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2009年8月18日 (火)

「2大政党制まずありき」との世論を問う なぜ自民党政治は崩壊したのか?

第45回衆議院議員選挙が今日8月18日(火)に公示された。
8月30日(日)の投開票日に向けて12日間の選挙戦がスタートする。

今回の選挙の”焦点”は「民主党が政権を取れるのか」の一点に当てられている。その意味で「自民VS民主」の対立構図は投票日当日まで続くだろう。
しかし選挙の”争点”はと問われて、明確に回答できる人はさほど多くないのではなかろうか。言い換えれば、有権者の関心は政権という「枠組み」にのみ向いてしまい、結果的に「政策」「政治理念」といった「内実」を軽視することになっているのではないか。
そんな不安を拭うことができない。

今日はあえて皆さんに問いたい。
2大政党のみの選択で本当によいのか。

そもそも最近の歴史の中で日本が2大政党制を志向したのは1980年代の後半、20年ほど昔の話である。
もともと明治の時代から選挙区の規模は何度も見直されてきた。
戦後においても鳩山内閣、田中内閣の時代に実施が模索された歴史がある。
現在の小選挙区制が導入された直接的な要因は、「中選挙区制においては選挙運動にお金がかかりすぎる」という反省から出てきたものであった。
実際に実施されたのは1996年の衆議院選挙であり、その歴史は13年ということになる。
検討されていた1980年代後半当時は社会党も存在して政治的には55年体制が続いており、自民党による一党独裁の弊害が叫ばれていた時代である。世界的にもイギリス、アメリカで2大政党制が機能していた時代である。
社会的にはバブル崩壊前の理念なき強者によるマネーゲーム、そして実際に小選挙区制が実施された1996年当時はバブル崩壊後の負の遺産がいつまでも解消しきれず、日本から世界不況が広がるかもしれないという危惧が蔓延していた「不安の時代」でもあった。
「ガラガラッポン」なんて言葉が流行り、社会構造の根底からの変革を国民全体が希求していた。
そんな時代だったと記憶している。

しかし、すぐには2大政党制の時代を迎えることはできなかった。
9党大連立を経て「新進党」結党という歴史的な舵を切った日本政治であるが、自民党に対抗する勢力の政治的資質の欠落、未熟さが浮き彫りになり、「自社さ政権」という新たな枠組みかと期待されつつも数日で馬脚を現した連立政権の現実によって、日本国民のわずかな希望は打ち砕かれたのであった。

その後、日本発世界恐慌の危機に直面した日本政治は「自自公政権」という自民党を中核とした連立時代に突入。「自公保」を経て現在の「自公連立」に至っている。
新進党時代に下野した自民党は、出直し的解党と叫び、従来の政治を大反省したはずであったが、数年しないうちに族議員が復活し、完全解消するはずだった派閥も堂々と復活した。
そんな自民党の体質に、官僚の腐敗も次々とあからさまになり、国民は政治不信を極限にまで増大させていく。
この間も、日本政治は2大政党制を叫び続けてきた。
その主眼に「自民党政治をぶっつぶす」という国民の怒りがあったことは明白である。
小泉内閣が国民の支持を得たのは、自民党政治の復活を認めたのではなく、郵政民営化を支持したわけでもなく、自民党を根本から変えてくれるのではないかという期待値が相当に高かったことを、私達は忘れてはならないと、私は思う。

中選挙区から小選挙区制への移行は、その明白な政治の意思である。
しかし、この20年近くで庶民の生活は大きく変化し続けている。
2大政党で国民の意思を反映することは、もはや現実的ではない。
言うならば、2大政党制の時代は、大量生産大量消費の時代の国民にふさわしいのではないだろうか。
白か黒か。
イエスかノーか。
こんな風に世の中の出来事を2分しても多くの国民の意思を掬い取ることができる時代。

翻って現在の世界。
価値観の多様化、個性の尊重、自立した人間性を尊ぶ時代になった現代。
2つの政党のみで国民の意思の大半を反映できる時代ではないことは誰の目にも明白ではないかと、私は思っている。
世界に目を転じてみても、イギリスにおいても第3勢力の台頭が始まって久しく、もはや2大政党制はアメリカの専売特許と化した感がある。
なんでもかんでも大規模化を目指し、勝負の勝ち負けをはっきりさせる社会風土にふさわしい気もするが、そんなアメリカで2大政党制が維持できるのは大統領制で行われていることに大きな要因があることを、見逃してはならない。

そして、現代の日本。
2大政党と言われるそれぞれの政治理念にどれほどの差があるのだろうか?
自民VS非自民。
これが実態ではないか。
こうなると「非自民」というのが、実に危うい。
元をたどれば典型的な自民党保守政治家もいれば左翼といわれた旧社会党の重鎮まで存在する「その他ごった煮」状態であることは多くの国民の知るところであり、政権を担当した後のドタバタ劇の顛末は想像に難くない。
国家の意思決定ができるのかどうかすら、疑わしい、と私は見ている。

今回の衆議院選挙で日本国民、有権者の決断が行われる。
そのうえで、本当に2大政党制でよいのか。
その2つの政党にどんな違いがあるのか。
有権者が選ぼうとしている「変化」はプラスかマイナスか。
それを真正面から対峙する勇気を持たねばならない。
マスメディアや「みんなが言っている」というようなあやふやな基準ではなく、自分自身の判断で、第3の選択肢を真剣に、勇気を持って、模索し決断することが求められている。

閉塞した現実を目の前にしたとき、人は「チェンジ」を求める。
大切なのは、そのチェンジが、積極的な挑戦なのか、苦しい現実からの逃避、破壊なのか、その姿勢である。
同じように「チェンジ」と表現されても、その結果は180度、違う。
チェンジも「力」であるが、持続も「力」である。

目下の課題に生きよ。
そして、
進むべき道を決めきれない時は、自らが苦労する道を選ぶ。
目の前の困難を避けるのではなく、乗り越える道を選ぶ。

これが私の判断基準である。

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