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2008年5月16日 (金)

後期高齢者医療制度 本質はどこにあるか

後期高齢者医療制度の議論が沸騰している。
マスメディアの論調も様々だが、テレビメディアについては表面的、感情的コメントが大勢を占めているようだ。「感情的」という表現をしたのには、それなりの理由がある。

ここ2週間ほどの間で、私の周辺でも後期高齢者医療制度が頻繁に話題に上がるようになった。少なからずの知人が率直な気持ちや感情を吐露していた。
態度は二分されているというのが私の印象だ。様々な意見を集約すると特徴的な傾向がある。反対をしている人は高齢者本人もしくは高齢者を家族に抱える人達に多く、それよりも若い人は相対的に静観している。この理由は一概には言えないかもしれないが聞いた声から類推すると、現実に直面している人と、現時点で直接的な生活上の影響がない人との違いだろうか。

高齢者で意見を言っている人の殆どは後期高齢者医療制度に反対している。
確かに、多くの75歳以上の高齢者にとって月1万円を超える保険料負担が発生するケースが多発しており、現実に生活が続けられない事態を迎える危険がある。新たな収入増が見込めない年金受給者にとっては死活問題だ。
その一方で、従来の健康保健制度が地方の市町村を中心に破綻状態になりつつあり、早いところでは明年にも破産が発生するのではないかという状況まできている。破綻をしてしまえば多くの住民の医療費は10割負担に戻ってしまう危険がある。後期高齢者とて例外とは言えないだろう。

高齢化すると共に、医療機関にかかる頻度が増していくのは老いの現実である。
高齢者医療制度を考える上で、健康寿命をいかに伸ばしていくか、元気高齢者をいかに増やしていけるのかが最大の解決要素といえるだろう。
そうした試みが充分に行なわれないうちに少子高齢化が進んでしまったという悲劇的な要因も重なっている。

そのうえで、いまの後期高齢者医療制度の議論に私見を述べておきたい。
それは反対を唱えている国民に対してである。
反対をする殆どの人は「従来の制度に戻せ」と言っている。
しかし従来の制度で充分なのであれば、反対されることが容易に予想できた制度を施行するはずもないだろう。前述のように1~数年で破綻する危険性を有している現行制度である。
反対するのであれば、対案を考えなければならない。
「それは政治家がやること」などという戯言はこの際論外だ。皆が主体者としての気持ちを持たなければ何事も解決しない時代になっている。自分自身が主体的に真剣に考えると「今回の制度は暴論だ」という意見はこんなに多くはならないだろうと私は思う。
事実、国会やメディアで派手に制度批判を行なっている民主党でさえ、まともな修正案を出すことができずにいる。「廃止法案」は出せても医療保険制度の改革案が出せないのが現実である。せいぜい民主党内で意見の一致を見たのが年金受給者の口座引落しの停止であると言われている。

施行するうえでの不手際、配慮のなさ、制度決定からの2年間の不作為などは厳しく追及をし、改善するべきだ。年金受給者や低所得者等への制度移行の経過措置や軽減措置は充分に考慮されなければならない。
また不確実な情報の流布は心して戒めるべきだろう。負担が少なくなる高齢者が多いなどという発言は確実な裏付データがない限り、発言すべきではないし、高齢者本人への負担を求める制度である以上、軽減されるというのは正しくないのではないかと私は思っている。
そうした諸々の事態を収拾しながら、国民が一丸となって建設的によりよい解決策を議論し決定していくべき段階に入っている。

もうひとつ、あえて今回の制度に意見を表明していない比較的若い世代の気持ちの奥底にある気持ちを探っておきたい。
それは彼らが事実上の経済的な負担者であるという事実だ。
現行の医療制度で進むならば、その保険料負担の大半は若年者層に集中する。後期高齢者医療制度に賛成も反対も表明していない人の中には、後期高齢者医療制度が廃止されれば自分達にその負担が回ってくることに気づいている人が、少なからずいる。
この点を、制度に反対している高齢者は、早く、正確に、気がつかなければ大変な事態になるかもしれない。

今の若い世代、特に40歳前後から下の年齢者は高齢者福祉の恩恵を受けるのは早くても65歳以上、おそらく70歳を超えなければ制度を利用できない状況になっているだろう。しかも若い時から高齢者を支えるために支払ってきた保険料や年金の総金額に対して、それに見合うだけの老後の保証をうけることは困難であると言われている。金銭面だけを考えれば「損」をする世代なのである。不払いの人達が増えているとは言いつつも、それでもまじめに高齢者を支えるために払い続けている若い者達が大半を占めている。

そんな若い世代からみれば、今の高齢者の言い分はなんなのかという意見がある。
「今の高齢者が若い世代の時に当時の高齢者のためにどれだけの負担をしたというのか」「あなた方が負担した保険料等に匹敵する保証は10年もあれば充分に回収できるではないか」
高齢者には高齢者の主張がある。
しかしその主張によって、その高齢者を支えている人達がどのように影響を受け、リアクションを取るのかということを慎重に考えなければならないと私は思う。

これまで数十年の日本の制度改革は、低所得者層の福祉を厚くすることに重きが置かれてきた。その財源は高所得を得ている人達から確保するというのが定石であった。
しかし、後期高齢者医療制度は全く違う構図を有している。その制度によって恩恵を受けるか負担を多くなるかの分かれ目は、単純に年齢である。これからの政治は、舵取りひとつで世代間の対立構造を生みかねない大きな危険を内包しているのだ。

政治が政治屋によって私腹が肥やされていても成り立っていた時代は既に終わっている。大企業対労働者というマルクス的な貧弱な発想では到底解決など見えない時代だ。
政権交代など、しても、しなくても、根本的な問題とはまったく関係がない。
これからの政治に、そして庶民の生活を成り立たせるためには、利害が対立する人達の中で、いかに解決の方策を見出していくか、その人間としての智慧が求められている。
それは哲学という言葉で表現するのが最も適切だと私は思う。

哲学不在の時代。
それが現在の政治の混乱の元凶である。
庶民一人一人の気持ちが荒んで、凶悪犯罪が多発するのも同根である。
ある方に金美齢(きんびれい)さんが書いていた記事を紹介していただいた。
「老後とは人生の総決算。貧困も孤独死も、自ら選んだ道のりの終着点なのだ」と。
サマセット・モーム作『ロートス・イーター』に登場するトーマス・ウィルソンの生き方と私達の人生と、果たしてどれだけの違いがあるのだろうか。
私自身が、我が事として真摯に取り組んで生きたい。

※サマセット・モーム作『ロートス・イーター』は新潮社『モーム短編集13』に収録(現在は絶版)。
【金美齢さんのコラム(「産経新聞」2008年5月2日付1面)】
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