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2012年6月26日 (火)

有権者は何を基準に政治を信託すべきか

本日午後の衆議院本会議で、消費増税法案及び関連法案が民主・自民・公明等の賛成多数で可決。参議院へ送致された。
これで消費税率が2014年4月から8%、2015年10月から10%に引き上げられることになった。
6/16付ブログでも書いたが、改めてこの問題を取り上げたい。

■消費増税を想定していなかった国民の意識

そもそも今国会が開会した時点で、消費増税案が可決されると思っていた国民はどのくらいいただろうか?

「野田首相が増税とか言ってるけど自民も公明も賛成しないでしょ」
「そもそも3年前の衆議院選挙で『今後4年間は増税しない』と言っていたし」
「ここで増税するなら自民党が与党の時代と全く一緒。政権交代した意味もなくなる」
「自民党だって、平気で180度違うことを言い出した民主党政権に協力しないはず」
「仮に消費増税になるなら、まずは解散総選挙して民意を問うべきだ」

こうした感覚が大多数の国民感情ではなかったと、私は思う。
しかし、今日結果が出た。
半年前には予想だにもしていなかった消費増税が現実になってしまっている。

■七変化をみせた3党協議

多くの風向きが変わったのはここ数週間、というか10数日だろう。
「同じ主張(消費税10%)をしているのに賛成しないのは党利党略だ」との世論(というかマスメディアの論調といったほうが現実に近いと思う)に押される形で、与野党協議の席に自民党がついたところから、野党の戦略が迷走し始める。
谷垣総裁の腹積もりでは「どうせ民主党は党内世論をまとめられるはずがない」とタカをくくっていたのではないか。民主党にはできやしないだろうと思いつつ3年前の選挙の際の民主党マニフェストの主要政策の撤回を迫って揺さぶりをかけて、民主党の分裂、腰砕けを狙った。
しかし、野田首相は民主党分裂を回避せずに法案成立に突っ走ってしまったのだ。
しかし考えてみれば、元々人材不足の民主党。
野田氏は財務省出身の元官僚で増税による財政再建論者。
野田政権は財務省事務次官・勝英二郎の言うなりで「勝政権」とさえ揶揄されてきた政権である。
主要政策は財務省官僚の感覚で進められてきたのかもしれない。
こうなったら自民党も引くに引けない。
10%消費増税を可決させて、あとは小沢一郎が民主党を飛び出して新党を結成、一気に解散総選挙になることに一縷の望みを託している状態だ。

■公明党に象徴される政治判断と国民感情との乖離

迷走したという意味では、公明党も同様だろう。
現在の勢力関係図の中で、最も迷せざるを得なかった政党が公明党と言えるかも知れない。
議会での多数決論理からいえば、自民党が民主党との与野党協議のテーブルに着いた時から、公明党は蚊帳の外に置かれてしまった。公明党が反対しようがしまいが、消費増税法案は可決する。
ここで公明党は重大な決断を迫られた。
「消費増税の前に徹底した行政改革や無駄遣いの削減、そして社会福祉政策や経済政策の徹底した実施がまずありき」との従来からの主張を貫くのか。つまり「現時点での消費増税には反対」を貫くという決断が一つ目の選択肢。これは正論であり一本筋が通っている。
もう一つの選択肢。筋は通らないが放っておいても決まってしまう国家政策に少しでも絡んで、国民目線で多少でも修正できる点や追加できる内容を盛り込んでいくという現実的な仕事をするという判断。
公明党の執行部は、限られた時間と政治状況の中で、後者の道を選んだ。
結果として、与野党3党合意の席に着くことになり、消費増税法案に賛成することになった。
公明党が参画したことで、年金受給資格のための最低納付期間が大幅短縮、厚生年金と共済年金の一元化とそれに伴う国家財源の圧縮、景気回復のために公明党が独自に主張していた社会インフラの耐震対策などによる雇用の掘り起こしなど、わずか10日余りで一体改革に多少なりとも近づけたことは事実である。
そのことは民主党も自民党も政策立案していなかったことであるので、土壇場でよく盛り込んでくれたという気持ちもないわけではない。
が、しかしだからと言って、その説明を聞いても消費増税する決定打と言えるわけがないだろうというのが庶民の率直な気持ちではなかろうか。昨月まで条件付きとは言いながらも「消費増税には賛成できない」って言ってたでしょう?って感じだ。

