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2014年2月18日 (火)

第106回桂冠塾 『復活』(トルストイ)※前半

106 2月15日(土)に2月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今月と来月の2回でトルストイ作『復活』を取り上げます。

■作品のあらすじ(前半)

主人公のドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵は陪審員として参加した裁判で殺人罪で起訴されたカチューシャに再会し衝撃を受けます。
彼女は若き日のドミートリイ欲望の対象とされて、妊娠。それを境に身を持ち崩したカチューシャは売春婦となり、遂には殺人事件の容疑者になっていました。
そしてその裁判で、殺人容疑がないと思われていたにもかかわらず、不注意や不手際が重なってカチューシャは有罪判決を受けてしまいます。

ドミートリイは過去の行いを悔い、彼女を救うことを決意し奔走し始めます。
カチューシャと面会する中で、刑務所に収容されている人々を取り巻く様々な矛盾、冤罪の実態を目の当たりにし服役者から救済の嘆願を受けるドミートリイ。

その一つひとつに誠実に向き合う中で、ドミートリイにとって人生をかけて取り組むべき3つのテーマが掲げられます。
・土地を百姓達に与えること
・カチューシャを助けて自らの罪を償うこと
・裁判と刑罰について何らかの結果を出すこと
これらの真実を求めて、ドミートリイは自らの行動を起こします。

このあたりまでが作品前半のあらすじになります。

■作品のモチーフと若き日のトルストイ

新潮文庫版の訳者でもある木村浩氏は、作品の解説として『復活』の創作過程を綴っています。この作品のモチーフはトルストイの友人の検事が見聞したエピソードが元になっているとのこと。

両親を亡くした娘ロザーリヤが裕福な婦人姉妹に引き取られて暮らしていたところに、親戚の大学生が遊びに来て誘惑されて妊娠して出産すると、家から追い出されて娼婦に堕した。その後ロザーリヤが窃盗の罪で裁判が行われるがそこに彼女の堕落のきっかけを作った青年がいた。彼はロザーリヤとの結婚を望むがロザーリヤは固辞する。その最中に彼女は発疹チフスで亡くなってしまった...

このようなエピソードにトルストイは強烈な関心を持ったと書かれています。『復活』におけるメインストーリーはまったくこの通りといってよいでしょう。
よく知られていることですが、若き日のトルストイは必ずしも聖人君子ではなかった。それはトルストイ個人に由来するとは言い切れない要素があるため、そこのことをもってトルストイの人間性を批判することはあってはならないと思いますが、事実として女性蔑視の時期があった。

それはロシアという文化風土の成せる罪であったとも言えるでしょう。
農奴制が形こそ廃止されてはいたものの、その国土と国民、なかんずく貴族階級の者達には、庶民階級の人々を私物化し、その犠牲の上に豊かな生活を送るという生活習慣には大きな変化がなかったとみるべきだと思います。
そんな時代に青年時代を送った若き日のトルストイが、特に深い考えもなく、領民の女性達を自らの性の対象とした。
そんな自らの悔恨が、ロザーリヤを犯した大学生に重なってドミートリイが生まれた。その意味でも、ドミートリイの言動には、トルストイ自身が投影されているとみてよいと感じます。

その思いがこの作品のもう一つのストーリーとして展開されます。
ドミートリイとカチューシャの愛情物語といういわば表のストーリーに加えて、トルストイはこの作品を通して後半生で持ち続けてきた人生のテーマに迫ろうとします。

この展開については3月の桂冠塾で語り合ってみたいと思います。

【当日の開催内容等はこちら】
http://www.prosecute.jp/keikan/106.htm

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2014年1月28日 (火)

第105回桂冠塾『シンドラーのリスト』(トマス・キリーニー)

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本年は世界の民衆を巻き込んだ第一次世界大戦の開戦から100周年、そして来年は第二次世界大戦の終結から70周年という節目の時を迎えます。

第一次世界大戦は、1914年から1918年に行われてしまった人類史上初の世界規模の戦争。ヨーロッパが主戦場となりましたが、戦禍はアフリカをはじめ、中東や東アジアまでにもおよび、多く国々が参戦をした世界規模の大惨事となりました。

そうしたことも踏まえて今年最初の本として『シンドラーのリスト』を取り上げました。

第二次世界大戦下で行われたナチスドイツによるユダヤ人の強制収容政策。
その渦中にあって、多くのユダヤ人の生命を救った人物がいました。その一人が本作品の主人公であるオスカー・シンドラーです。

この作品を映画を見たという方も多いと思います。舞台は1940年代のポーランド。第2次世界大戦の最大の悲劇と言われたナチスドイツのユダヤ人大虐殺から1200人ものユダヤ人の生命を救った、軍需工場を経営するドイツ人オスカー・シンドラーを主人公とした実話です。 ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られています。

■作品のあらすじ

1939年9月。ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフもドイツ軍の占領下に置かれた。ユダヤ人を激しく蔑視するナチス党政権下のドイツ軍はクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットーの中へ追放します。
そんな中、ナチス党の党員でもあったドイツ人実業家オスカー・シンドラーが、クラクフの町へやってきます。彼は戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取ってDEF(ドイツエナメル容器工場・別名エマリア)の経営を始めます。

有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンに工場の経営を任せ、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でナチス親衛隊将校に取り入って自らの事業を拡大させていくオスカー・シンドラー。

クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長は、残虐な親衛隊将校アーモン・ゲート少尉。ゲートとその部下の親衛隊隊員達は、ゲットーや収容所において、ユダヤ人を些細な理由にもならないようなことで次々と殺戮していきます。シュターンを初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫ります。ゲットーでおこなれている事実を目の当たりにした時、軍需工場の受託も取り付け、金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じます。

シンドラーはユダヤ人の生命を救うためにユダヤ人を次々と熟練工という名目で雇用していきます。将校達への接待を繰り返し、いかにももっとらしい理由をまくしたてながら処分されかかった多くのユダヤ人を助けるシンドラー。ゲットー内へ強制収容になる発表があると、生産性を維持するという名目で工場内に宿舎を建設し、ユダヤ人労働者の生活を守ったのでした。
ユダヤ人の間では、シンドラーの工場で雇用されれば生命が助かるという話が次第に広まっていきます。そしていつしかユダヤ人従業員は自らのことを「シンドラーグループ」と呼ぶようになっていきます。

クラクフ・プワシュフ強制収容所が解体されることが決まり、ユダヤ人のアウシュビッツ収容所への移送が決まると、シンドラーは自らの工場を新たな土地ブリンリッツに移転する計画を実行し、ユダヤ人従業員のアウシュビッツ移動を阻止しようとします。
数々の障害が立ちはだかり、手違いでシンドラーの工場の女性労働者がアウシュビッツに送られてしまいますが危機一髪のところで救出に成功し、女性達も無事にブリンリッツに辿りつきます。

シンドラーの新工場では兵器部品をほとんど製造することもなく、終戦を迎えます。
戦争に協力したとの嫌疑がかけられる危険があるシンドラーは、終戦の時刻を迎えると逃走します。シンドラーの身の安全を図るために8人のユダヤ人従業員が同行します。
その直前までシンドラーはユダヤ人従業員のために工場に留まります。そして同胞としてユダヤ人達に希望を持って生き抜くことを語りかけます。

戦後のシンドラーは成功者ではありませんでした。
様々な事業を手掛けますがことどとく失敗します。
しかし多くの「シンドラーグループ」の人達に支えられて66歳で幸福な人生を閉じます。
彼の功績は、テル=アヴィヴ市の英雄公園の表彰碑として、そしてイスラエルから「正義の人」として現在に至るまで顕彰され続けています。

■シンドラーを突き動かしたものは

オスカー・シンドラーの活躍は彼の66年の人生の中において、1939年から45年までの短い期間に限定されています。
その限られた年月の中で、当初は慎重に行動しますが次第に大胆に、時には隠すことすら忘れたかのようにユダヤ人の生命を守ります。

この時代にナチスドイツの狂気からユダヤ人を保護したり援助した人は数多くいました。誠実な人生の選択をしたその人達の数は一説には1万人を超えると言われています。
「アンネの日記」を残したアンネフランク家族を守ったミープ・ヒースも有名になっていますし、救った人数の多さでは10万人の生命を救ったといわれるワラル・ワレンバーグや日本人外交官の杉浦千畝が発給した「生命のビザ」で6000人のユダヤ人が難を逃れたことも有名です。

そうした人達とオスカー・シンドラーとの間には共通する生命尊厳の思想、同じ人間として誰であっても差別しない哲学を感じる一方で、何か違う本源的なものがあるようにも感じてなりません。

その違いとは何か。

作品を通して語られているように、オスカー・シンドラーという人物は聖人君子ではないことは明白です。もっとはっきり言えば、一貫して「俗人」の人生を送っています。お金儲けが好きで、女性が好きで、お金があれば豪遊もするし仕事を得るために賄賂や付け届けすることは日常茶飯事でまったく違和感を感じていない。
戦争が始まった当初は、仕事に有利だからという理由でナチス党員にもなっている。
自分の誕生日には朝から祝杯をあげて一日中パーティをする姿は子供のようです。

その無邪気ともいえる素直さがオスカー・シンドラーの本質だったのかもしれません。

自分でもよくわからないが何かが違う。
自分が生きてきた祖国ドイツの姿はこんなものではなかったはずだ。
みんなが仲良く楽しく生きていこうじゃないか。
人として恥ずかしくない生き方をしようじゃないか。

そんな思いだったではないかと思うのです。

■オスカー・シンドラーの偉大さとは

「シンドラーからは摘発されることに対しての不安や恐れを全く感じない」
当日の参加メンバーからはそんな指摘がありました。
その点については実に不思議です。

現在では、当時の情勢下でナチスドイツに抵抗してユダヤ人を守った人達も多くいたことが判明しています。抵抗したその人数は1万人を超えたという指摘もあります。
その中には、救ったユダヤ人の人数はオスカ・ーシンドラーよりもずっと多かった人もいます。杉原千畝氏などもその一人です。

