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2011年1月30日 (日)

第70回桂冠塾 『塩狩峠』(三浦綾子著)

0701 1月29日に今年最初となる桂冠塾(読書会)を開催しました。
今月の本は『塩狩峠』(三浦綾子著)です。

本作品はキリスト教誌「信徒の友」に連載されていたことからも推察されるように、キリスト教思想がベースとなった人生が描かれている。作者の三浦綾子自身が1952年、結核の闘病中にキリスト教に帰依。結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、プロテスタントとしての信仰に根ざした著作を次々と発表。『塩狩峠』は代表作にひとつである。

物語の主人公は永野信夫。
決まって書評等では死に至る最後のシーンが紹介されているが、作品の大半は永野信夫がキリスト教信者と出会い、様々な出来事を通して自らがキリスト教を根本とした生き方を送る変遷が描かれている。身を投げて死に至るシーンとその後の回りの人達の心境等の描写は予想している以上に少なく感じるのではないか。

最後のシーンは現実の事故がモデルになっていることはよく知られている。
実際の事故は作品連載が始める57年前の1909年(明治42年)2月に起きている。その時、塩狩峠にさしかかった列車の客車最後尾の連結器が外れて暴走をはじめた。その客車に乗り合わせていた鉄道院職員の長野政雄が暴走する車両の前に身を投げ出して列車を止めた。この献身行為によって大事故になることはなかったのだという。
主人公の名前の類似からみてもこの事故の犠牲者であった長野政雄の行為が作品のモチーフに大きな影響を与えている。

キリスト教は日本においては永く「ヤソ」と称されてきた。
作品の舞台となった時代は、キリスト教は日本伝来の宗教とは違う、江戸時代のキリシタン禁止令によって信徒がキリシタン類族として激しく弾圧された等の歴史から「受け入れがたい他国の宗教」というイメージが広く流布していた時代である。
※このあたりは第27回桂冠塾『青い空』でも触れました。

そうした時代に、自分自身の複雑な出生を抱えながら、自身が思っていることとは異なる思想、宗教を信じる人達と遭遇し、反発し、思索していく主人公の軌跡は考えさせられるものがある。
とかく自分の意見と異なる考え方の人とは努力をしてまで付き合おうとはしない風潮の現代である。中でも現代日本人の気質との指摘もされる傾向だ。
当たり障りのないところまでは楽しく会話するが、人生だ信念だとかの話は笑って踏み込ませず踏み込まずがスマートな生き方と言われたりもする。
「自他共の幸福」なんて言おうものなら失笑すら買いかねない。
第一そんなものがあるのかないのか考えすらしないし、別に関係ないしと受け流す。

私達の目指す人生のゴールとはどこにあるのだろうか。
今一度考えてみたいと思う今日この頃である。

【関連リンク】
第70回桂冠塾 『塩狩峠』(三浦綾子)

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