« 「今の日中は戦術的互損関係」 果たしてそうだろうか? | トップページ | 揺さぶり狙う? いいえ単なる自縛状態の民主党 »

2012年10月 4日 (木)

第89回桂冠塾 『空白の天気図』(柳田邦男)

0899月23日(日)に9月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今月の本は柳田邦男氏の 『空白の天気図』です。

作品の舞台は昭和20年9月17日。
終戦直後の日本列島を襲った枕崎台風は、各地に甚大な被害をもたらしました。被害者6208人(死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人)を記録した「枕崎台風」です。
その中でも広島県下における被害者は3066人(死者行方不明者2012人、負傷者1054人)と群を抜いており、台風が上陸した九州地方よりも甚大な被害者となりました。
昭和30年代にNHK取材記者として広島に滞在した柳田氏はこの被害者分布に興味を持ち、その1ケ月前に起きた人類史上初の原子爆弾投下による被害との因果関係があるのではないかと直感した自身の気持ちをモチーフとして温め続け、作品として昭和50年(1975年)9月に本書を発刊しました。

■技術者・科学者としての視点でアプローチ

題名から推察できるように、本書は気象業務という側面からのアプローチになっている。
中央気象台の指令を受けた広島気象台の北勲氏を中心とした台員たちが、聞き取り調査を行って報告書としてまとめていく経過が作品の時間軸になっている。

彼らが行った聞き取り調査は大きく2つに分けられる。
ひとつは昭和20年9月17日の枕崎台風の実態と被害状況。
もうひとつは昭和20年8月6日の原子爆弾投下の実態と被害状況である。

気象業務という視点から技術者、科学者としての姿勢を貫き、予断なく丁寧に根気強く調査を行っていく様子には感動を覚える。調査を行っている彼ら自身も原爆被害者であることを思えばなおさらである。
気象データは欠測してならないとの観測精神。
その愚直なまでの姿勢と努力が、後年、終戦前後の気象データの空白をわずかでも埋めた貴重な貢献があったに違いない。そうした精神が「黒い雨」の情報収集にも活かされ、原爆被害者の救済に活かされていった。

■目的を見失った方策の行きつく先

作品執筆の当時、この枕崎台風の被害はあまり知らされていなかった。
(あえて言えば現代においても知られていない。)
戦後の混乱期とはいえ、敗戦という現実の前に政治というものはあまりにも無責任ではなかったか。当時を生きていない私達は本来であればそうは言えないかもしれないが、完全に仕事を放棄してしまった政府に対して、愚直に業務を遂行していった気象台員がいた事実を知れば、やはり無責任と言わざるを得ないだろう。
しかし私達は当時の政治を責めるだけでは意味をなさないと思う。
敗戦、無条件降伏という事実の前に自らの仕事を放棄してしまったその原因はどこにあるのだろうか。それを思索することが歴史の教訓を生かすことになる。
私は、政治哲学、理念思想の不在が真の原因だと断じたい。
言いかえれば、政治の真の目的は何なのかが不明瞭だった、もしくは目的を間違えていたと思う。
本来の政治とは、そこで生きる人々がもれなく幸せに生きることに貢献するためにあるはずだ。
ただし、その人民の幸福、庶民の幸福というのは、目に見えない。
そのような事情から、幸福の実現のために必要なものは何かという具体的な実施施策を立案して、その個々の政策を遂行する形をとっていく。いわゆる必要条件を満たすために政治は様々な施策を講じていくのである。
当時の軍部政府は戦争遂行とその結果としての領土拡大をその施策として掲げたのだろう。その施策の妥当性の問題も当然あるがそれはとりあえずおいておくとしても、その政策遂行の途上で、その政策は何のためにやっているのかという根本的な目的を忘れていったのではないか。
その具体的な施策が敗戦という形でとん挫した時(適切な政策でなかったためにとん挫したのは当然の帰結でもある)、真の目的に立ち返って次なる間断なく施策を実行するべきであった。しかし、真の目的を忘れてしまった指導者、施策遂行者達は自身の使命を忘れてしまい、自己の目先の利益に走ってしまったのではないだろうか。

この現象は、現代の社会にも当てはまる。
というよりもその傾向はより顕著になってきているように感じる。
本来の目的を忘れた、もしくは間違った目的を基準にした、テクニカルな政策議論がいかに多いことか。
これでは、アインシュタインやノーベルの嘆きすらも教訓にできていないのではないか。

広島原爆投下と枕崎台風被害に真の因果関係はあるのか

作品に話を戻す。
作者である柳田邦男氏は枕崎台風による広島県下での甚大な被害の底流には8月6日の広島原爆投下の被害があるという仮説のもとに、本書の執筆をすすめた。それは「序章 死者二千人の謎」の最終段に以下のように記述していることからも明白である。