しかし彼ら彼女達と根本的に違う状況がオスカー・シンドラーにはあった。
それは、彼がある意味で有名人であり、彼の言動は明白で誰もが知っているため、彼が持つ意図を指摘されてしまえば、彼自身が即刻アウシュヴィッツ送りにされる状況下にあったという点だと私は思います。
多くの抵抗者は、その行為そのものは秘密裏に行なっているか、その行為をナチスドイツから非難されても身の安全を確保できる立場にいたか、いずれかの状況だった。
唯一といってよい例外がオスカー・シンドラーであった。
彼はそんなわずかな微妙なバランスの上に立っていたのです。
そして彼は、そんな自身の身の危険など振り返ることなく、自らの心のままに行動し続けたのではないでしょうか。
その結果として、多くのユダヤ人の生命が生きながらえた。
自らの信念を信じ抜き、その信念の実現のために、そして自身ではなく他者のために行動し抜いたオスカー・シンドラー。
その姿に私達は心の底から共感するのではないでしょうか。

【当日の開催内容等はこちら】
http://www.prosecute.jp/keikan/105.htm

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2013年12月28日 (土)

第104回桂冠塾 『クリスマス・キャロル』(ディケンズ)

1042013年最後の今月取り上げた本はディケンズ作『クリスマス・キャロル』です。

欧米ではとても有名で「クリスマスブックス」として子供達に読み継がれてきた作品です。 日本では読んだことがない方もそれなりにおられると思いますが、短編でわかりやすいストーリーですので、12月のこの時期に是非一度読んでみていただきたいと思って取り上げてみました。

■親しみやすいストーリー

ある年のクリスマスの前夜。
冷酷な商人スクルージの前に7年前に亡くなった元共同経営者マーレイの亡霊が現れ、スクルージの人生を悔い改めさせるために明夜から3人の精霊が現れると告げます。

この精霊は
「過去のクリスマスの精霊」
「現在のクリスマスの精霊」
「未来のクリスマスの精霊」です。
精霊はそれぞれの時代の、彼が縁をしたそれぞれの場面に、スクルージを連れていきます。

かつてどんな思いで生きてきたのか。
自分はどんな思いで仕事をしてきたのか。
過去の出来事を目の当たりにして、スクルージは忘れ去っていた自分自身の気持ちを思い出します。
そして、冷徹に接してきた身近な人達に謝罪し、施しの人生に劇的に転換していきます。

ある意味、とてもわかりやすいハッピーエンドの物語です。

■実際には難しい生命変革

作品の冒頭で、スクルージがどれほど冷酷で強欲な商売人であるか書かれていますが、実はそれほど歪み切った人間ではないと思います。
スクルージは、まず最初に「過去のクリスマスの精霊」によって、自身の若かりし時代に連れて行かれますが、その時代に到着するとまもなく、スクルージは当時の気持ちを思い出して涙を流し始めます。
実に、素直で感じやすい生命の持ち主と言えるでしょう。
人間というのは本質的には素直なものなんだということが言いたいのかも知れないかもなぁとと思いつつも、「あれっ?スクルージって強欲な歪んだ性格じゃなかったの?」と思ってしまいそうな場面でもあります。

では現実の人間は?というと、自分の過去の姿を見せられたくらいでは改心などしない人が多いのではないかと思ってしまいます。
「世間を知らなかった頃は純粋だったんだよ」
「様々な経験を繰り返せば、邪悪な人間も多いことを知るんだよ」
「現実の生活は親切な心だけでは生きていけないしね」
等々、様々な声が聞こえてきそうな気もします。

現実の社会では、全くその通りだと思いもします。
その一方で、西洋社会では子供達を中心に連綿とこの作品が読み継がれてきたことも、また事実でもあります。
善を施せば必ず良い結果がもたらされる。
そこには、人間の善性を信じ切ることの大切さも含まれていると思います。
しかし一方でジギルとハイド的な2面性を克服できないという現実も横たわっているように感じられてなりません。

長年かけて形成されてきた人間の生命の傾向性というものは、ちょっとやそっとでは変えることができないものです。その人の「生命のくせ」とでも言うのでしょうか。変えたつもりでも、いつの間にか元に戻っている...。そんな無意識ともいうべき生命の傾向性ですが、自身が変革するためには劇的に変えなければならない瞬間があるのだとも思います。

■変革は自分の決意次第 心こそ大切

一方で、しょせん心というものは自分の気持ち一つでどうにでもなるとも言えます。
他人から強制される環境であれば少し話が違うとも言えるかもしれませんが、それであったとしても自身の心までは壊されることはできない。
かつてガンジーが発した心の叫びでもあります。

白か黒か。
善か悪か。
人間の生命や人生そのものは、そんな二者択一ではない。
人生の当事者である自分であっても、自分がどう感じているか、どういう人生を送りたいのか、はっきりと自覚できないようなことのほうが多いようにも感じます。
かつて多くの先人が話してきたように、Yes-No、是か非かを求められる物事であっても、多くの場合は1対ゼロやゼロ対1のように明確なことはそれほど多くはない。
その内面においては「49対51」と「51対49」あたりを行ったり来たりすることが多いのではないか。
決して諦めることなく、また出てしまった結果に紛動されることなく、自分の思う決意を忘れずに地道に前進し続けることが人生そのものではないか。
私は、常々そのように思うことがあります。

また、一人一人のそうした心の動きを感じてこそ、多くの人達と触れ合って生きていくことができるのではないかと思います。

■クリスマスの淵源を考える

ちなみに当日の参加メンバーから「この作品はキリスト教的な教示を伝えるためという側面もあるのでしょうか」という発言もありました。
クリスマスはキリストの降誕(誕生)を記念する日とされていますので、そのように受け止める向きもないわけではないと思いますが、必ずしもキリスト教の教示のための作品というわけでもないと思います。

そもそもクリスマスがどのように西洋の家庭で行なわれてきたのか。
そのあたりを知ることから始めるとよいのではと思います。
今回はそこまでは論じることはしないでおこうと思いますので、興味のある方は調べてみるとおもしろいと思います。
ちなみに比較的わかりやすくておもしろいと思う本を紹介しておきます。

『誰も知らないクリスマス』舟田詠子作(朝日新聞社)
『サンタクロースの謎』賀来周一(講談社+α文庫)

今回初参加の松浦さん、ありがとうございました。
明年も継続して開催してまいります。
良いお年をお迎え下さい。

《当日の開催内容などはこちら》
http://www.prosecute.jp/keikan/104.htm

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2013年9月12日 (木)

第100回 桂冠塾 『野火』

1008月24日に8月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回で100回目の節目を迎えました。
各回に参加いただきました皆様に感謝申し上げます。

さて今回取り上げたのは大岡昇平作『野火(のび)』です。
作品は昭和19年11月末にレイテ島に上陸した日本陸軍の田村一等兵の独白の形で構成されています。

太平洋戦争の激戦地

レイテ島とその周辺海域は、太平洋戦争最大の激戦地のひとつです。
1944年10月20日ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍がレイテ湾に上陸。
レイテ島がフィリピン戦線の主戦場として攻防が繰り広げられます。
物量に勝るアメリカ軍は日本軍の物資と兵員の補給路を完全に断ち、孤立した8万人余りの日本軍兵士がほぼ全滅するという惨劇の結末を迎えました。レイテ島からの生還率は3%ともいわれています。
大岡昇平氏は自らの従軍体験を元に、この作品を書き上げています。

精神の極限

主人公田村一等兵は以前から罹患していた肺病が悪化し野戦病院に行かされますが、受入れできない病院から拒否され、部隊からも放逐されてレイテ島の山野を彷徨します。
日本軍がパロンポンに救出に来るという軍命令を伝え聞き、多くの日本兵が分断された道なき道をパロンポンに向かいます。
人が目の前で次々と死に、腐敗した死体が散乱する極限状態の中で、田村は自らの生への執着と絶望の狭間を行き来し、精神的にも異常な状態に陥っていきます。
自らが生き延びるために現地人の女を殺傷した田村。
そしていつしか田村の目は屍体の臀肉を追っていた。

そして同僚が食料として「猿」を狩猟して食する場面に至って、田村は自身の精神的均衡が崩壊することを悟ります。

日本兵による人肉食

この作品が注目された理由として第一に挙げられるのは、日本兵による人肉食が描かれている点にあります。
作品の中では、田村一等兵が懺悔もしくは生への執着が消えた虚脱の思いから、一旦は全ての生あるモノを口にすることを拒絶するシーンが描かれます。その直前、田村は飢餓と狂気によって屍体の臀肉を食する欲望に屈しかけます。それを押し止めていたモノは理性でも神への信仰でもなく、見られているかもしれない「人の目」でした。
森に散在している臀部の肉が削ぎとられた屍体は、ある事実を田村に語りかけるわけです。
そして田村は、死ぬ直前に「食べてもいいよ」と言い残した日本兵の屍体を、人目の付かない場所に移動します。
それでも食べることができない。「食べていいよ」という言葉が禁圧として働く。
おれは本当に食べるのか。
蠅がたかって屍体が見えなくなると安堵した。
山蛭が太っていく。
田村はその屍体の血で太った山蛭を押しつぶして血をすすった。

田村は思う。
人の屍体を食べることと、山蛭と介して血をすすることに違いがあるのかないのか。違いなどないではないか。
田村は屍体の肉を食しようと右手に剣を握る。
その瞬間、その右手を田村の左手が押し止めたのである。

「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむることなかれ」

田村が聞いたのは自身の心の声なのか、それとも天か神の声だったのだろうか。

その後田村は、一切の草木すら口にせず、死んでいくだろう運命に身を任せようとします。そんなときに以前行動を共にしていた日本兵永松に抱き起こされます。
田村は、永松の水筒の水を飲み、差し出された「猿」の干し肉を食べた。
決意していた禁欲はどこかに消え去っていた。

そして後日、田村は知ることになる。
その「猿」とは人間のことであるという事実を。
さらに永松が「猿」を狩猟する場面に遭遇する。周囲には足首や食に適さない人の部位が切り捨てられていた。
そして自分達二人の食料にするために目の前で同僚の殺人を行い手首と足首を打ち落とした永松に、田村は銃口を向ける。
田村の記憶は、ここで途切れている。

田村はアメリカ軍の俘虜病院に収容され、敗戦後の昭和21年3月に復員。5年後に東京郊外の精神病院に入り、今こうしてこの手記を書いている...。
そんな結末に至ります。

食べてよい生命と食べてはいけない生命があるのか

その当時を実際に見ていない私達は、人肉食の事実があったのかどうかを論じることは避けたほうがよいのかもしれませんが、現在残っている様々な手記や文献から推察すると、太平洋戦争末期において日本兵による人肉食が行われたことは事実を考えるのが妥当なのだろうと思われます。
ただ、その事実(と思われる)の是非を論じることが主眼ではない。

