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2013年7月20日 (土)

私達がとるべき投票行動とは-参院選投開票の前日に思う-

明日21日(日)は参議院議員選挙の投開票日ですね。
既に期日前投票を行なった方もおられると思います。当日20時までの投票締切り後、即日開票で翌朝までに改選121議席の行方が確定する見込みです。
年を追うごとにどのような政治家を議会に送り出すのかが重要になってきていると痛感します。特に国政選挙においては、個々の政策が当然重要であることに加えて、今後の国政の方向性をどのように定めていくのか、国の舵取りを誰に託すのかという命題が問われます。
私達有権者はどのような基準で政治家を選ぶべきか。
今日は私の個人的な考えを少し述べてみたいと思います。

■多様化する生活

日本の国会では年間100~120本程度の法案が成立しています。そのすべてが自分自身の考えと一致するというのはなかなかありえず、私も毎年数本は「これはどうなのかなぁ」と感じる法案が成立しています。現実には7~8割が納得できれば御の字というのが一般的な感覚なのかもしれません。
ただしこの違和感がある数本に自分自身の生活に影響する問題が含まれていたりする時に人は判断を迷う、ということも多いかもしれません。
時代を追う毎に社会は多様化し、個々人の意識は集約しにくい時代へとなっています。それは良い意味では、一人ひとりが自立する時代を迎えているということでもあると思います。望ましい傾向である一方で、常に利害が相反する人達が存在するということであり、民意を過半数以上に集約しにくいのが現実です。政治や行政的な施策を執行する立場から見れば、いかに頑張っても常に評価が相半ばする時代とも言えると思います。

■「政策」中心で決定することの危うさ

このように個々人の生き方が多様化する時代においては、個々の政策を投票行動の基準とすることは極めて危ういということにもなるでしょう。実際に「この政策はA候補に賛成」「こっちの分野はB政党に考えが合う」と決められない状況になってしまいます。
マスメディアや多くの識者の方々を含めて、実績や政策の公約を比較して投票先を決めることを勧めていますが、そうした比較検討は、実は結果的として、選挙のたび毎に右に左に民意が揺れ動く不安定な政治状況をつくってしまっているともいえるのではないかと思うのです。
情報を収集して比較検討するという行動は、今の無党派層と呼ばれる有権者の最大多数の人々の行動基準でもあると思いますが、その行きつく先が必然的に毎回の選挙で政権が変わる結果に繋がっていると私は感じています。
今後もそんなことをしていたら、政治と政治家の劣化は加速度的に進んでしまう。
結果として被害をこうむるのは国民である私たち自身である。
そのような危機感を感じてなりません。

■比較検討する有権者の裏をかく政治家達

こうした危険を回避するために有効な方策として一般的には2つの方法があると考えられています。
①マニフェスト等で公表された公約と、今までの実績を比較して本当に実行できるのか検証する
②各政党、候補者の経歴等を調べてどのような政治信条を持っているか検証する

この2つの視点で検証するだけでもそれぞれの政治家の真意に迫ることができます。しかし被選挙民である政治家達にとって不都合な真実は往々にして伏せられているものですし、耳障りの良い言葉でオブラートに包む政治家が多くなっています。
結果として責任ある政治行動をとる政治家は激減し、その場しのぎの票目当ての発言が日常化する。有権者が良かれと思って比較検証という行動をとったがゆえに、真実は更に見えにくくなるという悪循環を起こしています。