枕崎台風の「調査報告書」の活字の向う側にある生きた実相--この災害の中で生き、災害の中で死んでいった人々の姿は、今日に語り継がれるべき大きな悲劇、人間の記録なのだ。昭和二十年九月十七日の問題は、昭和二十年八月六日の問題と切っても切れない関係にあるのである。いよいよ本題に入らなければならない--。

かなり肩に力の入った気負いを感じる文章だが、柳田氏はこのテーマに対して本書の中で何らかの結論を出すことができたのだろうか。結論ではなくとも暗示でもよいと思うが、どうだろうか。
本書を読了した人は感じるに違いない。
柳田氏はこのテーマに迫ることができなかった。
見聞きした事実を列挙する作業の中で当初の主題を失念してしまったのだろうか。
重ねて言えば、この仮説は必ずしも正しくなかったのではないかと感じる要素がところどころに散在している。
昭和20年に起きた2つの歴史的事故。接近した時間軸。広島という同じ空間。
これだけの条件がそろっていればだれでも直感的に2つの事故に因果関係があるのではないかと仮定するのは当然だと思う。だからこそ、そこに真の因果関係があるのか、みせかけの因果関係なのか、それとも別に存在する真の因果関係から波及した個々の結果としての事故なのか。その点を明確にすることは大切なことである。

この答えは本書内にある。
これはノンフィクションという本書の性格による副産物とも言えるが、柳田氏が次々と列挙してしていく気象台員による聞き取り調査や、後年北勲氏が行った二次情報の収集の過程で集められた個々の情報の積み重ねの中から見えてくる。

一例を指摘しておくと、枕崎台風の広島県下における被害のうち、水害による被害がかなりの部分を占める。この水害被害の多くが呉市で発生していることが、『昭和20年9月17日における呉市の水害について』という報告書によって裏付けられている。
柳田氏はこの報告書にまつわる功績について、広島気象台以外の気象台においても欠測なく観測を続けた気象台員の存在と、後年歴史を残そうとして報告書を作成した坂田静雄氏の尽力を称賛しているが、奇しくもこの事実を本作品に収録したことによって、柳田氏の「昭和二十年九月十七日の問題は、昭和二十年八月六日の問題と切っても切れない関係にある」との仮説は、揺らぎを見せている。
いうまでもなく、呉市は爆心地ではない。
その呉市で水害によって1154人が生命を落とした。
広島県下の死者行方不明者2012人のうちの半数以上が呉市の被害者であったことは本文中でも柳田氏自身が記述している。
原爆被害との因果関係が濃くない呉市の被害が広島県下の被害者数を一気に押し上げている事実を、柳田氏はどう考えているのだろうか。

■枕崎台風における被害拡大の真の要因とは

では枕崎台風における被害が広島県下に集中した真の原因は何だったのか。
原爆投下の被害が大きな要因のひとつであったことは事実であったとも思われるが、主たる要因は別にあったのだろう。
それは本書のところどころで散見することができる。
いわく、戦闘機の燃料とするために松の根っこを掘り起こしたこと、民間を含む燃料のために山林を伐採したこと、軍用道路や防空壕をあちこちに掘っていたことが指摘されている。作品中でも同じ地域内であっても「松根を掘ったところに山崩れが多いんじゃ」との証言も紹介されている。
呉市が海軍の主要拠点であったことを考えれば軍用道路や松根の伐採が他地域よりも多かったのではないかとも思われ、丘陵地に軍事施設が建設もされており、他の地域よりも土地に無理な歪みが多かったとも考えられる。

加えて九州等と比べて緩やかな丘陵地であった中国地方は、河川もゆるやかで三角州地帯も多い。加えて中国地方から北九州にかけての一帯の地層は花崗岩で形成されている。花崗岩は風化しやすく、大量の水が出た場合は比較的流されやすい性質を持っており、災害の直撃に弱い地域と言える。
花崗岩地質については本作品中でも証言の中で指摘されている。
※花崗岩地帯には真砂が広く分布し、強い降雨により多量の砂が流れ出すため、花崗岩地帯の多くが砂防地域として指定されている。

本書内で列挙された情報を淡々と見ていくと、こうした要因が主たる原因となって枕崎台風の広島県下における甚大な被害となったと考えるほうが妥当ではないかと私は思う。
別の視点で言えば、日本国における無謀な戦争遂行という国策によって、一方では原爆投下という悲劇を呼びこんでしまい、また一方では松根掘りや山林伐採という無益な行動の強制によって国土がやせ細り大きな水害被害を引き起こしてしまった...。
これが昭和20年広島における2つの大きな事故の真相ではないだろうか。