人肉を食べてまで生き延びることが是なのか。
もし人肉は食べていけないとすれば、人肉の血で太った山蛭から絞って血を飲むことは許されるのか。
さらには、人間が生きていくために多くの生ある動物を食べていいのか。
もっと言えば、動物がだめで植物ならいいのか。

現実は何も食べなければ、人は生きていけない。
なにがしかの形で、他の生命を食して自分自身の生命を長らえているのである。
食べていい生命と、食べてはいけない生命という区分はあるのか。
生命にそうした差異や価値の違いがあるのだろうか。

真正面から、生きていくということの根本命題を顔面に投げつけている。
それがこの作品の本質ではないかと感じます。

■キリストの声を聞いた田村

作品の中で大岡昇平氏は、田村一等兵に人肉食を思いとどまらせた要因はキリスト教の信仰であると思わせる文脈を綴っています。
大岡昇平氏がキリスト教徒であることは知られた事実であるし、作品中でも個人の快楽や生への執着に対して「デ・プロフンディス(われ深き淵より汝を呼べり)」tの聖書の一節で警句を鳴らすシーンを描き、最終章においては戦場の赴いたことも含めて、様々な体験は全て神が彼に与えた試練であると田村が気づくというストーリーとも読める。
だから最終行が「神に栄えあれ」の一文で締めくくられているのだとも読めると思います。

それが大岡昇平氏の意図であるとすれば、田村一等兵は人肉食という地獄の淵から覗いていた悪魔の誘惑に勝ったことになるでしょう。
大岡氏を含めて、極限の地獄絵の渦中にいた者は、そう考えるしか逃げ道がないのかもしれない。
ではその一線を越えて、人肉を食べてしまった者はどうなるのでしょう。
キリスト教の説く深き淵の地獄に堕ちてしまったのでしょうか。

■キリスト教の説く人間の限界

ある意味、キリスト教の説く教義はシンプルです。
神(地球を創った創造神)が自らの姿に似せて作ったのが人間であり、人間に地上の万物を支配する使命を与えたとされています。一方、人間以外の生物や自然といった万物は人間の支配物であるので人間が生きていくなかで利用することが許されているとなります。
そうした考え方が根底にあるので、一応は人間が人間を殺傷することは罪となります。
しかし、そこには一定の条件があります。
その人間が神の意志に背いていない限りという大前提条件です。
もし神の意志に背いた人間がいれば、それは認める価値はない。
そうした論理に至るのは、ある意味で必然とも言えるでしょう。

だからキリスト教徒でない者を殺生することが聖戦の名のもとで延々と行なわれてきましたし、邪教徒として一番最初に地獄に落ちる(辺獄を漂う)とされてきました。
作品の背景となる日本軍は、当然のことながらキリスト教の教義を根底にした軍隊でも国家でもありません。したがってキリスト教観では敗戦するのは当然として、その中でキリスト教的信仰を貫いた田村一等兵は聖者賢人とも位置付けられるかもしれません。
さらに言えば、もし仮に人を殺して人肉を食べていたとしても、異教徒である日本兵の人肉であれば問題なしとされるかもしれません。

確かに田村を精神的極限状態から救ったのはキリスト教の信仰だったのだろうと思いますが、キリスト教を信仰しない者や現代を生きる私達にとって普遍的な人間の考えとはなりえない。

■殺す心を殺す

このテーマを考えるとき、思い起こす興味深い釈尊にまつわる仏教の説話があります。
ある人が釈尊に次のように質問しました。

「生命は尊厳であるというが、人間は誰しも他の生き物を犠牲にして食べないと生きていけない。いかなる生き物は殺してよくて、いかなる生き物は殺してはいけないのか?」

まさに『野火』が問いかけるテーマでもありますが、それに対する釈尊の答えは次のようであったと言います。

「それは殺す心を殺せばよいのだ」

この答えを詭弁だとか論点をすり替えていると言う人もいるかもしれませんが、私はそうだとは思わない。何のための食なのか、その食を得た自分自身がいかように生きようと思っているのかという自分自身の内面こそが、その殺生の是非を決めるということではないかと思います。

かつてこの説話について論じた平和思想家の池田大作SGI会長は次のように記しています。

暴力や殺生などの錯綜した事象は、おびただしい位相を持ち、どの線が良く、どの線が悪いなどという一律な線引きなど不可能である。
ゆえに「殺す心を殺す」こと、外面的な理非曲直よりも、まず内面の制覇こそが、第一義的な重要事なのだ。
その「自己規律」の心が確立されていれば、いかなる迷いや逡巡も乗り越えて、最善の選択、決断を過たぬはずである--。
釈尊の真意も、ここにあるはずである。
(2002年1月26日・第27回SGIの日記念提言)

限界の状況に対して過たない判断をいかにして下すか。
それは自分自身の中に自己規律の心を確立することによって成し遂げられる。
“この場合はAですよ”“このケースはBなんですよ”というようなマニュアル的な解決方法は、現実の人生には何の役にもたたない。
私達は経験的にわかっているはずですが、ややもするとマニュアル的な答えを欲しがってしまう。
その安易な生命の傾向こそが、私達が乗り越えるべき課題ではないかと思います。

『野火』は、現代を生きる私達に生きていくための自己規律は確立しているかと疑問を投げかけているのかもしれません。

【桂冠塾の当日の開催内容等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/100.htm

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2013年7月13日 (土)

第98回 桂冠塾 『背教者ユリアヌス』(辻邦生)※前半

0986月29日(土)に今月の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今月と来月の2回で辻邦生作『背教者ユリアヌス』を取り上げます。

この物語は紀元334年秋からローマ帝国を舞台にして展開されていきます。

■物語のあらすじ(1) ガリアに赴くまで          

紀元293年に始まった四分割統治(テトラルキア)制度下で副帝であったコンスタンティヌスは4皇帝並立の混乱期を経て、324年にローマ皇帝に就きます。彼は首都をビュザンティオンに遷都。古代から続くローマ帝国が西方中心から東方中心の国家に変質する時代を迎えます。
また彼はキリスト教の洗礼を受けた最初の皇帝となり、キリスト教を国教に定めて、結果的には古代ローマからの文化と神教が衰退へ向かう端緒にもなりました。

大帝と呼ばれていたコンスタンティヌスの死後、帝国は3分割され3人の子供達がそれぞれ正帝となります。この時、コンスタンティヌス大帝の弟であったユリウス一族が3兄弟の疑心暗鬼から一族抹殺を画策されます。
ユリウス一族の中でかろうじて虐殺を免れたのが年少であったガルスとユリアヌスの幼い兄弟でした。
その後、3正帝時代が短く、叛乱等を経て次男コンスタンティウスに権力が集約されていきます。

ユリアヌスは暗殺の危険に晒されながらも、多くの友人や学問の師匠を得てギリシア哲学を愛する青年へと成長していきます。その間もローマ帝国は内紛と暗殺、外敵との戦争が続き、政治的にはエウビウスを筆頭とした宦官が暗躍。私腹を肥やす輩が跋扈し、癒着と驕慢が蔓延する伏魔殿と化していました。
ユリアヌスの兄ガルスは一族の復讐を忘れずに生き抜き、皇帝となっていたコンスタンティウスの皇族による統治の考えによって副帝(カエサル)の地位と皇帝の妹コンスタンティアを妃として西方ローマの統治を行ないます。しかしコンスタンティアの野望と自身の驕慢さから皇帝への謀反の疑いをかけたれて処刑されます。

そして、政治への野心も興味も全く持たないユリアヌスに副帝の使命が舞い込んできます。その陰にはコンスタンティウス皇帝の疑心暗鬼、そして皇妃エウセピアとユリアヌスとの運命的な出会いがありました。
皇帝のもう一人の妹ヘレナと結婚させられて、西方に位置するガリア統治のために若き哲学青年ユリアヌスが任地へと赴いて行きます。

まったく野心というものを持たない青年ユリアヌスの無欲さが、彼自身の人生を過つことなく前に推し進めていく様子が丁寧に描かれています。
ユリアヌス自身が無欲で純粋であるがゆえに、彼を取り巻く人達や環境が彼を支えている。そして時代がユリアヌスを必要としたとき、今まで培ってきた哲学が大きく花開く時を迎えます。

■物語のあらすじ(2) ガリア統治~そして皇帝ユリアヌス誕生

当時のガリアはゲルマン民族の侵略に脅かされていた。
ガリアに向かうユリアヌス軍は、内部には宦官達の謀略を抱えつつも、ユリアヌスの率先垂範の指揮のもとに次第に団結してゲルマン部族を制圧し、ガリア地方の統治領域を回復していきます。

一方、東方の脅威であるペルシア討伐に当たっていた皇帝コンスタンティウスは苦戦していた。折しも皇后エウセビアが逝去。宮廷会議ではガリア騎兵隊のペルシアへの転属が議論されていた。ガリア兵はアルプスを越える地方に動員してはならないとの法律を無視を議論であったが、その裏にはユリアヌスの主要戦力を削ごうというエウビウス一派の陰謀があった。
謀反の噂を吹き込まれて疑心暗鬼になった皇帝コンスタンティウスは、ガリア騎兵隊のペルシア転属の命令を発した。
命令を受けて苦悩するユリアヌス。
皇帝コンスタンティウスに怒りは爆発するガリア兵たちは、命令を受け入れる苦渋の決断をしたユリアヌスを自らの皇帝として担ぎあげた。

■物語のあらすじ(2) 名実共に皇帝ユリアヌスへ そして逝去

対決か和解か--。
いずれになろうとも皇帝コンスタンティウスと会わねばならないユリアヌスは、首都コンスタンティノポリスに向かう。鬼神とも思える統率力でガリア軍を短期日で首都に迫るユリアヌスのもとに皇帝コンスタンティウスの訃報が届く。
しかもコンスタンティウスは後継の皇帝としてユリアヌスを指名していた。

名実共にローマ帝国の皇帝となったユリアヌス。
ギリシア神教の復興、内政の立て直しなどやらねばならない懸念事項は山積していたが、一番に着手すべきはペルシア平定であった。
万全の準備をして出兵。貴重な運河の情報を得る幸運にも恵まれ、ペルシア軍の本拠地へと迫る。しかし全軍をニ手に分けて挟み打ちを行うという戦略案によって結果的に兵力を半減したローマ軍は壊滅的な敗退を喫することになる。

