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2013年6月 6日 (木)

安倍政権/成長戦略を正式発表 個々の戦略に思う(農業編)

今月5日、安倍晋三首相は、日本の長期的成長を達成するための成長戦略を発表した。日本再生のための「3本目の矢」と位置付けた重要な戦略である。

その内容は多岐にわたり、様々な戦略の分析、構築がなされたものと推察される。日本を必ず再生させるのだという挑戦的意欲を大きく評価したいと思う。
それと共に、目的達成のために重要となってくる個々の政策についての評価については別物である。特に気になった点について私見を述べておきたい。

発表の中で安倍首相は「民間の創造的な活動を鼓舞し、国境を超えたあらゆるイノベーションを日本の中で起こす」と述べ、「国家戦略特区」「国民総所得150万円増」などの言葉が並んだ。
そしてとくに重視されていたのが、「民間活力の爆発」のキーワードである。
具体的な産業事業として、医薬品のネット販売、医療、交通インフラと並んで、民間の重要産業の一つとして農業が明示されている。

農業についての政府の認識として「変革が遅れる農業」と位置づけられていることは明白だ。その当然の帰結として「国際競争力」をつけることが成功の要因とされている。

しかし果たして、そうなのだろうか。
私は、農業分野の事業展開を推進してきた立場の一人として異論を唱えたい。

いま、日本の農林漁業は大きな転換点を迎えている。
地方に住む住民の高齢化による限界集落の維持問題、第一次産業の後継者問題、雇用の急激な減少、少子化問題...。こうした様々な要因が相互に絡み合い、社会そのものの綻びが地方村落から大きくなりつつあると言われている。
さらにそれらの要因の奥底には、有史以来変遷を続けてきた人間の生活スタイルの流動性があるのだろう。

人間は同じ場所で、同じ生活文化を半永久的に維持発展し続けるという習性にはない。
その時代時代において、住む場所も、生活のスタイルも、食の確保方法も、大きく変化をし続けてきた。そのことによって地球上の覇者としての地位を確保したとも言えるかもしれない。

個人の所得をはじめとする経済格差は、住民の生活を直撃しており、都市生活者との文化的生活水準には大きな格差となって現れ、日本社会全体のゆがみとなっている。

国民の多くが都市部に住む日本人にとって、農林漁業を共有問題とする意識がほとんどないのが現実だ。
山村の現実を我が問題として解決方法を模索し、苦悩しているのは、結局は山村地域に住む人たちだけである。

「それでいいじゃないか」という声も、聞く。
長年、山村再生に取り組んできた諸団体のメンバーですら、閉鎖的な体質を払拭しようともしない。山村地域の人たちとの協働を訴えるが、企業・都市側には自分たちの縁故だけでやっていて、大きく広げようとしないのが、現在の山村再生事業の実態である。
その意味では、限られた人達だけの特権化、既得権を守るような閉鎖的領域となりはじめている。儲け話の『山村再生ビジネス』はその典型である。
日本の将来にとって、極めて、危険な状況に追い込まれている。

こうした危機感を訴えてから約10年の年月が経過した。
近年「里山」再生が重要な課題としてクローズアップされている。
折しも経済再生を訴える安倍政権が「国際競争力をつけることによって農業を再生する」と訴えている。
今の日本の農業政策は、集落営農(農業経営の大規模化)と6次産業化の2本柱によって国際競争力をつけるという方向に突き進もうとしている。

しかしその方向性は、誤っていないのだろうか?
敢えて問いたい。
農業に国際競争力の概念は必要なのだろうか。
そもそも農業とは、地球規模で差別化を競う産業なのだろうか。

それぞれの地域には、その地域特有の強さがある。
他の地域での事例や理論を参考にしつつも、地域の差異を活かす生活を構築できる。
そのために重要な視点は、従来にない発想、異種の経験を、先入観を排除して活かす取り組みが重要になる。そして、その地域が持っている潜在力、「地域力」とも呼べるものを生活にダイレクトに有効活用することが、いま求められている。
そこに、これからの地域再生のポイントがある。
農業は、産業としての一側面だけで取り組んでも、よい結果には到達しない。
私は、そのように思うのである。

現実の話として、都市部と比べると、山村地域の物価は安い。
特に、家賃等をはじめとする住生活関連、そして農漁業産物を中心とした食生活に関わるコストは、農漁山村地域に圧倒的な優位性がある。平たく言えば断然「住みやすい」のである。
雇用確保や収益を確保できる事業展開ができれば、少ない収入であっても経済的にも充分に豊かな生活を送ることができる。
現実には環境整備も必要だ。それは収益事業及び雇用の確保(生活費の確保)、住居の確保、教育・文化的生活の確保である。
その根本的要素は「人」の問題である。

更に国際競争となれば、ポストハーベストの課題、フードマイレージの視点からの悪影響も懸念される。
農産物の地球的拡散による種の混交の問題も、どのような影響があるのか未知数である。
大きな問題として認識されていないが、F1種を使い続けることへの警鐘も鳴らされている。

農業を取り巻く課題は、農業だけにとどまらない。
自然環境の回復、保水力をはじめとした自然災害への対応力、野生動物や小生物との共生など、どれも重要な課題と深くリンクしている。

「農業経営の大規模化」についての疑念は、以前から何度も提起してきた。
そもそも大規模化すれば根本的な改善になるのか。
大企業にならなければ中小零細企業はつぶれてしまうか?と置き替えて考えてみれば誰にもわかることだ。大規模化するかどうかは、真の対策ではないのだ。
加えて、日本の中で相当な大規模化を行ったとしても、アメリカ大陸で行なっている大規模農業は桁違いにスケールが大きい。いくら日本国政府あげて大規模化を推進しても、国際的に見れば大した規模にはならないのだ。
そんなことは少し調べれば、誰にでもわかる事実だ。
しかし、農水省は相も変わらず、大規模化に突き進んでいる。
誰もとめることができないのが、日本の農業政策の実態なのだ。

いま求められている喫緊の課題は何か。
農業従事者と消費者、それそれの意識改革であると訴えたい。
批判もあると思うが、あえていずれが重要かと言えば、重視すべきは消費者の意識改革であると主張する。
食の安全に関する諸課題を我が事として受け止めて問題解決に取り組む決意があるのか。
その決意があれば、地産地消などの消費行動に出るのは必然の結果とも言えないだろうか。
そうした消費市場が日本人の生活の中で熟成されることで、はじめて持続可能な農業経営が成り立つ。
その視点を明確にすれば、たとえば休耕地の有効活用も、生産者の生活支援の側面と共に、消費者と生産者の溝を埋める方向に進める道が見えてくる。
それが遠回りのように見えて、最も堅実な王道であると私は思う。

私達は今年の秋をめどに、新たな活動を広げることを模索している。
奥山から始まり、里山、人里、都市部へと繋がり、里海までの一気通貫したフィールドでの取り組みである。
従来から生活を行なってきた先人達の智恵と哲学に学び、2世代、3世代先の子孫に受け継いでいける日本を創る。
それが私達が目指す農業と里山再生の取り組みである。

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