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2012年8月22日 (水)

第88回桂冠塾 『輝ける闇』(開高健)

088_2今月18日に桂冠塾を開催しました。
88回目となりました今月は『輝ける闇』(開高健)を取り上げました。

本書を含む「闇三部作」は開高健氏の代表作として有名です。
舞台はベトナム戦争。開高氏自身が従軍記者として体験した事実を元に書かれた作品です。

開高健氏の作家としての活動は大きく3期に分けられるように思う。
第1期は寿屋に勤務しながら『裸の王様』で芥川賞を受賞するなど初期の段階。
第2期は朝日新聞社の臨時特派員としてベトナム戦争を体験し、『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』の「闇三部作」を執筆した時期。
第3期は釣り紀行や食文化を綴ったエッセーにシフトした時期。
もちろんその間で作風が断絶しているというわけではないが、読み手としての印象としては大きく違っているように感じる。

『輝ける闇』を読むと開高氏の作家として抜きん出た筆力の高さを実感する。
一人の人間の内面の描写。人は自分自身のことでありながら自分の気持ちを的確に言い表すことが難しい。何を感じているのか、明確につかめていないことも多々あるのではないだろうか。
その不確かを含めて、ありのままに文字として残していく力が開高健氏にはあるのだと思う。
その比喩的な表現は、思いそのものを表現することの困難さを含めて、実態そのものとして読者に迫ってくるのだ。
開高健氏が一部の読者に強烈に支持されるゆえんの一つがここにあるのではないだろうか。

繰り返しになるが、この作品はベトナム戦争を舞台に描かれている。
その意味では、今一度戦争の意味を問い直す機会ともなった。
ベトナム戦争はアメリカが経験した最大の敗戦である。
枯れ葉剤作戦など非人道的戦闘の代償はいまだ償いきれていない。
従軍したアメリカ人、戦場となったベトナムの庶民双方に大きな傷を残したまま歴史が過ぎ去ろうとしている。

『輝ける闇』はベトナム戦争そのものを題材にしているわけではないので多くは触れないでおくが、私達は戦争が演じてきた歴史的役割<功罪>を、どこかの時点で真正面から考える必要があると思う。

主人公「私」は、南ベトナム政府軍(アメリカ側・いわゆる南軍)に従軍する作家の肩書を持つジャーナリスト。ウェイン大尉の部隊に帯同しているが革命軍側のクーデター情報を得ていったんサイゴン市内に戻り、そこから記事を書いて日本に送信する生活を続ける。
サイゴンでの生活は怠惰だ。
同じような状況で記事を書いている日本新聞の山田氏と場末の酒場や屋台で大しておいしくもない食事と酒を食らう毎日。行きつけの酒場の素蛾(トーガ)を情婦にして、けだるい暑さと怠惰な時間の日々の中に、愛欲の生活も享受している。

元々どんな思いでベトナムに来たのだろうか。
どのように弁解しても自己弁護しようのない自堕落の毎日。
そんな折り、続けて小さな出来事が起こる。
新任の日本人記者が赴任する。かつての自分を邂逅する「私」。
第2次世界大戦を経験している「私」は、戦時下の経験と思いを回想する。
いま自分はどうして生きているのか、どんな思いで生きてきたのかを思い出そうとしていたのだろうか。
そして20歳と18歳のベトナム青年が解放軍の一味として公開処刑が実行される。
先に行われた20歳の青年の処刑を見物した「私」は、人間としての恐れ、はきけ、身震いを感じる。人間としての在り方さえ模索するかに思えた「私」だが、翌日の18歳の青年の処刑には既に慣れが生じていた。
人間の精神の不確かさ、軽薄さを痛感するシーンだ。強烈な精神的ダメージから自分を守るために無感覚になろうとする防衛本能が人間にはあるのかもしれない。

この出来事を通して「私」は戦闘の前線での従軍取材に戻っていく。
そしてその最前線で「私」の従軍した200人の部隊は、解放軍ゲリラの掃討作戦に遭遇する。
部隊200人のうち生きて生還した者は、私を含めてわずか18人。

この作品はベトナム戦争が舞台であるが、その主題は戦争そのものではない。
戦争という極限状態に遭遇したことによって突きつけられた人間としての尊厳、生きることへの問題提起である。
それゆえに時代を超えて、現代を生きる私達に問いかけてくる「何か」があるように思えてならない。

私を含めて、現代を生きる人々の大半は「戦争を知らない僕達」である。
しかし世界の各地では紛争が続いている。
激しい紛争地帯の一つであるシリアで日本時間20日夜には、ジャパンプレス所属の山本美香さんが銃撃戦に巻き込まれて死亡した事件も発生した。
ジャーナリストとして従軍取材中であったことは開高氏の体験とも通じる状況もある。
どのような思いで従軍取材を続け、死に遭遇していったのか。
その生き様に思いをはせながら、自分自身の目下の課題に全力で立ち向かいたいと思う。
日々の生活の課題に直面している私達が、戦場に赴く必要はないだろう。
私たち自身の生活そのものが戦場であると思うからだ。

《第88回桂冠塾の概要はこちら↓》
http://www.prosecute.jp/keikan/088.htm

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