敗走するローマ軍は天にも見放されたのか、ペルシア軍の謀者の策略に落ちてメソポタミアの砂漠をさまよう。そして迷走の最中フリギアの地で、ユリアヌスはペルシア兵の投槍で一命を落としたのである。

363年7月。皇帝旗に包まれたユリアヌスの遺骸と共に夕日の中をメソポタミア砂漠を北に進むローマ軍の姿が描かれつつ物語は終わります。

考えてみたい論点等については次回(後半の7月度)に述べたいと思います。

【桂冠塾の当日の開催内容等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/098.htm

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2013年5月31日 (金)

第97回桂冠塾 『職業としての政治』マックス・ウェーバー

0975月18日(土)に5月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回のテーマ本はマックスウェーバー著『職業としての政治』です。

多くの方が学生時代に一度は耳にした社会学者の一人がマックス・ヴェーバーではないかと思います。従前は経済学の一部のように扱われていた学問分野を、独立した社会学としての立場を確立した世界的な社会学者といってよいと思います。
マックス・ヴェーバーの代表作として『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があることからもわかるように、ヴェーバーの社会的考察の視点は、近代文明の発展の軌跡を人間の信仰観と合理性追求の関係性から解明しようとした側面があります。

そうした視点の展開の中で行なわれた講演として「職業としての学問」「職業としての政治」を位置づけることができると思います。

本書は1919年1月、ミュンヘンの自由学生同盟の学生達のために行なった公開講演の記録です。
時代は第1次世界大戦にドイツが敗戦した直後。愛国者でもあったヴェーバーは敗戦によって個人的な衝撃も受けていましたが、それにもまして心を痛めていたのは、この敗戦を「神の審判」のごとく受取り、自虐的な敗者の負い目を感じつつ、いつか訪れるであろう「至福千年」の理想に心酔しようとしている一部の知識人達の言動であったと言われています。
しかも、そうした知識人の多くがヴェーバーの親しい先輩、友人、教え子達であったため、彼らの考えを糺して現在の社会状況の本質を語ろうという意図があったと推察することができます。
当時のドイツの知識人が思っていた思想は次のようなものだったといいます。

”敗戦を喫したドイツ国民の我々は理想を実現する民であり、それを滅ぼした敵国は悪の枢軸であり世界は悪に染まっている。だから我々は必ず神の力によって世界を改変して千年王国を築くことができる。”

戦争と敗戦の本質は、果たしてそのようなものだったのでしょうか。
ヴェーバーは、政治の本質的属性が権力であり、国家相互の間であれ国家内部においてであれ、権力の分け前にあずかり権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力が政治であると定義して自説を展開します。
                  当時の政治の現状を分析しつつ、講演の後半では政治と個人的倫理についての考察へとテーマが推移していきます。
文脈に沿ってみていきたいと思います。

■政治とは、政治家とは何か

冒頭から政治に関する様々な概念に対してのウェーバーの私論が次々と展開されていきます。
まず政治についてのウェーバーの定義が述べられます。

政治とは、国家の指導またはその指導に影響を与えようとする行為である。
国家とは、ある一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体である。すべての国家は暴力の上に基礎づけられている。
政治とは、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である。

そして政治を行なう者は必ず権力を求める。その理由として
①別の目的を実現するための手段とするため
②権力自体がもたらす優越感を満喫するため
という2点を指摘しています。
政治家の清き思いが、権力の魔性によって悪しき方向へ変質することは必然であるともとれる指摘です。1点目は個々の目的を精査して対処することが求められますが、2点目についてはいかようにしてでも克服するしかありませんが、権力の誘惑に溺れる政治家がいかに多いかは多くの庶民が実際に目の当たりにしているとおりです。

次に、国家と人間との関係を論じます。
政治がその影響力を行使する国家とは、暴力行使に支えられた、人間の人間に対する支配関係であり、その支配関係は正当であるとし、この支配関係の正当性の根拠として
第一「伝統的支配」
第二「カリスマ的支配」
第三「合法的支配」
の3点が挙げられています。

ウェーバーはその中でも「カリスマ的支配」について論及していきます。
指導者個人に対する信仰ゆえに服従する形態を「カリスマ的支配」と呼び、その形態として
①呪術者と預言者
②選挙武候、一味の首領、傭兵隊長、民衆政治家(デマゴーグ)と政党指導者
があると指摘しています。
近代以降における政治家の選出は選挙によって行われるわけですが、選挙のたび毎に政治家の虚言に右往左往させられている有権者の姿は、ウェーバーの指摘するカリスマ的支配そのものとも思えます。

そして政治家は、自己の支配権を主張し支配関係を継続させるために外的な手段(補助手段)を用いる点を指摘します。
政治家が継続的な行政を行なうために必要な手段として
①人的な行政スタッフ
②物的な行政手段
この2点を挙げます。現在の政治家の姿もまったくこのとおりですね。現在の日本においてはこの2点を揃えるための原資として政党助成金などの形態で税金を投入することも行なっています。

■国家秩序の分類

次にウェーバーは、政治を行う舞台である「国家」について論じます。
国家は成立の過程から
①人的行政スタッフが行政手段を自分で所有する形態(身分制的に編成された団体)
②行政スタッフが行政手段から切り離されている形態(君主の直轄支配)
この2つに分類します。
現在でもドイツのような連邦制国家は①であり、日本などは②の形態と言えるでしょう。
この②の形態は「官僚制的国家秩序」に変化し、近代国家の発展と共に広まっていったと見ることができます。

国家の実務を掌握する官僚は、君主と比類する他の私的な担い手に対する収奪が用意されるにつれてその権力の範疇は広がりかつ活発化していきます。
ここで用いられている「私的な担い手」とは、行政手段、戦争遂行手段、財政運営手段その他の政治的に利用できるあらゆる種類の物材を、自分の権利として所有している者と指しており、それぞれに独立している国家君主とみてよいと思います。すなわち、国家として行使できる権力を、他者から独立した形で所有するのが国家そのものであると言い換えてよいでしょう。

そうした官僚国家の発展は、資本制経営が発展してくる過程と完全に併行しており、政治運営の全手段を動かす力は事実上単一の頂点に集まる。つまり一人の国家指導者に権力が」集中するという指摘です。
そうした官僚国家においては、行政スタッフと物的行政手段の分離が完全に貫かれている。現在の国家体制は原則においてその通りの姿になっているのではないかと思います。

■新しい発展型国家と第二の「職業政治家」

そしてこの講演が行われた直前の1918年ドイツ革命を、国家という収奪者から政治手段と政治権力を収奪しようという動きであったと定義し、簒奪や選挙で政治上の人的スタッフと物的装置に対する支配権を入手した根拠を被治者の意思に求めたと位置付けます。
このことを通して、近代国家とは、ある領域内で支配手段としての正当な物理的暴力行使の独占に成功したアンシュタイト的な支配団体であると定義します。
そして、その独占の目的達成のために物的運営手段は国家の指導者の手に集められ、その頂点に国家が位置すると見ました。

そうした新しい形の国家においては、政治支配者に奉仕する、第二の意味での「職業政治家」が現れます。

その政治家は、君主の政策を行うことで物質的な生計を立て精神的な内実を得ます。
君主の最も重要な権力機関であり、政治的収奪の機関となっていきます。

■職業政治家の存在の意味

政治家には大きく3つの分類があるとして
①臨時の政治家
②副業的な政治家
③本職の政治家
を挙げます。
①臨時の政治家とは、現代でいえば選挙活動や自治活動に取り組む一般庶民のことであって、いわゆる政治家とは一線を画します。
②の類型は、現代においては財界活動や地域の自治会で役職について活動している方達がこれに相当するでしょう。多くの場合は無報酬もしくはわずかな謝礼程度です。
③本職の政治家が、現代における政治家に相当すると考えてよいと思います。
本職であるので報酬も受け取ります。
国民生活が多様化していくにつれて、国家君主も、自由な政治団体である国家そのものも、本職の職業政治家を必要としていきます。
ここでいう自由とは、伝統的な君主権力支配を受けていない国家体制であることを指していて、暴力的な支配を伴わないということではありません。ざっくり言えば前者は王政国家であり、後者は国民主権国家などがその一例です。

■政治のために生きるのか、政治によって生きるのか

政治を職業とする「本職の職業政治家」は
①“政治のために生きる”人達と、
②政治によって恒常的な収入を得ている“政治によって生きる”人達に
分類される。
この違いは天地雲泥ほどの大きな差があるわけだが、現実にはこの2者をいとも簡単に行ったり来りもしてしまう。

ウェーバーは対比する類型制度として論じているが、この点については少し違和感がある。
ウェーバーは、国家や政党の指導が「政治のために生きる」人達によって行われれば、人的補充は金権的になると指摘。つまり人事権が政治家の特権のひとつとなり、恣意的政治になる危険と賄賂が横行する温床になる。それを防ぐためには金権的でない方法で政治的スタッフや官僚が任命されることが必要であり、そのためには権力を握る政治家の意向に関わらず、政治の仕事に携わる人達が定期的かつ確実な収入が得られることが必要となると指摘している。

つまりこの論点からさらに論を進めれば、「政治のために生きるのか、政治によって生きるのか」という二者択一の問題ではなく、「政治によって収入を得ながら、政治のために生きる」職業政治家が求められていると考えるのが適切ではないかと思うのである。

■職業政治家による政治形態

このあと、職業政治家を輩出する土壌、機関の有無を考察したのち、官僚と政治家、マシーン(政治指導者のために機能する政党組織)を伴う一人の政治家を中核とする政治形態と、カリスマ性を有する指導者個人に依存しない派閥政治等の集団としての政治について、論点が提示されていきます。
その一つの結論として、直接選挙による指導者の選出(大統領制)か、議会による指導者選出なのか、その選出方法にも言及しており、現在の選挙と政治体制の在り方を考えさせられる論点が提示されています。

■指導者としての政治家に求められる資質と政治倫理

ウェーバーは求められる政治家の資質として
①情熱
②責任感
③判断力
の3点を挙げ、この3点のバランスが重要であると論じます。いかに情熱があっても事物に対して距離を置いて見ることができない政治家は大罪を犯していると断言します。

そして、政治行為の最終結果は往々にして当初の意図と大きく食い違い、正反対の結果になる現実を指摘。さらに、政治家が求める「あるべき姿」がどうあるべきは信仰の問題であると断じます。

