れのためであろうか多くの時間を割り当てることのなかった内容である。
大いに期待をしながら受講に臨んだ。
講義は大きく3つの視点で行なわれた。すなわち
(1)平和学の教科書としての平和提言
(2)2001年以降の平和提言のポイント
(3)第33回(2008年)平和提言で示された「宗教のヒューマナイゼーション」とは
である。

■平和学の教科書としての平和提言

まず最初に、過去に行なわれた平和提言の多くがその後実現していることの意義を見ていった。
1968年 日中国交正常化提言 → 1972年 日中共同宣言
1983年 米ソ首脳会談の提案 → 1985年 レーガン・ゴルバチョフ会談 
2004年 国連復興理事会の提案 → 2005年 国連平和構築委員会
2008年 クラスター爆弾禁止の提言 → 2008年 クラスター爆弾禁止条約
これらの実現を偶然だとか評論家的予測だか言うのは容易いだろう。これが評論なのか、この提言によって世界が動いたのか。それはそれに関わった当事者達の証言によれば明白になる。彼らは「池田先生に提言していただいた事実が大きい」と証言している。
この歴史的証言をなぜ日本のマスメディアや有識者、為政者達は正視眼で評価できないのか。ここに人間の持つ魔性が潜んでいると思われてならない。

池田先生の個々の平和提言は文章的には前半、後半に分けて学ぶことができる。
前半はその提言を行なったときの時代精神の本質を語り、後半はそのときの国際社会の課題と具体的提言になっている。
全体としては平和運動、平和問題の現状を俯瞰しつつ、その時点での最も重要な施策を抑えていると言える。
では、なぜそのことが世界の指導者達に啓発を与えることになるのだろうか。
されは多くの場合、行うことができる方策というものは検討尽くされていることが多いからではないだろうか。言い換えれば様々な多岐にわたる方策が示されはするが、その中から何を選んで実行すべきかに悩んでいる、とはいえまいか。
池田先生の平和提言はそうした判断基準とも言うべき時代精神の本質を明確にわかりやすく説き、数多くある方策の中からいま行なうべき最重要施策を優先順位をつけて提示しているからこそ、多くの指導者に受け入れられているのではないか。
講義を受けながら、そのように感じた。

講義の後半は、ではなぜ池田先生はブレことなく的確な提言を行う続けることができるのか。その疑問にも答えを見出すことができるだろう。

■2001年以降の平和提言のポイント

ここでは各年毎の平和提言のポイントを年代を追って学んだ。
どの年も重要で価値ある提言内容であるが、あえて特筆すべきは2002年の提言といえよう。前年の9月11日にアメリカ同時多発テロが起こった4ケ月余り後の提言である。
日頃ほとんど池田先生の行動を報道することのない日本のマスメディアがこぞってこの年の平和提言を取り上げた。その論調は「池田大作SGI会長 テロリストに対する武力行使を容認」という内容だった。
この表現が提言の全体像を正しく言い表しているかどうかは提言全文を読むとよくわかる。Yes-Noの二者択一的な表現によって本質が歪められる典型的な事例だ。
確かに池田先生はこの提言において、大きく踏み込んだ。
しかしその本質は変わらず仏法の中道主義にある。
それは「”殺の心を殺す”という自己規律」と人間性への信頼に基づく文明間、宗教観対話に解決の方途があるとする池田先生の本提言の主張に端的に凝縮されている。
その後の平和提言においても、無差別テロに対する戦いは「対話」の力によるしかないことが毎年のように繰り返されていくのである。それは大量破壊兵器を撲滅する戦いにおいても全く同様である。

こうした平和提言の流れの中で本年2008年の第33回SGI提言を見ていく。

■第33回平和提言で示された「宗教のヒューマナイゼーション」とは

今年の提言にあって、大きくクローズアップされた概念が「宗教のヒューマナイゼーション」である。
池田先生は提言の中で次のように述べている。

私どもが標榜する人間主義とは、使い古されてすっかり手垢のついてしまった、それ故さしたる共鳴を響かせなくなってしまったヒューマニズムではない、万事に「原理」「原則」が「人間」に優先、先行し、「人間」はその下僕となっている、そうした”原理主義への傾斜”と対峙し、それを押しとどめ、間断なき精神闘争によって自身を鍛え、人間に主役の座を取り戻させようとする人間復興運動なのである。

この意味を現実の闘争の中で咀嚼し、行動の基盤としていけるか。
そこに私達の挑戦の本質があるといっても過言ではないと思うのである。

講義の中では、平和学、平和運動の現状や紛争解決研究などについても紹介があった。
紛争は危機でもあり、機会でもある。
発想の転換の重要性。
環境の悪化は経済格差(貧困)の拡大と密着している。等々...。
様々な気づきをいただいた講義であった。