■真の要因を見失ってしまう危険性

その意味では、本書における柳田氏の執筆は中途半端と言わざるを得ないだろう。
作者として作品の冒頭で明確にテーマを提示し、読者に期待を持たせて読み進めさせている以上、そのテーマに対しては何らかの結論なり考察なりを記述する責任があるのではないかと感じている。

今回、本書執筆の直接的資料となったと思われる『広島原爆戦災誌』を地元図書館で借りてきた。本文中にも記載されているように「第五巻資料編」に北勲氏達による報告書の全文が写真製版で収録されている。
よくぞここまでの調査をされたものだと敬服した。

前段で作品冒頭で柳田氏が掲げた2つの事故の因果関係について柳田氏自身が考察をしていない点を指摘した。このことによって「枕崎台風の被害が増大したのは原爆投下のせいだ」と思い込んでしまう読者も多いはずだ。
いいかえれば、被害拡大の真の要因は、日本国政府が戦争を開始し続けてきたことにあるのか、アメリカによる原爆投下にあるのかという問題にもなる。
これは極めて重要な問題提起である。
柳田氏のような文章構成で終えてしまうと、日本軍部政府の戦争責任は浮上せず、「原子爆弾が悪いのだ」という論調のみに終始することになる。
枕崎台風による広島県下での被害拡大。
その原因は、日本国政府による無謀な戦争遂行にこそあったのだと指摘しておきたい。

■木ばかり見ていると森が歪んで見える-未成熟のノンフィクション分野-

実は今回、この作品を取り上げるにあたって危惧した点はここにある。
この作品は当初、単行本として昭和50年9月に新潮社から出版されたのち昭和56年7月に新潮社文庫から文庫版が発刊されている。私が初めてこの本を読んだのは、文庫版の初版本である。その後、桂冠塾のテーマに取り上げたいと数年前に確認したところ絶版となっており書店での入手ができずにいた。
その作品が昨年2011年(平成23年)9月に文春文庫から復刻出版された。
書店で入手できるようになったので桂冠塾でも取り上げることができたのであるが、元の装丁と異なる点が大きく2ケ所ある。
ひとつはカバーの表題前に「核と災害1945・8.6/9.17」のサブタイトルが追加されていること、もうひとつは文庫版用のあとがきが追加されていることである。
サブタイトルには「うん?」と感じ、さらに「文春文庫版へのあとがき」という柳田氏の文章を読んで、明らかな違和感を感じざるをえなかった。
柳田氏は「六十六年後の大震災・原発事故に直面して」と題してこのあとがきを書いていることからもわかるように、3.11東日本大震災、そしてその渦中で発生した福島第一原子力発電所の事故に関連付けて、本作品を核の脅威と自然災害のモデルとして位置づけようとしているのだ。

原発問題を取り上げるのもよい。
原子力爆弾の非人道性を追求するのもよい。
自然災害の怖さを訴えるのもよいだろう。
しかし、本作品はそのテーマを訴求するためにはふさわしくない作品だと指摘しておきたい。
そんなところに枕崎台風被害の真の原因はないのだと。

人間は誰しも、既成概念や先入観を持って事物事柄をみるとフィルターがかかった色、形でしか見えないものだ。そんな、ある意味で、よくよくわかっていると思っていることを、つくづくと感じさせられる作品でもある。
あまりにも献身的な行動を続けた気象台員、広島の人々の行動にふれて、柳田氏も感激感動し続けていたのだろうか。思い入れが強いと、冷静な判断ができなくなるのが人間でもある。それはそれで、必要なことでもあるのだが...。

柳田氏の作品に触れると共通して感じることであるが、事実を圧倒的な臨場感を持って淡々と描き出す文筆力の高さと共に、その事実から結論を導き出そうとする際の論理的な展開の未成熟さが混在しているように思われてならない。
ノンフィクション作品の分野はまだまだ未成熟の未知の魅力を孕んでいる。
読者の一人として、これからも前人の作品を凌駕する魅力ある秀作が続々と発表されることを期待したいと思います。

【関連リンク】
第89回桂冠塾 実施内容http://www.prosecute.jp/keikan/089.htm

|

« 「今の日中は戦術的互損関係」 果たしてそうだろうか? | トップページ | 揺さぶり狙う? いいえ単なる自縛状態の民主党 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

読書会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第89回桂冠塾 『空白の天気図』(柳田邦男):

« 「今の日中は戦術的互損関係」 果たしてそうだろうか? | トップページ | 揺さぶり狙う? いいえ単なる自縛状態の民主党 »