■最後のテーマ-仕事としての政治のエートス-

ここからウェーバーは、いよいよ本講演の核心である「政治と倫理」のテーマに踏み込んでいきます。
ウェーバーは端的に「政治が人間の倫理的生活の中でどのように使命を果たすのか」という視点で論じていきます。現代に生きる私達にとっても大いに関心がそそられるテーマです。

■真の道義的行動は「倫理」でなく「品位」によって可能

ウェーバーは一例として恋愛での例を挙げながら、戦争後のそれぞれの立場において自己弁護や正当化のためにしばしば「倫理」が独善の手段として用いられてきた事実を指摘。真の道義的行動は、倫理ではなく品位によって可能となると述べています。
さらに山上の垂訓に象徴されるキリスト教的倫理観が現実社会では何ら行動規範とならないばかりか、現実には正反対の行動をとることが多くの人達から求められていると論じます。山上の垂訓の通りに行動するならば、戦争を仕掛けられ領土を焼かれたとしても、抵抗は許されず、かつまだ侵犯されていない残りの領土を自ら差し出すことになってしまう。国家と国民の守るべき政治家に、そうした行動は当然ながら許されるはずはありません。

■心情倫理と責任倫理

さらに倫理的行動は、相反する2つの要素がある。キリスト者は正しき行動を行ない結果は神にゆだねるという「心情倫理」と、予測しうる結果には責任を負うべきであるという「責任倫理」によって構成されているという矛盾である。

加えて倫理を行動規範とすれば、善き目的を徹底して達成するためには危険な手段も用いることになる。またそれがどこまで正当化されるのかの基準も不明瞭である。事実、歴史の中で多くの逸脱した事例をみつけることができてしまう。
悪からは悪が生まれ、善は善からのみ生まれるという非現実的な教説がまことしやかに流布される。

■政治は暴力に潜む悪魔との戦い

こうした矛盾が宗教発展の原動力であったとウェーバーは論じている。
様々な宗教倫理が「人間は生活秩序の中に位置づけられている」と論じていることを、ギリシア神教、ヒンドゥ教、カトリック、プロテスタンティズムを挙げて論じ、その思考過程において「正当な暴力行使」を位置づけてきた経緯を推論している。
したがってどのような理由によって政治闘争を行なったとしても、政治権力を行使できる立場になれば人間は旧態依然たる日常生活を台頭させ、信仰そのものは消滅するか政治的俗物の一部と化すと断言しています。

政治を行う者は、この倫理的パラドックスと自分自身がどうなるかという点についての責任を片時も忘れてはならない。政治家は全ての暴力の中に姿を潜めている悪魔の力と手を結ぶのである、と。

ここで「暴力」について少し触れておきたいと思います。
ウェーバーが言う暴力とは、物理的に人間を傷つける行為のみを指す狭義ではなく、何らかの力で他者の行動や思考を制限する行為や威力そのものを指していると思われます。政治はその国家や団体に属する人々に対して何らかの影響を及ぼす行為であるがゆえに、必然的に暴力をその基盤に有しているとみるべきであると考えられるでしょう。

その意味で資本主義国家や封建国家にとどまらず、「社会主義の未来」や「国際平和」においても同様の問題が出現する。

■政治とは生の現実に打つ勝つこと

この問題と対峙するためには年齢等は役に立たず、修練によって生の現実を直視する目を持つこと、生の現実に耐え、内面的に打ち勝つ能力を持つことが絶対条件となる。
ウェーバーは責任倫理に重きを置きつつ、心情倫理と責任倫理が相俟って「政治への天職」を持ちうる真の人間を生み出すと結論づけている。

そしてウェーバーは、聴講する学生達に「10年後にもう一度話し合おう」と語りかけている。今自分自身が心情倫理家と感じ革命に陶酔している人々がどうなっているか。諸君一人一人はその時どうなっているのか。
・憤懣やる方ない状態にあるか
・俗物になり下がってぼんやりと渡世をおくっているか
・現世逃避にふけっているか
いずれにしろ自分自身の行為に値しなかった、この世にも日常生活にも耐えられなかったのだ、と。

ウェーバーは、一方で自己弁護的な敗戦戦犯探しに警鐘を鳴らしつつ、もう一方で「自分達は神の子であり敗戦は偽りの姿である」「自分達は神の御心のまま行動したのであるから結果も神にゆだねる」との心情的革命家と化している同僚や教え子達に真の政治家のあり方を情熱的かつ論理的に語り抜いたのである。

■いかようにして生の現実に打ち勝つのか

あえて、この講演全体を通じて消化不良と言える点を2つ挙げておきたいと思います。
ひとつは、全体を通じて分析主張する論拠が示されていない個所が多いこと。
もうひとつは、ウェーバーが結論づけた政治家像を実現するためにはどうすればよいかという具体的方途が示されていないことです。

一つ目については時間の限られた講演でだったとも思われますし、政治の様々な側面を論じていることを考慮すれば、至極当然かなとも思います。
重要なのは二点目です。
平坦な言い方をすれば、政治が本源的に持っている権力の魔性をいかに克服して、情熱・責任感・判断力の資質をいかにして磨くかということになります。
その本質は「権力の魔性に勝つこと」にあるとして、その実現のためには「修練によって生の現実を直視する目を持つこと、生の現実に耐え、内面的に打ち勝つ能力を持つことが絶対条件」という点までは言及しています。

■政治家に必要な修練とは生命レベルの闘争を続けること

ではその「修練」とはどのようなことなのか?
このための方途をウェーバーが全く触れていないかと言えば、必ずしもそうではありません。少し違う角度で、達成しがたいこの点が宗教的発展を促してきたという指摘があります。しかしウェーバーの指摘はここまでで、宗教の限界も指摘する文脈になっています。

今一度の確認になりますが、政治権力の現れ方として、ひとつには他の目的を実現する手段として、もうひとつは自分の優越感を満足させるために、現出します。
一点目を克服するためには、目的の手段化を防ぐ理念哲学と歯止めをかけるルールづくりが必須であると感じます。
そしてより深刻で本源的な問題が二点目。
これを克服することは、すなわち己心の低い生命状態を克服することと同義。いいかえれば自分自身の生命変革であり、境涯革命の勝利が必要であると言えるのではないかと感じます。
生命レベルでの鍛錬こそが政治家の必須要件である。
このように結論づけることが重要ではないかと思います。

翻ってみて現代。
真の政治哲学や理念思想を持ち実践する政治家はどこにいるのか。
生命レベルでの闘争を続ける政治家は誰なのか。
そうした視点で政治家を選出することが、有権者である私達に課せられている重要課題であると思います。

■真の政治家の姿とは

最後にウェーバーを訴えた真の政治家像を、本文をそのまま引用して紹介したいと思います。

政治とは情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくりぬく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようであれば、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。
これをなしうる人は指導者でなければならない。
指導者であるばかりではなく、英雄でなければならない。
そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志で、いますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま可能なことの貫徹もできないであろう。
自分が世間に対して捧げようとするもの比べて、現実の世の中がどんなに愚かであり卑俗であっても、断じてくじけない人間。
どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。
そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。

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2012年12月 1日 (土)

第91回桂冠塾『マリー・アントワネット』(ツヴァイク)

09111月の本は『マリー・アントワネット』です。
前回に続いてツヴァイクの作品を取り上げました。岩波文庫版で上下2巻でそれなりの長編です。

フランス革命の大激動期における最も有名な人物の一人。それがマリー・アントワネットではないかと。
欧州で栄華を極めた名家であるハプスブルク家に生まれ、もう一方の雄であるブルボン家に嫁いで華麗な人生を送った女性。
そうした印象を持っている方が多いのではと思います。
世代によっては、特に女性の方は、漫画の「ベルサイユのばら」のイメージも重なっているのかなと思います。

時代的には、ハプスブルク家やルイ王朝を築いたブルボン家などの貴族支配の絶頂期は過ぎ、王権としての疲れが見えはじめてきた頃になります。
そもそも群雄割拠の激しい欧州で、その栄華を続けることは至難の業。
新興勢力であるロシアの台頭やイギリスの勢力拡大、そして新大陸アメリカで高まってきた植民地からの独立の動き。新旧入り乱れる勢力争いに危機感を抱いた両家の間で、長年覇権を争ってきた過去を改めてひそかに同盟が画策されます。
時の為政者は、ハプスブルク家がマリア・テレサ、ブルボン家はルイ15世の時代です。

自らの栄華を維持せんとする政治的目論見によって、1766年には計画が始まり、1769年にルイ15世から書面によって11歳の少女に求婚が行われ、翌1770年にわずか14歳のマリー・アントワネットは将来のルイ16世に嫁いでいきます。
それから1793年にギロチン台の露と消えるまで、一国の贅を尽くした豪華絢爛な生活から国家的反逆者としての汚名を着た終焉まで、天国から地獄までを味わいぬいたマリー・アントワネット。

彼女の人生が前半は華々しく、後半は悲しげに展開されていきます。

ブルボン家のルイ王朝を財政的に没落させた最大の要因はアメリカ独立戦争への資金的介入であることは多くの歴史家の検証によって定説となっています。その一方でマリー・アントワネットの浪費は財政全体から見れば微々たるものという論理も通っていますが、それは庶民感覚ではやはりおかしいと感じるのではないでしょうか。

マリー・アントワネットの洋服ひとつだけで庶民の数年分の生活費であったことには違いはありません。
庶民が苦しんでいるときに、何も知らなかったとはいえ個人的な楽しみのためにパーティに興じていたというのは、支配者階級の人間としては責めを負う原罪になるでしょう。
現代でも不作為による罪は処罰の対象ですが、支配者階級と被支配者階級との違いがさらに大きかった貴族社会においてはなおさらではないかと感じます。

確かにルイ16世とマリー・アントワネットには不運がついて回ります。
「この時点で悔い改めていれば...」という場面が何度も訪れますが、結局最悪の状態になるまで従来の生活を変えることはありませんでした。

フランス革命の動乱の前半期を生きたマリー・アントワネットを評して、ツヴァイクは本作品に「一平凡人の面影」との副題をつけています。
正直な印象として「どこが平凡なの?」というのが率直な感想ではないかと思います。
おそらくツヴァイクは、支配者階級の人間としての能力や自覚のないマリー・アントワネットの無恥さと無知さ、そして人間として成熟していない幼稚さを指して「平凡」と表現したのかもしれません。

