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2014年1月28日 (火)

第105回桂冠塾『シンドラーのリスト』(トマス・キリーニー)

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本年は世界の民衆を巻き込んだ第一次世界大戦の開戦から100周年、そして来年は第二次世界大戦の終結から70周年という節目の時を迎えます。

第一次世界大戦は、1914年から1918年に行われてしまった人類史上初の世界規模の戦争。ヨーロッパが主戦場となりましたが、戦禍はアフリカをはじめ、中東や東アジアまでにもおよび、多く国々が参戦をした世界規模の大惨事となりました。

そうしたことも踏まえて今年最初の本として『シンドラーのリスト』を取り上げました。

第二次世界大戦下で行われたナチスドイツによるユダヤ人の強制収容政策。
その渦中にあって、多くのユダヤ人の生命を救った人物がいました。その一人が本作品の主人公であるオスカー・シンドラーです。

この作品を映画を見たという方も多いと思います。舞台は1940年代のポーランド。第2次世界大戦の最大の悲劇と言われたナチスドイツのユダヤ人大虐殺から1200人ものユダヤ人の生命を救った、軍需工場を経営するドイツ人オスカー・シンドラーを主人公とした実話です。 ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られています。

■作品のあらすじ

1939年9月。ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフもドイツ軍の占領下に置かれた。ユダヤ人を激しく蔑視するナチス党政権下のドイツ軍はクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットーの中へ追放します。
そんな中、ナチス党の党員でもあったドイツ人実業家オスカー・シンドラーが、クラクフの町へやってきます。彼は戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取ってDEF(ドイツエナメル容器工場・別名エマリア)の経営を始めます。

有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンに工場の経営を任せ、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でナチス親衛隊将校に取り入って自らの事業を拡大させていくオスカー・シンドラー。

クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長は、残虐な親衛隊将校アーモン・ゲート少尉。ゲートとその部下の親衛隊隊員達は、ゲットーや収容所において、ユダヤ人を些細な理由にもならないようなことで次々と殺戮していきます。シュターンを初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫ります。ゲットーでおこなれている事実を目の当たりにした時、軍需工場の受託も取り付け、金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じます。

シンドラーはユダヤ人の生命を救うためにユダヤ人を次々と熟練工という名目で雇用していきます。将校達への接待を繰り返し、いかにももっとらしい理由をまくしたてながら処分されかかった多くのユダヤ人を助けるシンドラー。ゲットー内へ強制収容になる発表があると、生産性を維持するという名目で工場内に宿舎を建設し、ユダヤ人労働者の生活を守ったのでした。
ユダヤ人の間では、シンドラーの工場で雇用されれば生命が助かるという話が次第に広まっていきます。そしていつしかユダヤ人従業員は自らのことを「シンドラーグループ」と呼ぶようになっていきます。

クラクフ・プワシュフ強制収容所が解体されることが決まり、ユダヤ人のアウシュビッツ収容所への移送が決まると、シンドラーは自らの工場を新たな土地ブリンリッツに移転する計画を実行し、ユダヤ人従業員のアウシュビッツ移動を阻止しようとします。
数々の障害が立ちはだかり、手違いでシンドラーの工場の女性労働者がアウシュビッツに送られてしまいますが危機一髪のところで救出に成功し、女性達も無事にブリンリッツに辿りつきます。

シンドラーの新工場では兵器部品をほとんど製造することもなく、終戦を迎えます。
戦争に協力したとの嫌疑がかけられる危険があるシンドラーは、終戦の時刻を迎えると逃走します。シンドラーの身の安全を図るために8人のユダヤ人従業員が同行します。
その直前までシンドラーはユダヤ人従業員のために工場に留まります。そして同胞としてユダヤ人達に希望を持って生き抜くことを語りかけます。

戦後のシンドラーは成功者ではありませんでした。
様々な事業を手掛けますがことどとく失敗します。
しかし多くの「シンドラーグループ」の人達に支えられて66歳で幸福な人生を閉じます。
彼の功績は、テル=アヴィヴ市の英雄公園の表彰碑として、そしてイスラエルから「正義の人」として現在に至るまで顕彰され続けています。

■シンドラーを突き動かしたものは

オスカー・シンドラーの活躍は彼の66年の人生の中において、1939年から45年までの短い期間に限定されています。
その限られた年月の中で、当初は慎重に行動しますが次第に大胆に、時には隠すことすら忘れたかのようにユダヤ人の生命を守ります。

この時代にナチスドイツの狂気からユダヤ人を保護したり援助した人は数多くいました。誠実な人生の選択をしたその人達の数は一説には1万人を超えると言われています。
「アンネの日記」を残したアンネフランク家族を守ったミープ・ヒースも有名になっていますし、救った人数の多さでは10万人の生命を救ったといわれるワラル・ワレンバーグや日本人外交官の杉浦千畝が発給した「生命のビザ」で6000人のユダヤ人が難を逃れたことも有名です。

そうした人達とオスカー・シンドラーとの間には共通する生命尊厳の思想、同じ人間として誰であっても差別しない哲学を感じる一方で、何か違う本源的なものがあるようにも感じてなりません。

その違いとは何か。

作品を通して語られているように、オスカー・シンドラーという人物は聖人君子ではないことは明白です。もっとはっきり言えば、一貫して「俗人」の人生を送っています。お金儲けが好きで、女性が好きで、お金があれば豪遊もするし仕事を得るために賄賂や付け届けすることは日常茶飯事でまったく違和感を感じていない。
戦争が始まった当初は、仕事に有利だからという理由でナチス党員にもなっている。
自分の誕生日には朝から祝杯をあげて一日中パーティをする姿は子供のようです。

その無邪気ともいえる素直さがオスカー・シンドラーの本質だったのかもしれません。

自分でもよくわからないが何かが違う。
自分が生きてきた祖国ドイツの姿はこんなものではなかったはずだ。
みんなが仲良く楽しく生きていこうじゃないか。
人として恥ずかしくない生き方をしようじゃないか。

そんな思いだったではないかと思うのです。

■オスカー・シンドラーの偉大さとは

「シンドラーからは摘発されることに対しての不安や恐れを全く感じない」
当日の参加メンバーからはそんな指摘がありました。
その点については実に不思議です。

現在では、当時の情勢下でナチスドイツに抵抗してユダヤ人を守った人達も多くいたことが判明しています。抵抗したその人数は1万人を超えたという指摘もあります。
その中には、救ったユダヤ人の人数はオスカ・ーシンドラーよりもずっと多かった人もいます。杉原千畝氏などもその一人です。

しかし彼ら彼女達と根本的に違う状況がオスカー・シンドラーにはあった。
それは、彼がある意味で有名人であり、彼の言動は明白で誰もが知っているため、彼が持つ意図を指摘されてしまえば、彼自身が即刻アウシュヴィッツ送りにされる状況下にあったという点だと私は思います。
多くの抵抗者は、その行為そのものは秘密裏に行なっているか、その行為をナチスドイツから非難されても身の安全を確保できる立場にいたか、いずれかの状況だった。
唯一といってよい例外がオスカー・シンドラーであった。
彼はそんなわずかな微妙なバランスの上に立っていたのです。
そして彼は、そんな自身の身の危険など振り返ることなく、自らの心のままに行動し続けたのではないでしょうか。
その結果として、多くのユダヤ人の生命が生きながらえた。
自らの信念を信じ抜き、その信念の実現のために、そして自身ではなく他者のために行動し抜いたオスカー・シンドラー。
その姿に私達は心の底から共感するのではないでしょうか。

【当日の開催内容等はこちら】
http://www.prosecute.jp/keikan/105.htm

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