■議論が尽くされていない制度設計

仮に百歩譲ったとして、増税の幅が+1%とか+1.5%なら、この程度の国会論議でもまだ良いのかもしれない。
しかし3年3ケ月後には2倍に跳ね上がるのだ。
このくらいの国会審議で、だれが納得できるだろうか。

消費増税を前提とした制度設計の構成内容を審議していないではないか。
低減税率を組み合わせていない、工夫の跡さえ見えない、お粗末な制度のままで税率だけをアップする。どの品目が国民生活を下支えしているのか、何が嗜好品なのか。そうした仕分けをして複数の税率を組み合わせるのは先進諸国では当然のこととして実施されている消費税の制度設計だ。
高い税率と低い税率に分かれてしまう各業界の反発を恐れて、調整の努力すら行わないまま、「10%実施までに検討します」とまたもや政治決断を先送りしているのだ。

別の角度でみると、日本の消費税はその全額が国庫に入るわけではない。
最初から分配する形になっている現行制度が果たして適切なのか。無駄の温床になっていないのか。

こうした制度上の未熟さは、すぐに簡単に指摘できてしまう。
こうした検討が十分に行われていない現時点で、震災復興も進まず、景気回復の道筋も見えない現時点で、なぜ「いま」消費増税を決めなければならなかったのか?
国民が大いに疑問を不満を持つのは、至極自然な感情と言えまいか。

どれだけの国民が今回の消費増税を是として信託したのであろうか。
ましてや消費増税の政策決定の中心に座っているのは「消費増税しません」と言って政権を奪取した民主党である。
納得しろというのが無理である。
ここまできたら「消費増税」をテーマに解散総選挙しかない。
選挙で国民の信託が有るのかどうか、はっきりとしなくてはならない。
野田総理も国会答弁の中で「法案成立は私の政権でやるが、実施までに選挙をやって国民に問えばよい」と言っていた通りだ。国民生活に直結する大切な政策であるのだから、早急に解散総選挙を実施すべきである。

■有権者は何を基準に政治を信託すべきか

今回、最も筋を通しつつ、自らの政策を少しでも前進させたのは自民党と言うことになるのだろうか。
しかし自民党の力では国家公務員の既得権益を守る体質は改善することはできず、一貫した政治理念を見出すことができない。

では、一貫して反対を貫いたみんなの党、社民党なのだろうか。
潔く感じるのは事実だが、現実に戻ってみると彼らの主義主張は何一つ実現することができない。どこまでも「反対」だけの議論、現実の生活を改善する力は皆無である。

反対を貫いたという意味では小沢Gがある。
彼らを評価すべき局面となるのか?しかし釈然としない。
元々は、政治改革も震災後の復興政策も無為無策を続けてきた民主党政権のふがいなさが政治不信の根底にある。何の根拠もなく、普天間は最低でも県外移設、農家への所得保障、高校の授業料無償化、最低年金7万円の支給、ダムから人へ政策、後期高齢者医療制度の廃止、ムダ削減で数兆円規模の国家財源の捻出、年金制度の一元化...。政権を奪取した公約のほとんどが荒唐無稽のまがい物。その筆頭が小沢氏だったことを思い出さずにはいられない。違法行為こそないが法律の裏を潜り抜ける脱法行為の常習者。小沢氏の行為が明るみに出たことで改正された法律は一つや二つではない。
こんな政治家を信用しろと言われても賛否は大きく二分されるのが当然だと私は思う。

3党協議のテーブルに後からついた公明党は、消費増税を阻止することが本当にできなかったのだろうか。ただ、みんなの党や社民党のような行動をとればよかったのに...とはさすがに思えない。それでも、3党協議に参加したことによって現実の生活改善ができたのであれば、公明党が有する理念に基づいて、整合性のある政治行動を断固主張する道はなかったのだろうか。