しかし、それは本当の意味での「平凡」ではない。
無自覚な人間が権力の座にいること自体が悪業であるというわかりやすい事例であったようにも感じます。
しかしこの時代、マリー・アントワネットだけが悪業の権化だったわけではありません。多くの人物が右往左往し、価値観も生命倫理も右に左に振り子のように揺れ動きました。
昨日の敵が今日の友という状況も日常茶飯事。
簡単に人の生命が抹殺された。
その典型がロベスピエールだったり、ギロチン台だったりした。
この次の時代に登場するナポレオンも決して例外ではない。
そんな価値観が定まらない不安定な時代の象徴がマリー・アントワネットだったともいえるのではないかと思います。

ネットではあちこちで比較的高い評価が書き込まれている印象がありますが、作品に対する個人的な感想はさほど多くなかったのも、意外といえば意外でした。
文学というものに何を求めるかという価値観の違いかも知れません。

《当日の開催要領などはこちら》
http://www.prosecute.jp/keikan/091.htm

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2012年10月24日 (水)

第90回桂冠塾 『ジョゼフ・フーシェ-ある政治的人間の肖像-』(ツヴァイク)

09010月20日(土)に今月の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回取り上げた本はツヴァイク著『ジョゼフ・フーシェ-ある政治的人間の肖像-』です。

フーシェは日本においてはなじみのない人物。
フランス革命の渦中において政治権力はめまぐるしく交代していきましたが、そのすべてで権力側で生き抜いたのがジョゼフ・フーシェです。
日本の歴史教科書でも紹介されることがありません。
歴史認識って何なのだろうかという疑問も出てきますね。

■フーシェの経歴

ジョゼフ・フーシェは、港町ナントに代々船乗りの家系に生まれますがオラトリオ教団に学び、20歳で同教会の学校で物理科学の教師となり、30歳までの10年間僧職を求めず僧院学校の教師を続けます。この間に世間の風を読む術を身に着けていたフーシェはフランス革命の嵐の中で政治との関わりが始まります。

僧侶の中から代表を国民議会に派遣、自らも僧衣を捨てて立憲同志会の会長に。1792年32歳で国民公会の代議士に選出されます。その時彼はどの多数派であった穏健派のジロンド党の席に着きますが、その後、急進派の山岳党(ジャコバン派)、ナポレオンの共和政権で警察大臣、一時失脚を経ながらもナポレオン1世の帝政で警察大臣を歴任していきます。

さらに1808年にナポリ王国のオトラント公爵に。
ナポレオンが遠征中の越権行為で大臣を罷免されるが、百日天下で再びナポレオンの返り咲きを支持して警察大臣に再復帰。崩壊後、退位したナポレオンに代わり臨時政府首班となり、フーシェの人生の最高潮を迎えます。

庶民の時流を読んだフーシェは敵対していたはずのルイ18世をパリに迎えます。
しかし期待していた首班にはタレーランが就き、何度目かの警察大臣となりますが、王党派はルイ16世殺しの張本人の一人だったフーシェを忘れていませんでした。
中でもルイ16世とマリー・アントワネットの娘であるアングレーム公爵夫人は、フーシェとは決して同席せず関係は決定的となっていきます。

1815年8月フーシェは失脚し、ザクセン王国駐在大使としてドレスデンに左遷。
さらに1816年1月国外追放されてフランスから亡命。
オーストリア、イタリアへと逃亡生活を重ねて1820年トリエステで死亡しました。
晩年は家族と友人に囲まれた平穏な生活を営み、人が変わったように教会の参拝を欠かさなかったといわれています。

近代警察の原型となった警察機構の組織者で、特に秘密警察を駆使して政権中枢を渡り歩いた謀略家として革命の混乱期を生き抜いたジョゼフ・フーシェ。
権力者に取り入りながら常に多数派として生きた人生は「カメレオン」と呼ばれ、後世においては「過去において最も罪深く将来においても最も危険な人物」と評されています。

■日本における歴史教育、そして歴史認識の難しさ

フーシェの名前は、日本の学校教育の現場、中学高校の世界史の教科書には1回たりとも出てきていません。確かに歴史で学ぶべき人物が多すぎて取り上げ切れないのだろうとは思いますが、日本における「歴史」の考え方も大きく影響しているように思います。

それは「評価が確定した内容を歴史として教える」という姿勢です。

これは海外で歴史を学んだ人と話をしていていて感じる点でもありますが、日本の歴史教育は確定的、断定的事実を覚えさせる傾向があるように感じます。
対して世界的な潮流はどうかというと、起こった事実に対して複数の見解を列挙する傾向にあるように思います。もちろん多くの国の歴史教育を実際に経験したわけではありませんのでイメージと言えばイメージになってしまいますが、少なくとも日本においては複数の見解を教科書等に掲載するという手法は取られていません。
蛇足になりますが、こうした日本の歴史教育の在り方が、昨今の領土問題や戦争責任等の国家間紛争への対応のまずさの遠因であるように感じます。

以前に桂冠塾でも取り上げた『歴史とは何か』で著者E.H.カー氏は、事実を取り上げる時点で既に歴史家の取捨選択が行われている点を論じています。
言いかえれば、見解のない事実のみの表記といっても表記すること自体が既に編者の見解となっているということです。
その意味では、日本における歴史教育は極めていびつになっているのではないかと私は感じています。
こうした傾向がジョゼフ・フーシェという人物を紹介できない一因ではないかと思います。

■フーシェは本当に特別な「変節漢」なのか?

こうした変遷を経たフーシェの人生ですが、多くの書評で言われているような変節漢だったのでしょうか?
これは何を基準にして、変節と判断するかが重要だと感じます。
多くの書評では、単純に、主義主張が異なるいくつもの政党、政権を渡り歩いたことで変節漢と言っています。しかしそうした評価をするためには、主義主張がフーシェの政治行動の基準にあることが条件となるはずです。

フーシェにとって、大切な目的や考え方が別にあって、その目的をよりよく達成するために政党等を変えていたのであれば、所属する政党や政権をは単なる手段に過ぎないということになり、彼は変節していたとは言えないでしょう。
フーシェは、私達が多くの政治家に期待するような、政治的成果や行政や立法的結果など追い求めていなかったのではないか。
少なくともこの作品をじっくりと読み進めてみて思うことは、フーシェにとっての政治的信条とか理念とか達成したい社会的目標などというものは何一つ描かれていません。
そこからひとつの仮説を想定することができます。

フーシェという人物は、政治そのものをやっていたかった。
政治家であり続けたかった。

そのために、自分自身が持てる全ての力を傾注し、政治を行うことに心酔した。
その視点で彼の行動を見ると見事な一貫性が見て取れるのではないだろうか。
ツヴァイクは、フーシェを評して「多数派」でいることに異常な努力を費やしたとみている。
たしかに多くの場面ではそうであるが、決定的な場面ではフーシェは独自の立場をとっている。
それが顕現化されるのが、ナポレオンと対峙する場面である。
警務大臣という立場、そして彼自らが組織化した密偵による諜報網によって大量の重要情報を手中に握ったフーシェはナポレオンでさえも政治ゲームの対戦相手であるかのようにふるまう。
多数派云々というのであれば、時の権力者には媚びへつらうものであるが、フーシェにはそうした卑屈的な姿勢は微塵もない。
そしてナポレオンとの対峙によって、フーシェは政治的な敗北をみるのである。

フーシェが政治そのものを楽しんでいた、もしくは政治の魅惑に酔っていたと思われる代表的な出来事が第五章に描かれている。
1809年、ナポレオンが相次ぐ国土拡大の欲望にかられてオーストリアに攻め入っていた時のことである。その間隙をぬってイギリス軍が攻め入ってきたのである。
その時フーシェは、ナポレオンの許可を待つことなく、独自の決断で国民軍を召集し、アントワープを占拠していたイギリス軍を敗北へと追いやったのである。
フーシェは見事な政治家としての仕事を果たし、外地にいたナポレオンも大称賛したのであるが、その後のフーシェの行動は常軌を逸していた。
すでにイギリス軍が撤退していたにも関わらず、国民軍を召集し、敵のいない地域に次々と派兵したのである。

政治という権力の魔性に魅入られた行為としかいいようのない愚行である。
しかし、そのことでフーシェが後悔した形跡はない。
おそらくフーシェは後悔などしていないのだ。
今まで経験したことのない政治の局面を自分自身の決断で迎えることができた、その満足感に酔いしれていたのかもしれない。

更に第六章でも特筆すべきフーシェの政治手腕が描かれている。
彼は自らの判断で、皇帝ナポレオンの意志に反して、秘密裏にイギリスとの和睦交渉を進めるのである。
その時のナポレオンにとって重要だったのは、自分の兄弟が王となれる領土の獲得であったため、目先の問題はイギリスの船を締め出すこと。和睦などしたら兄弟に配分する領土を獲得出来なくなるため、フーシェのような行動は到底容認などできるはずもない。
しかし庶民の生活は困窮してしまい商人達が動き始める。フランス包囲網によってふさがれてしまった貿易を再開しようとしてイギリスとフランス両国の商人が密かに民間商議を進めるが、破綻してしまう。
その時、この謀略にもからんでいたフーシェは、財政家との人脈を糸口として、皇帝ナポレオンの名前と自らの大臣の職権とを巧みに濫用しながら、困難な外交交渉を見事に進めていく。
結果的には、あと一歩というところでこの秘密行動はナポレオンの知るところとなり、フーシェは52歳にして失職の憂き目にあうのである。
もしこの隠密行動がナポレオンに察知されていなければ、歴史的な偉業となり、ナポレオンの領土拡大の戦火による死傷者は格段に少なくて済んでいたかも知れない。

フーシェのこうした行動は、愛国精神や国家国民を守るために起こした政治行動だったのだろうか。
もちろん、そのように感じさせる痕跡は、まったくない。
やはりフーシェは、自らの政治的欲望を満足させるために行動していたのだろうか。

その後も第八章でもフーシェの特質すべき動きが記されている。
ナポレオン・ポナパルトを皇帝の座から引きずり降ろし、総裁政府に移行した時のことである。政敵ラファイエットを奸計で追い落とし、カルノーを口先で翻弄して総裁の地位についたフーシェ。彼は、ワーテロルーの敗北で決定的になった国家のお荷物ナポレオンを皇帝から引きずり落とし、ルイ18世を迎え入れて王政復古を果たすのである。