講義の中で1992年の国連総会で演説した12歳の少女のスピーチを映像とともに聞いた。
「子どもでもわかることがなぜ大人のあなたたちにできないのか?!」
心に突き刺さる言葉であった。

名古屋の永田さんとも初めて顔をあわせて挨拶もでき、有意義な一日となった。
次の受講の機会を楽しみにながら創価大学をあとにした。

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2008年8月 6日 (水)

広島原爆投下から63年目の夏

今年も8月6日の朝を迎えた。
今から63年前の今日8時15分。
広島市の上空で人類の歴史上初めて原子爆弾が使用された。

今年の8.6も暑かったが昭和20年も暑い一日だったという。
この一年で新たに確認された死亡者は5302人。死没者は25万8310人にのぼった。
今年4月には原爆症認定基準が大きく改定された。
原爆投下後に市内に入って残留放射線によって被爆した被害者の認定、被爆後に海外に転出した被害者の認定などが認められることになった。日本国政府としての方針が拡大されただけであり、まだ司法判断がどうなるか予断は許さない状況ではあるが、大きな前進であった。
今回の認定基準変更で対象者は10倍に広がるという見方もある。しかし原爆被害の現実がそうだったということだ。更なる認定基準の見直しと被害者救済は続いていくことになる。

いまも世界の各地では紛争がおこなわれている。
幸いにも日本においては武装した勢力による紛争戦争は存在しない。しかし一方では、精神的崩壊は加速度的に増加し続けている。
こうした現代的病理の解決方策は果たして存在するのだろか。
事実を正視眼でみつめることから真実の行動がはじまる。
広島、長崎への原爆投下を決定し実行したのは人間だった。
私達が現実に立ち向かっているのも人間自身である。

遠い回り道のようであっても、一人の人間における生命の変革が社会と世界を平和へと転換する唯一の方途であるように思えてならない。
63年目の原爆投下の日を、自分自身の小さな、しかし長い目で見たときには大きな一歩となるだろう現実の行動を確実にはじめる決意の日としたい。

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2007年9月10日 (月)

原水爆禁止宣言50周年記念シンポジウム

20070908 もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でもそれを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。(『原水爆禁止宣言』より)

1957年9月8日、台風一過の三ツ沢公園陸上競技場で、戸田城聖創価学会第二代会長はいかなる理由であれ原水爆の使用は絶対悪であり、使用者はことごとく死刑にすべきであるという宣言を発表した。
戸田城聖先生は強硬な死刑廃止論者であったことは有名である。その戸田先生が「死刑」を主張までして原水爆廃絶の思想を全世界に広めようとした真意はなんだったのだろうか。

ちょうど50年後にあたる9月8日(土)に開催された「戸田城聖先生原水爆禁止宣言50周年記念シンポジウム」に参加した。13時15分からのビデオ上映の後、13時35分過ぎから開始。創価大学S201教室の会場は定員520名だが次々と一般市民の方々が来場し別教室(S101)に音声中継を行ない収容するなど1200名余りの参加となった。

基調講演は明石康・元国連事務次長。
国際的な核軍縮の現状を様々な視点から考察、NPTの取り組みやCTBTにおける核保有国の独善性を糾弾。カットオフ条約はその後の進展がみられないが、核非保有国による非核地域の広がりを評価し北東アジアでの非核化が当面で課題であると指摘した。
「我々は核廃絶の熱意を失ってはならない」という明石氏の訴えは心に残った。
日本だけでなく国際的平和が必要とされており、国連を中心とした平和構築が重要であると述べ、一国平和主義の流れが出てきた日本の現状はとても気になると指摘。その意味でも戸田城聖先生の原水爆禁止宣言は今だもって輝きを失っていないのみならず、池田大作SGI会長の提言を先頭として全世界的な広がりをもつ創価学会の活動に大いに期待し評価していることを述べた。

その後、小出稔、中山雅司、西原祥子各氏による報告が行なわれ、原水爆禁止宣言の意義、国際法から見た核兵器使用の問題、原水爆の生物に及ぼす影響や平和利用の可能性について等が論じられた。
その後休憩をはさんで、質問票によって参加者から寄せられた数多くの質問に関して応答があった。
原子力の平和利用に関しての質疑では参加者の中に水素発電の実用化に7ケ国共同で取り組んでいる方がおられて50年後の実用化を目指して研究が行われている報告もあった。

核抑止論の幼稚な論理が横行した20世紀。しかし9.11事件に象徴される核テロリストの存在に対して有効的な論理を持ち合わせていないアメリカは、ピンポイントで地下に打ち込む限定核使用の研究を始めている。
中途半端な理性を根拠とした核抑止論による「使えない核」保有から「使える核」開発に踏み込んでしまった核保有国の暴走をとめることが私達にできるのか。
私たち個人がいったい何ができるのか。
これが参加者の多くの思いだったに違いない。
中山雅司教授は、核の「必要悪」から「絶対悪」への転換、「平和を願うならば平和の準備をせよ」という思想を伝えることを強調。明石氏は民間レベルでの対話、すなわちセカンドトラックでの対話の推進を呼びかけた。