これでは日本人の現実逃避はいつまでも続いてしまう。
「現実に政治をやらせた政治家は誰も信用できない」
「だから新しい力に期待する」
しかし未知数の新しい人物からといって政治を改革してくれる保証は、どこにもない。
3年前だって「新鮮で庶民感覚に近い」「一度やらせてみようよ」という理由で民主党が選ばれた。
しかし最右翼から最左翼までの寄り合い所帯に象徴される理念哲学の不在からくる政治能力の稚拙さゆえに政治主導など全く実行できず、現実の国家官僚のやり方や既得権益の壁にいとも簡単に飲み込まれてしまい、また自らも権力のうまみを経験して次々と不祥事を連発して自滅。
民主党に託された国民の期待はことごとく裏切られたのだ。

有権者は、何を信じて、誰に信託すればよいのか。

いま多くの有権者の中では、橋下大阪市長が率いる大阪維新の会への期待が限りなく大きくなっている。
民意とプロセスを重視し、政策実現力が高いと評価されているあの橋下市長でさえ、大飯原発停止によって発生しうる夏の電力不足の影響-企業活動の停止による経済的損失や医療機関等での人命にかかわる緊急事態への補償など-を大上段に構えて公然と脅しをかけてきた既存勢力に対して、一時的とはいえ屈服せざるを得なかったという事実が、既に発生している。
ましてこれが300人規模の政治集団として所属するであろう一人ひとりの政治家、議員が国民の信託に答えるだけの仕事ができると、誰が保証できるだろうか。過去の「風」に乗って当選した1回生議員のほとんどが、大した仕事をするわけでもなく一期だけで国会を去って行った例は枚挙にいとまがない。
大阪維新の会であっても、過去の「風」を受けた政党と何かが違うという保証があるとは言い切れない。橋下大阪市長の高いポテンシャルを持ってしても、多くの議員を自らの理念哲学についてこさせるのは至難の業であると言わざるを得ないと私は強く感じている。

■政党支持の要件と議員選出を立て分ける有権者行動を

いま第一に、日本の政治に求められるのは、過半数の勢力を有する政党の理念哲学と政策遂行能力だ。
常に不測の緊急事態が突発する政治の世界にあっては、瞬間瞬間の決断が不可欠である。その意味においても、いかなる理念哲学を持って政治に臨んでいるかが現実の庶民生活に影響を及ぼしていく。

次に、その理念哲学を持って、それぞれの局面をいかに判断し、いかなる具体的政策を展開するのか。
これが次の問題である。

その意味においては、政党がいかなる理念哲学を掲げて政治の世界に挑んでいるのかを基準として、政党支持を決するべきである。その理念哲学は空理空論ではなく実現性を有していることは自明の理である。
そして、その理念哲学を元にして、緊急の局面をいかに判断し、その時求められている実効性のある具体的な政策を立案し実行することができるかどうか。この一点で、それぞれの政党に属している個々人の議員を選出するかどうかを決するべきではないだろうか。

あえて、今一度くりかえしておきたい。
私たち有権者が政治に向き合う時は2段階で意志決定を下すべきだ。
【1】明確な理念哲学を有する政党を支持せよ。確固たる理念哲学を持てない政党は、政党としての資格を剥奪するべきだ。
【2】政党としての理念哲学が確立している前提に立って、その理念哲学を具体的な政策として現実社会に展開し遂行する能力を有する議員を選出せよ。政党が有する理念哲学と個々人の考えが合致しない議員は袂を分かち、個々人の考えを一にする政党に属するか、ご自身でパーティを組成していただくべきだ。

この2段階の考え方を明確にして、政治に向き合うことが重要であると強く訴えておきたい。

■忍耐をもって政党支持を貫く覚悟を

その意味からも、国民に不利益を与えるような誤った政策決定がなされた場合であっても、それがその政党が掲げる理念哲学が起因しているか、それともその局面で個々の議員が判断した結果なのか。有権者はその違いを明確に自覚して行動すべきである。
前者であれば政党そのものの支持自体を見直さなければならない。
後者であれば結果責任は当該の議員に帰着する。政党支持そのものは維持することが必然である。