結果的にはここでもフーシェの暗躍によって歴史の歯車が回ったのである。

■現代人にも通じるフーシェの生きざま

ジョゼフ・フーシェの生き方が、歴史の中で讃えられ、語り継がれることがなかったのは、彼の生き方、信念理念が受け入れられなかったからだと私は思う。
政治は庶民の生活を守り、幸福を実現するためにあるのだという常識が多くの庶民のなかにあるからだと思う。そしてそうした政治を行う政治家は庶民に対して誠実であるべきだと思うからではないだろうか。

翻って、現在の私達の生活や社会を考えてみる。
価値観や生活様式が多様化した現代。
特に価値観の多様化には目をふさぎたくなる現状がある。
自分の利益のために他人を次々と殺害する事件は、その最たるものだ。
殺害まで至らなくとも、他者を威嚇し、また巧みに勘違いをさせて、自らの金銭的欲望を満たす事件には随所で出くわす。
見つからなければずるいことも平気でやる生き方、自分の立場を優位にしようと怒鳴り散らす輩やモンスターと呼ばれる人達も、また同類と言えよう。

価値観を持たない浮草のような生き方。
そして自分の利益を最優先させる独善的価値観を隠そうともしない生き方。
これらの人達は、周りの人たちとの協調など、もちろん重視しない。
自分のみの利益を追い求めることを自らの行動規範とすれば、他人の不幸の上であっても自らの幸福を求めることも、その行動規範には反しないだろう。そうした行動が、時代を追うごとに蔓延してきているように感じるのは、私だけではないと思う。
これでは、まじめに生きることが馬鹿らしく、あるときには辛く、苦しくなって、精神的に追い詰められてしまう。

私達は、自分のことだけを考えて生きてよいのだろうか。
その対極にある、自他共の幸福の実現という理念と生き方。
いずれをめざして生きていくべきか。
本来であれば結論がみえているような話であるが、いざ自分が直面すると、ずるい生命、弱い生命が出てくるのも現実でもある。

いま私たちにできること。
自他共の幸福に寄与するために必要な理念信念を行動の規範として位置付けること。
理念に立脚した具体的な目標を定めて、必ず実現すると決意すること。
そして、その目標に向かって目の前に現れる一つ一つの出来事に、誠実に、全力で取り組むこと。
その積み重ねが自身が思い描く未来を創る。
それが、遠いようで一番の近道かもしれない。
フーシェの生き方は、私達にそのように語りかけているように思えるのである。

【桂冠塾の当日の開催内容等】
http://www.prosecute.jp/keikan/090.htm

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2012年10月 4日 (木)

第89回桂冠塾 『空白の天気図』(柳田邦男)

0899月23日(日)に9月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今月の本は柳田邦男氏の 『空白の天気図』です。

作品の舞台は昭和20年9月17日。
終戦直後の日本列島を襲った枕崎台風は、各地に甚大な被害をもたらしました。被害者6208人(死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人)を記録した「枕崎台風」です。
その中でも広島県下における被害者は3066人(死者行方不明者2012人、負傷者1054人)と群を抜いており、台風が上陸した九州地方よりも甚大な被害者となりました。
昭和30年代にNHK取材記者として広島に滞在した柳田氏はこの被害者分布に興味を持ち、その1ケ月前に起きた人類史上初の原子爆弾投下による被害との因果関係があるのではないかと直感した自身の気持ちをモチーフとして温め続け、作品として昭和50年(1975年)9月に本書を発刊しました。

■技術者・科学者としての視点でアプローチ

題名から推察できるように、本書は気象業務という側面からのアプローチになっている。
中央気象台の指令を受けた広島気象台の北勲氏を中心とした台員たちが、聞き取り調査を行って報告書としてまとめていく経過が作品の時間軸になっている。

彼らが行った聞き取り調査は大きく2つに分けられる。
ひとつは昭和20年9月17日の枕崎台風の実態と被害状況。
もうひとつは昭和20年8月6日の原子爆弾投下の実態と被害状況である。

気象業務という視点から技術者、科学者としての姿勢を貫き、予断なく丁寧に根気強く調査を行っていく様子には感動を覚える。調査を行っている彼ら自身も原爆被害者であることを思えばなおさらである。
気象データは欠測してならないとの観測精神。
その愚直なまでの姿勢と努力が、後年、終戦前後の気象データの空白をわずかでも埋めた貴重な貢献があったに違いない。そうした精神が「黒い雨」の情報収集にも活かされ、原爆被害者の救済に活かされていった。

■目的を見失った方策の行きつく先

作品執筆の当時、この枕崎台風の被害はあまり知らされていなかった。
(あえて言えば現代においても知られていない。)
戦後の混乱期とはいえ、敗戦という現実の前に政治というものはあまりにも無責任ではなかったか。当時を生きていない私達は本来であればそうは言えないかもしれないが、完全に仕事を放棄してしまった政府に対して、愚直に業務を遂行していった気象台員がいた事実を知れば、やはり無責任と言わざるを得ないだろう。
しかし私達は当時の政治を責めるだけでは意味をなさないと思う。
敗戦、無条件降伏という事実の前に自らの仕事を放棄してしまったその原因はどこにあるのだろうか。それを思索することが歴史の教訓を生かすことになる。
私は、政治哲学、理念思想の不在が真の原因だと断じたい。
言いかえれば、政治の真の目的は何なのかが不明瞭だった、もしくは目的を間違えていたと思う。
本来の政治とは、そこで生きる人々がもれなく幸せに生きることに貢献するためにあるはずだ。
ただし、その人民の幸福、庶民の幸福というのは、目に見えない。
そのような事情から、幸福の実現のために必要なものは何かという具体的な実施施策を立案して、その個々の政策を遂行する形をとっていく。いわゆる必要条件を満たすために政治は様々な施策を講じていくのである。
当時の軍部政府は戦争遂行とその結果としての領土拡大をその施策として掲げたのだろう。その施策の妥当性の問題も当然あるがそれはとりあえずおいておくとしても、その政策遂行の途上で、その政策は何のためにやっているのかという根本的な目的を忘れていったのではないか。
その具体的な施策が敗戦という形でとん挫した時(適切な政策でなかったためにとん挫したのは当然の帰結でもある)、真の目的に立ち返って次なる間断なく施策を実行するべきであった。しかし、真の目的を忘れてしまった指導者、施策遂行者達は自身の使命を忘れてしまい、自己の目先の利益に走ってしまったのではないだろうか。

この現象は、現代の社会にも当てはまる。
というよりもその傾向はより顕著になってきているように感じる。
本来の目的を忘れた、もしくは間違った目的を基準にした、テクニカルな政策議論がいかに多いことか。
これでは、アインシュタインやノーベルの嘆きすらも教訓にできていないのではないか。

広島原爆投下と枕崎台風被害に真の因果関係はあるのか

作品に話を戻す。
作者である柳田邦男氏は枕崎台風による広島県下での甚大な被害の底流には8月6日の広島原爆投下の被害があるという仮説のもとに、本書の執筆をすすめた。それは「序章 死者二千人の謎」の最終段に以下のように記述していることからも明白である。

枕崎台風の「調査報告書」の活字の向う側にある生きた実相--この災害の中で生き、災害の中で死んでいった人々の姿は、今日に語り継がれるべき大きな悲劇、人間の記録なのだ。昭和二十年九月十七日の問題は、昭和二十年八月六日の問題と切っても切れない関係にあるのである。いよいよ本題に入らなければならない--。

かなり肩に力の入った気負いを感じる文章だが、柳田氏はこのテーマに対して本書の中で何らかの結論を出すことができたのだろうか。結論ではなくとも暗示でもよいと思うが、どうだろうか。
本書を読了した人は感じるに違いない。
柳田氏はこのテーマに迫ることができなかった。
見聞きした事実を列挙する作業の中で当初の主題を失念してしまったのだろうか。
重ねて言えば、この仮説は必ずしも正しくなかったのではないかと感じる要素がところどころに散在している。
昭和20年に起きた2つの歴史的事故。接近した時間軸。広島という同じ空間。
これだけの条件がそろっていればだれでも直感的に2つの事故に因果関係があるのではないかと仮定するのは当然だと思う。だからこそ、そこに真の因果関係があるのか、みせかけの因果関係なのか、それとも別に存在する真の因果関係から波及した個々の結果としての事故なのか。その点を明確にすることは大切なことである。

この答えは本書内にある。
これはノンフィクションという本書の性格による副産物とも言えるが、柳田氏が次々と列挙してしていく気象台員による聞き取り調査や、後年北勲氏が行った二次情報の収集の過程で集められた個々の情報の積み重ねの中から見えてくる。

一例を指摘しておくと、枕崎台風の広島県下における被害のうち、水害による被害がかなりの部分を占める。この水害被害の多くが呉市で発生していることが、『昭和20年9月17日における呉市の水害について』という報告書によって裏付けられている。
柳田氏はこの報告書にまつわる功績について、広島気象台以外の気象台においても欠測なく観測を続けた気象台員の存在と、後年歴史を残そうとして報告書を作成した坂田静雄氏の尽力を称賛しているが、奇しくもこの事実を本作品に収録したことによって、柳田氏の「昭和二十年九月十七日の問題は、昭和二十年八月六日の問題と切っても切れない関係にある」との仮説は、揺らぎを見せている。
いうまでもなく、呉市は爆心地ではない。
その呉市で水害によって1154人が生命を落とした。
広島県下の死者行方不明者2012人のうちの半数以上が呉市の被害者であったことは本文中でも柳田氏自身が記述している。
原爆被害との因果関係が濃くない呉市の被害が広島県下の被害者数を一気に押し上げている事実を、柳田氏はどう考えているのだろうか。

■枕崎台風における被害拡大の真の要因とは

では枕崎台風における被害が広島県下に集中した真の原因は何だったのか。
原爆投下の被害が大きな要因のひとつであったことは事実であったとも思われるが、主たる要因は別にあったのだろう。
それは本書のところどころで散見することができる。
いわく、戦闘機の燃料とするために松の根っこを掘り起こしたこと、民間を含む燃料のために山林を伐採したこと、軍用道路や防空壕をあちこちに掘っていたことが指摘されている。作品中でも同じ地域内であっても「松根を掘ったところに山崩れが多いんじゃ」との証言も紹介されている。
呉市が海軍の主要拠点であったことを考えれば軍用道路や松根の伐採が他地域よりも多かったのではないかとも思われ、丘陵地に軍事施設が建設もされており、他の地域よりも土地に無理な歪みが多かったとも考えられる。