耳触りのよい主張。
今回であれば原発問題はその典型でしょう。「原発即時ゼロ」と言っている政党が4~5政党ありますが、現実に安全に全停止しようとするならば、1~2年のソフトランディングをする必要があることは自明の理。今日か明日、完全に停止するなどできるはずもない。原子炉に残っている使用途中の核燃料や行き場のない使用済み燃料、炉心の冷却水の処分、中間処理施設にたまっている使用済み燃料の処分、さらに原子炉を完全停止させ安定冷却するまでに発生するかもしれない災害への対策等も含めて対処すべき項目はいくつもある。それらの対策を講じるためには公明党などの政党が主張している「原発ゼロ社会」へのロードマップと同様な時間軸になるのは必然です。その違いは、実際に実務を遂行する覚悟の上の発言か、そうでない発言かの違いとも見えます。
しかし、おそらく各党各候補者ともわかっているのに「即時」と言った方が“聞こえ”がいいし、他党と差別化ができるから「即時」という。マスメディアはわかっているのかいないのか、大きな違いはないのに政党名と政策をマトリックスにまとめて「○」とか「△」とかつける。そんなからくりは、少しでも原発ゼロのためにどうすればよいか学習した人間であれば誰にでもわかる。
こんな見え透いた、聞く人に思い込ませる“未必の嘘”を天下の政党が早々と発言するから多くの国民は誰にも期待しなくなり、「投票にいかない」という無作為の行動が蔓延してしまう。
4年前の民主党による政権交代とその後の失政は、この構図そのものです。

■政策や政治信条の奥にある思想哲学

今私達が政治家に求めるべきものは何か。
掲げられた政策の是非だけではなく、そうした政策が出される根本にどのような思想哲学があるのか。そしてその思想哲学が空理空論では意味がない。本当に私達の日常生活に有為に貢献する思想哲学であるかどうか。
その一点が確固たるものであれば、どのような社会状況になったとしても有機的に対応することができる。想定外の突発事故があったとしても、判断を誤ることなく最善の政治判断と決断を実行することができる。
そのような政治家に政治を託すのが最善の道であると思うのです。

■一人ひとりの幸福の確立こそ社会が目指す姿

大上段に「社会の繁栄だ」「世界の平和だ」と叫んでも実際には何も変わらないことが多々ある。
逆説的に聞こえたとしても、やはりまず個々人の幸福の確立があってこそ国家も世界全体も豊かで幸せな社会を実現することができる。その点に異論を言いたてる人はいないのではないかと思います。
その意味では、幸せになるために社会体制を変える必要があるとか、政権を交代させればよい時代が来るなどという考えは、全くの虚構であると断言しておきたい。

政治はその国家や団体に属する全ての民衆の幸福に寄与するためにこそある。
だからこそ、政治には幸福を確立ための理論と哲学が必須なのであると訴えたい。
そしてその思想哲学は一人ひとりの生命をどこまでも尊重し、一個の生命の持つ限りない可能性を信じて現実生活に現わしていこうとするものであるべきである。
私はそのように思うのです。

■生命尊厳の思想

生命と宇宙のリズムを根源的に解明し、幸福になるための実践を具体的に展開してきたのが東洋思想が持つ英知であるとするのであれば、その生命哲学を実践する一人ひとりが社会のあらゆる分野で生命哲学を根本として、一人の人間として具体的な行動をとっていくことが生を受けた者の使命であるとも言えると思います。
政治の分野においても、今こそ生命尊厳の思想を持った政治家が求められているのではないでしょうか。これから日本は憲法改正や国防、国際貢献の在り方が議論される時期を迎えていきます。少子高齢化は既定路線となり社会福祉の財源をどのように考えていくべきかなど、国家運営の岐路に立っています。このような重要な局面にこそ、生命尊厳の哲学を有する政治家がかじ取りをしていくべきである。
そのように私は感じています。

そうした意味においても今回の参議院選挙は重要な意味を持つと思います。
自分自身の思いをしっかりとみつめながら継続して語りあっていきたいと思う今日この頃です。
論点が前後したりまとまりのない文章になってしまいましたcoldsweats01
申し訳ないです(^_^;)
皆さんはどのように感じられますか?

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コメント

はじめまして。祀乃師です。

記事を拝見しました。

う~む、多様化する生活に対処するには、永田町へ送る意見自体も多様化する方が良いですね。

衆議院は自民党過半数なんだし、参議院は野党へ投票しましょう。

また、意見を多様化するためには、中選挙区制、比例代表制を推進している議員の方が良いでしょう。

投稿: 祀乃師 | 2013年7月20日 (土) 21時16分

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