有権者も忍耐をしながら継続して支持を続けなければ、目先の結果やスキャンダルに翻弄され「木を見て森を見ず」となりかねない。それではいつになっても同じ状況の下での堂々巡りとなってしまい、国家百年の計を成し遂げることができない。
プロ野球チームの監督起用だって1年か2年の結果だけでころころと監督を交代させる球団は、勝利の因を積むことはできない。球団としての理念哲学を堅持して「この人ならば」と託した人物を信じて一蓮托生の思いでやってもらうことが重要だ。
ましてや日本の政治を取り巻く環境は、明治政府樹立の時から権力に就いた人間達の利益誘導の歴史を繰り返し、100年以上の経験を蓄積しながら官僚と政治家の権益の権化と化している。一人で風車に突っ込んでいったドン・キホーテが滑稽に感じられたように、自分達が主張する政策一つすら成立させられない徒手空拳の虚しさを痛感する時代が長く続くかもしれないが、近い将来必ず実現できる時代が来ることを信じて支援し続けることが必須条件だとも言えまいか。

とかく日本における有権者の投票行動は、その基準が極めて曖昧に感じる。
その代表的な表現は「人物本位」という言葉だ。
一見よいような印象がありそうな言葉だが、現実には、ある議員が政策決定上の過ちを犯した場合に、その個人に責任を帰するだけにとどまらず、その議員を公認した所属政党までもが間違いを犯したようなバッシングをしてしまうのも、この考え方の危険な一面である。
また、個々人としての「人柄がよい」ことは必ずしも議員の資質要件とは言えない。
人がよい人が既存勢力の利権確保のために巧妙に利用されるのは日常茶飯事だ。
「政策立案能力が高い」人物であっても、一人だけでは政党政治である日本の議会においては大きな力とはなりえない。またその能力が「善」のために発揮されるとは限らない。人の心はいかようにも変質してしまう実例を、特に政治家の変貌を、私達は繰り返し目にして辛酸をなめてきたことを忘れてはいけない。
制度面でもそうだ。わかりやすい例をあげると、個々人で活動する無所属の国会議員には政党助成金は交付されない。

次の内閣が命運を握る 消費増税施行には半年前に内閣決議が必要

そして、とかく日本の有権者は政治局面の判断ばかりを重視する。
「重視する」という言葉よりは「興味を持つ」と言ったほうがより適切かもしれないが、いずれにしろそれぞれの政策を吟味するまねごとは行うことが有っても、根底に有するべき理念哲学の是非で支持政党を取捨選択するという習慣が身についていない。

今回、衆議院で可決された消費増税法案には、施行期日の半年前にその時点の状況を勘案して施行するかどうかを閣議決定することが盛り込まれている。
つまり、まずは2013年9月末時点で組閣されている内閣がどのような理念哲学を有しているかということが最重要のポイントとなる。
この時点までに政治の世界で何が行われるのか。
そして、その時点の内閣がどのような理念哲学を基盤とした人物達によって組閣されているのか。
ここに今回の政治決戦のターニングポイントがあると言っても過言ではないだろう。
2013年9月末をただ迎えるのでは意味がない。その時点までに民意を体現して仕事をする議員を議会に送り込み、実効性のある政策をひとつでも多く実行していただく。
そして2013年9月末時点での内閣は多くの庶民の思いを我が思いとする人達で構成されている。
政策を実行する時間を考えれば、いちはやく解散総選挙を行って国民を信を問うべきだ。
この時間軸を私達も理解して主張すべきである。

繰り返しになるが、最後にあえて申し上げたい。
心ある有権者として、理念哲学を基準に支持政党を決めることを強く訴えたい。
そして政党の支持と個々の政治家への信託は明確に立て分けて、議員選出にあってもその政党の理念哲学を体現した候補者を信託して意志表示をするべきであると強く訴えたい。
近く訪れるであろう衆議院の解散総選挙にあっては、目先の感情や「風」などに左右されずに、一人でも多くの有権者が心から納得できる投票行動をとれることを、心から願っている。

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