核保有国は核の必要悪、核抑止論を捨てない。
しかし彼らを含めてほとんどの人は核兵器は悪だと認めている。
私たちは更に踏み込んで、核兵器の絶対悪の思想を広めるために対話を繰広げたい。
それが意見の対立になり、感情的分断に陥る危険に直面したとしても、相手の気持ちを思いやりながら自ら歩み寄り、分断から団結へと変えていくという、とても困難でしかし単純な行動の持続が求められている。

原水爆禁止宣言50周年にあたり、私たちの使命を今一度確認しあって地道な対話を少しずつでも日々続けていきたい。それが「遺訓の第一」とした戸田城聖先生の平和実現の思いに答える道ではないだろうか。

【関連リンク】
恒久平和への挑戦
戸田記念国際平和研究所
創価大学平和問題研究所

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2007年8月27日 (月)

平和学とは何か 玉井秀樹氏の講義を受講

今年の夏季大学講座は第2日(8月25日)にテーマ「平和学とはどのような学問か」講座を受講した。
講師は創価大学平和問題研究所の玉井秀樹准教授。
玉井准教授は昨年はじめて夏季大学講座で担当され、その講座を受講して非常に感銘深く学ばせていただいたので、今年も受講させていただきました。

皆さんは平和学という学問はどういうものだと思うだろうか。
平和学という学問領域があることを知らない人も少なくないかもしれない。
ましてや平和学の講義を聞いたことがある人は一握りではないかと思う。

玉井准教授の講義は、2度の世界大戦の反省から平和学がうまれてきた歴史的経緯、ストックホルムアピール、ラッセルアインシュタイン宣言、戸田城聖原水爆禁止宣言、冷戦からポスト冷戦の中でブラッシュアップされてきたピースビルディングの考え、平和構築における重要な出来事があった1979年と1989年、平和構築支援プロセス、今日的課題としての平和構築などを俯瞰し、その根源にある人間性の確立、人間主義の行動準則に至る、様々な実例と相反する理論をわかりやすく紹介しつつ、明瞭な理論を展開。具体的な方策展開の着眼として創価大学創立者である池田大作SGI会長の平和提言に込められた意義と先見性に注目。スポンヴィルの人間社会の多層秩序から暴走する人間を制御する観点からも、創価の人間主義、平和主義の重要性を展開されていた。素晴らしい内容であった。

また、国連のあり方、ある国連加盟国が戦争を起こした場合に他の加盟国が行なうと規定されている軍事行動について、ソマリアでの集団的暴力行為、IAEAの日本への疑惑、瓶の蓋論など、次々と起こっている重大事象を指摘。
紛争のない日本で生活している私達にとって、個々の事象それ自体が衝撃的である。
それ以上に、個々の事象を断片的にみれば180度違う論理だって主張することさえできるし、事実、そのような主張が国際社会では平然と行なわれている。
総合的に把握し、行動を決定する、人間としての良識の重要性を痛感した。

今年の講義を受講して「平和とは何か」という根本問題について大きな気づきがあった。
「平和」の対極になる概念は何か。
多くの人は「戦争」「争い」等と答えるのではないだろうか。
しかし戦争がない状態だけで平和といえるのか。決してそれだけでは平和とはいえない。
このあたりまでの思考であれば、多くの人ができる。
それでは、どうすれば、どうなれば、真に平和が実現したといえるのだろうか。
その答えに到達するためのひとつの入口が「平和の対極にある概念を定義する」ことにあると感じた。

ヨハン・ガルツゥング氏は「平和」の反対概念を「暴力」と定義している。
直接的な暴力を排除するだけではなく、精神的な暴力も、構造的な暴力も、人間が潜在的に持っている可能性を妨げる全ての働きが、すべて暴力なのだ。

平和ではない状況を生み出してしまう主たる要因には病気や貧困がある。
ならば、病気や貧困をなくせばそれで平和になるのか。
なくすだけでは、またいつか再発してしまい、非平和状態に落ちていってしまうのではないか。
そうした疑問が、永く自分の中にあったのも事実だ。
「平和の対極は暴力である」という考えを元に再度自分自身の思考を再構築すると、やるべき方策が大きく変わってくる。
病気や貧困をなくすためにワクチンや金銭的支援をすることももちろん重要だが、その状態を発生させない構造構築がより重要なのだ。
そして更に重要なのは、そのような悲しむべき構造状況が発生したときに、自ら改革する強い意志と行動を持った人間性を醸成することである。

