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2009年5月26日 (火)

【読書会】『吉田松陰』(山岡荘八) 第50回桂冠塾

050_4 5月23日(土)に今月の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回は山岡荘八作『吉田松陰』です。

吉田松陰、寅次郎矩方の生涯は、大きく5つの時期に分けて捉えることができます。
若き時期から
① ~11歳 幼少期から徹底した秀才教育の時期
②11~15歳 人間形成の時期
③16~19歳 既存学問の集大成の時期
④20~25歳 人と出会い見聞を広める諸国周遊の時期
⑤25~30歳 リーダー、教育者としての後半生の時期
です。

私達の持つ「吉田松陰のイメージ」は5番目に位置する5年間が強いわけですが、その5年間に至る「前半生」である25年間を知ることが松陰に実像に迫る重要な鍵です。

読み進めるにつれて私達が持つイメージと違う吉田松陰が現れてきたように感じた方がおられたのではないかと思います。
松陰は決して幸運とはいえない環境に生まれ育ちますが、常に前向きな向上心を持ち続ける父母のもとで兄弟にも恵まれて急激に成長していきます。

松陰は若くしてひとかど以上の秀才になりますので、毛利藩の方針の中での人生の軌道を選択したとしても、それなりの歴史に名を残したかもしれません。
作品に描かれる松陰は、人間味にあふれています。
少し新しいことを覚えると天狗になり、知らないがゆえに厚顔無恥な意見書を出し、後年自分自身で恥ずかしくなったりしています。
その一例が19歳の時の意見書提出のあとの松陰の言動であり、20歳になって初めて藩内海岸防備視察に行った際の浮かれように現れています。
このときの松陰は、まるで修学旅行に行っている中学生のようです。
無邪気といえば無邪気ですが(^_^;)このときの状況のままで何も変わらなかったとしたら、その後の松下村塾での薫陶は実現しなかったのは明白です。

松陰はその後、九州視察に赴き、自分の見識がいかに浅薄であったかと思い知らされます。彼はこうした挫折を飛躍台にしながら自分自身の境涯を大きくし続けていきます。

その象徴的な出来事がアメリカ密航の失敗です。
計画自体が幼稚だったという批評もできるかもしれない。
確かに失敗直後に松陰が振り返って、杜撰な点をいくつも指摘できるくらいであったのだから、成功する確率など限りなくゼロに近かった。

しかし、山岡荘八氏が書いているように、極限での失敗に直面した時こそが、その人の人生の岐路です。
絶体絶命の悲観的状況に追い込まれた時、殆どの人が「諦め」という選択肢を取ってしまう。
誰が考えても打開できないと考えるような状況。
あきらめるのは当然かもしれない。

また安全安心をうたう社会ほど、それを容認するしくみにもなっている。
セーフティネットという名前の社会保護政策はその代表例です。
自己破産や倒産という手続きをとれば、出直すことができるのが現代社会。
たしかに出直すために足かせ手かせを軽くするという意味では有効な手段でしょうが、自分自身が行った行為が帳消しになるわけでは決してない。
自分の人生、生命の軌跡には成功したことも、失敗したことも、誰が見ていなくても厳然と刻印されることには変わりがない。

また、リセットすることで次の人生を素早くやり直せるという反面、そのぎりぎりの局面を自分自身の人生の絶好の機会にするチャンスを放棄していることも忘れてなならないと思います。
身近な学問やスポーツ、仕事のスキルの修得などに置き換えて考えてみればわかりやすいかもしれません。
自分の能力を超えた負荷(英語で言えばストレスということになる)をかけることが能力開発や技術取得の絶対条件。その人が持っている能力以下の仕事をしているだけでは、いつになっても成長はしない。
かえって次第に能力は衰えていくのは科学的にも明らかな事実です。

このときの松陰も決して例外ではありません。
松陰はこの危機的状態を、決して逃げたり避けたりしないと決意します。
その決意が自首という勇敢な行動に繋がり、裁きの場を絶好の言論闘争の場へと昇華させていく。
そしてその精神と行動が松下村塾として形作られ、明治維新と新政府の要人達の輩出へと繋がっていったのです。
アメリカ渡航失敗の現実から、松陰が死を選んだり、保身のためにその場から遁走していたら、今の日本は違っているものになっていたでしょう。
事実、アメリカ渡航を共に実行しようとした金子重之助は元々頑強な心身の持ち主であったが、この事件を境に急速に生命力を失ったかのように死出の方向に向かっていった。

何重にも絶望の淵に突き落とされた松陰が、ぎりぎりのところで決して諦めなかった要因を山岡荘八氏は、大和魂と両親の薫陶と愛情であったと指摘しています。

ここでいう大和魂、また尊王と言い換えても差し支えありませんが、その精神は、現代日本人が考えているような漠然としたものでないことは、作品の中で丁寧にかつ論理的に記述されています。
それは当時の勤皇志士と呼ばれた人達と比類しても、おそらく間違いないことであると思いますが、群を抜いている。

吉田松陰にとっての勤皇観とは、日本人の精神形成の歴史そのものであるといっても過言ではありません。
松下村塾の教育は個性尊重、人間尊重であったという。
それは西洋的な個人主義ではなく、松陰にとっては、個人も藩も国家も民族も、別々ではなく、みな一つの宇宙の生命に包含された一体のなかの枝葉に過ぎないと見ていた。
--自分を取り巻く世界からの恩恵に感謝し、大いなる生命観に立脚する。
--その感謝の心を根幹に行動を決していくから、日本人は優れているのだ。
平易に表現すれば、吉田松陰の勤皇観はこのように言えるのだと、私は思う。

吉田松陰の下で学んだ門下達は、明治維新を成就し、新しい明治の時代を築いていく。
その原動力となったのが松陰の尊王思想、そしてそれを下支えしていた生命哲学であったと言えるのではないか。
ただ、時代を追う毎に、松陰の思想の根本を継承する者が急激に減少したことも想像に難くない。また、松陰に直接薫陶を受けた者でさえ、激変する生活環境の中で、根本理念を忘れていった。

なぜそう考えるのかといえば、その後の殖産産業と共に富国強兵の道を猪突猛進した明治国家に生命への感謝の念を見ることは、限りなく不可能に近いからである。

吉田松陰が目指し、門下生達に説き続けた国家天下の理想像。
それは、現代を生きる私達にも警鐘を鳴らしているように思えてならない。

【開催内容等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/050.htm

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