加えて九州等と比べて緩やかな丘陵地であった中国地方は、河川もゆるやかで三角州地帯も多い。加えて中国地方から北九州にかけての一帯の地層は花崗岩で形成されている。花崗岩は風化しやすく、大量の水が出た場合は比較的流されやすい性質を持っており、災害の直撃に弱い地域と言える。
花崗岩地質については本作品中でも証言の中で指摘されている。
※花崗岩地帯には真砂が広く分布し、強い降雨により多量の砂が流れ出すため、花崗岩地帯の多くが砂防地域として指定されている。

本書内で列挙された情報を淡々と見ていくと、こうした要因が主たる原因となって枕崎台風の広島県下における甚大な被害となったと考えるほうが妥当ではないかと私は思う。
別の視点で言えば、日本国における無謀な戦争遂行という国策によって、一方では原爆投下という悲劇を呼びこんでしまい、また一方では松根掘りや山林伐採という無益な行動の強制によって国土がやせ細り大きな水害被害を引き起こしてしまった...。
これが昭和20年広島における2つの大きな事故の真相ではないだろうか。

■真の要因を見失ってしまう危険性

その意味では、本書における柳田氏の執筆は中途半端と言わざるを得ないだろう。
作者として作品の冒頭で明確にテーマを提示し、読者に期待を持たせて読み進めさせている以上、そのテーマに対しては何らかの結論なり考察なりを記述する責任があるのではないかと感じている。

今回、本書執筆の直接的資料となったと思われる『広島原爆戦災誌』を地元図書館で借りてきた。本文中にも記載されているように「第五巻資料編」に北勲氏達による報告書の全文が写真製版で収録されている。
よくぞここまでの調査をされたものだと敬服した。

前段で作品冒頭で柳田氏が掲げた2つの事故の因果関係について柳田氏自身が考察をしていない点を指摘した。このことによって「枕崎台風の被害が増大したのは原爆投下のせいだ」と思い込んでしまう読者も多いはずだ。
いいかえれば、被害拡大の真の要因は、日本国政府が戦争を開始し続けてきたことにあるのか、アメリカによる原爆投下にあるのかという問題にもなる。
これは極めて重要な問題提起である。
柳田氏のような文章構成で終えてしまうと、日本軍部政府の戦争責任は浮上せず、「原子爆弾が悪いのだ」という論調のみに終始することになる。
枕崎台風による広島県下での被害拡大。
その原因は、日本国政府による無謀な戦争遂行にこそあったのだと指摘しておきたい。

■木ばかり見ていると森が歪んで見える-未成熟のノンフィクション分野-

実は今回、この作品を取り上げるにあたって危惧した点はここにある。
この作品は当初、単行本として昭和50年9月に新潮社から出版されたのち昭和56年7月に新潮社文庫から文庫版が発刊されている。私が初めてこの本を読んだのは、文庫版の初版本である。その後、桂冠塾のテーマに取り上げたいと数年前に確認したところ絶版となっており書店での入手ができずにいた。
その作品が昨年2011年(平成23年)9月に文春文庫から復刻出版された。
書店で入手できるようになったので桂冠塾でも取り上げることができたのであるが、元の装丁と異なる点が大きく2ケ所ある。
ひとつはカバーの表題前に「核と災害1945・8.6/9.17」のサブタイトルが追加されていること、もうひとつは文庫版用のあとがきが追加されていることである。
サブタイトルには「うん?」と感じ、さらに「文春文庫版へのあとがき」という柳田氏の文章を読んで、明らかな違和感を感じざるをえなかった。
柳田氏は「六十六年後の大震災・原発事故に直面して」と題してこのあとがきを書いていることからもわかるように、3.11東日本大震災、そしてその渦中で発生した福島第一原子力発電所の事故に関連付けて、本作品を核の脅威と自然災害のモデルとして位置づけようとしているのだ。

原発問題を取り上げるのもよい。
原子力爆弾の非人道性を追求するのもよい。
自然災害の怖さを訴えるのもよいだろう。
しかし、本作品はそのテーマを訴求するためにはふさわしくない作品だと指摘しておきたい。
そんなところに枕崎台風被害の真の原因はないのだと。

人間は誰しも、既成概念や先入観を持って事物事柄をみるとフィルターがかかった色、形でしか見えないものだ。そんな、ある意味で、よくよくわかっていると思っていることを、つくづくと感じさせられる作品でもある。
あまりにも献身的な行動を続けた気象台員、広島の人々の行動にふれて、柳田氏も感激感動し続けていたのだろうか。思い入れが強いと、冷静な判断ができなくなるのが人間でもある。それはそれで、必要なことでもあるのだが...。

柳田氏の作品に触れると共通して感じることであるが、事実を圧倒的な臨場感を持って淡々と描き出す文筆力の高さと共に、その事実から結論を導き出そうとする際の論理的な展開の未成熟さが混在しているように思われてならない。
ノンフィクション作品の分野はまだまだ未成熟の未知の魅力を孕んでいる。
読者の一人として、これからも前人の作品を凌駕する魅力ある秀作が続々と発表されることを期待したいと思います。

【関連リンク】
第89回桂冠塾 実施内容http://www.prosecute.jp/keikan/089.htm

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2012年8月22日 (水)

第88回桂冠塾 『輝ける闇』(開高健)

088_2今月18日に桂冠塾を開催しました。
88回目となりました今月は『輝ける闇』(開高健)を取り上げました。

本書を含む「闇三部作」は開高健氏の代表作として有名です。
舞台はベトナム戦争。開高氏自身が従軍記者として体験した事実を元に書かれた作品です。

開高健氏の作家としての活動は大きく3期に分けられるように思う。
第1期は寿屋に勤務しながら『裸の王様』で芥川賞を受賞するなど初期の段階。
第2期は朝日新聞社の臨時特派員としてベトナム戦争を体験し、『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』の「闇三部作」を執筆した時期。
第3期は釣り紀行や食文化を綴ったエッセーにシフトした時期。
もちろんその間で作風が断絶しているというわけではないが、読み手としての印象としては大きく違っているように感じる。

『輝ける闇』を読むと開高氏の作家として抜きん出た筆力の高さを実感する。
一人の人間の内面の描写。人は自分自身のことでありながら自分の気持ちを的確に言い表すことが難しい。何を感じているのか、明確につかめていないことも多々あるのではないだろうか。
その不確かを含めて、ありのままに文字として残していく力が開高健氏にはあるのだと思う。
その比喩的な表現は、思いそのものを表現することの困難さを含めて、実態そのものとして読者に迫ってくるのだ。
開高健氏が一部の読者に強烈に支持されるゆえんの一つがここにあるのではないだろうか。

繰り返しになるが、この作品はベトナム戦争を舞台に描かれている。
その意味では、今一度戦争の意味を問い直す機会ともなった。
ベトナム戦争はアメリカが経験した最大の敗戦である。
枯れ葉剤作戦など非人道的戦闘の代償はいまだ償いきれていない。
従軍したアメリカ人、戦場となったベトナムの庶民双方に大きな傷を残したまま歴史が過ぎ去ろうとしている。

『輝ける闇』はベトナム戦争そのものを題材にしているわけではないので多くは触れないでおくが、私達は戦争が演じてきた歴史的役割<功罪>を、どこかの時点で真正面から考える必要があると思う。

主人公「私」は、南ベトナム政府軍(アメリカ側・いわゆる南軍)に従軍する作家の肩書を持つジャーナリスト。ウェイン大尉の部隊に帯同しているが革命軍側のクーデター情報を得ていったんサイゴン市内に戻り、そこから記事を書いて日本に送信する生活を続ける。
サイゴンでの生活は怠惰だ。
同じような状況で記事を書いている日本新聞の山田氏と場末の酒場や屋台で大しておいしくもない食事と酒を食らう毎日。行きつけの酒場の素蛾(トーガ)を情婦にして、けだるい暑さと怠惰な時間の日々の中に、愛欲の生活も享受している。

元々どんな思いでベトナムに来たのだろうか。
どのように弁解しても自己弁護しようのない自堕落の毎日。
そんな折り、続けて小さな出来事が起こる。
新任の日本人記者が赴任する。かつての自分を邂逅する「私」。
第2次世界大戦を経験している「私」は、戦時下の経験と思いを回想する。
いま自分はどうして生きているのか、どんな思いで生きてきたのかを思い出そうとしていたのだろうか。
そして20歳と18歳のベトナム青年が解放軍の一味として公開処刑が実行される。
先に行われた20歳の青年の処刑を見物した「私」は、人間としての恐れ、はきけ、身震いを感じる。人間としての在り方さえ模索するかに思えた「私」だが、翌日の18歳の青年の処刑には既に慣れが生じていた。
人間の精神の不確かさ、軽薄さを痛感するシーンだ。強烈な精神的ダメージから自分を守るために無感覚になろうとする防衛本能が人間にはあるのかもしれない。

この出来事を通して「私」は戦闘の前線での従軍取材に戻っていく。
そしてその最前線で「私」の従軍した200人の部隊は、解放軍ゲリラの掃討作戦に遭遇する。
部隊200人のうち生きて生還した者は、私を含めてわずか18人。

この作品はベトナム戦争が舞台であるが、その主題は戦争そのものではない。
戦争という極限状態に遭遇したことによって突きつけられた人間としての尊厳、生きることへの問題提起である。
それゆえに時代を超えて、現代を生きる私達に問いかけてくる「何か」があるように思えてならない。

私を含めて、現代を生きる人々の大半は「戦争を知らない僕達」である。
しかし世界の各地では紛争が続いている。
激しい紛争地帯の一つであるシリアで日本時間20日夜には、ジャパンプレス所属の山本美香さんが銃撃戦に巻き込まれて死亡した事件も発生した。
ジャーナリストとして従軍取材中であったことは開高氏の体験とも通じる状況もある。
どのような思いで従軍取材を続け、死に遭遇していったのか。
その生き様に思いをはせながら、自分自身の目下の課題に全力で立ち向かいたいと思う。
日々の生活の課題に直面している私達が、戦場に赴く必要はないだろう。
私たち自身の生活そのものが戦場であると思うからだ。

《第88回桂冠塾の概要はこちら↓》
http://www.prosecute.jp/keikan/088.htm

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