ある意味で、平和の実現とは全人類共通の目標だろう。
私たち一人一人の人生の目標も、ここに基準をあわせて考え直すことでより多くのことが見えてくるのではないだろうか。
平和学は学者のための学問ではない。
政治家のためだけの実学でもない。
私たち庶民一人一人の究極の目的を、学問の目で追求した行動的理論構築の試みではないだろうか。
真の平和を考え、行動することで、個々人の人生の目標も定まってくる。
そんな感慨を深くもつことができた、真に有意義な受講であった。

平和学の目標や方策アイデアは相当議論されていて、やるべきことは明確になっていると言ってもいいかもしれない。
「誰がみてもやるべきことはわかっている。
 核兵器はないのがいいに決まっている。
 戦争がなくなればいいと誰もが思っている。
 しかし、わかっていることが実現できない。
 その壁を乗り越えるのが私たちの使命だ。」
講義の中で玉井准教授が訴えていた言葉が、深く心に刺さった。

玉井秀樹准教授。
これからも夏季大学講座で毎年担当いただきたいのはもちろんとして、いろいろな機会で平和について声を大にして語って下さい!

〔関連リンク〕
2007年度夏季大学講座
個人的な案内ページ http://www.prosecute.jp/keikan/2007summer.htm

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2007年8月15日 (水)

62年目の夏

62年目の終戦記念日を迎えた。
戦後日本も還暦を過ぎた年齢になった。
ここ数年、個人的な関心もあってピースビルディングについて学ぶ機会を持っている。直訳すると「平和構築」と表現される。
以前に紛争予防と呼ばれていた概念等を中核にして、真の平和とは何かと模索し現実の世界に安心して暮せる社会を実現しようという平和学の中核概念だと理解している。
私の大学時代の同級生が準教授としてこの分野の研究を牽引していることもあって、数年前から継続して学んでいるが、このピースビルディングの思想が今後の地球規模の平和構築の主幹を成していくことは国際的な共通認識である。

平和とは、単に紛争がない、軍備を縮小するという単視眼的な、表面的な事象だけでは実現できるものではないのは自明の理だ。
その大きな要因には貧困の解消、病気の減少、人権問題の解決、水問題を含む環境問題など、生命に直結する諸課題が含まれている。
その現実の運動のオピニオンリーダーは国連だ。
事務総長が交代して、今後の活動がぼやけている印象もあって少し不安材料もあるが、その国連の中で中核的存在として活動しているのが国連公認のNGO団体だ。
私たち日本人はその事実をほとんど知らない。
日本のマスメディアの不勉強のゆえか全く報道されないからであるが、メディア報道に依存し主体的な発想をしない日本人の日常意識にも大きな問題がある。

私たちが目指すべき将来の社会とはどうあるべきか。
そのために、今、自分が何ができるのか。
具体的な一歩を踏み出すきっかけの一日としたい。

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2007年5月15日 (火)

沖縄本土復帰35周年

沖縄が日本に復帰して35周年を迎えた。
第二次世界大戦の敗戦処理の中で、アメリカの統治下に置かれた沖縄が日本に復帰したのは、戦後27年が経った1972年(昭和47年)5月15日。
米軍統治の影響はいまだに残っており、在日米軍基地の大半は沖縄に集中している。
国内で唯一の民間人を盾にした戦争被害の地でもある。

そうした歴史を持つ沖縄の人達は平和への意識が高い。
現代の日本にあっては、沖縄、広島、長崎の人達以外の平和意識は極めて脆弱になっているのではないだろうか。
そんな平和を希求する沖縄だが、所得水準は日本全体の平均よりも低い。アメリカ軍に関連した職業に従事する人も多く存在する。平和を望み、軍隊撤退を要望しつつも、アメリカ軍基地が一斉になくなると路頭に迷ってしまう庶民が多発するのも沖縄の現実だ。

ビジネスのグローバル化が言われて久しい。
私達も何かできることがないのか、自身に問い直す契機にしたい。

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2007年1月 5日 (金)

目下の課題に生きる人に

2007年明けましておめでとうございます。
今年の正月も私の生まれた岡山で親子3人に私の両親、兄家族と揃って迎えました。年末の29日に初雪が降りました。未明に大きく積もり、その後1日かけて降ったりやんだりが続き18cmほど積もりました。

新年は素晴らしい快晴で迎えました。
本年は自分自身から、今いる場所で、目下の課題に全力で生き切ってまいりたいと決意しております。
一人が変わっていくことが社会と未来を創っていくことができる。
またそうした地道なひとつひとつの行動を続けていく皆が、ひとりももれなく持続して幸せに暮していける社会にしたい。
そう願う2007年の年頭です。

本年も誠心誠意頑張ってまいる所存です。よろしくお願い申し上げます。

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