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2007年4月20日 (金)

候補者の本質を見抜くのは有権者の責任

統一地方選挙の後半戦も終盤を迎えてきた。
22日の投開票日まで残り1日余り。
もちろん地方選挙なので各市区町村毎に関心度や熱気は様々であるが、少なくとも私の周辺ではこころなしか今回の選挙は特に盛り上がりに欠けるような印象がある。
なぜだろうか。

大きな原因のひとつに「争点に欠ける」ことが挙げられるのではないか。
争点が欠ける更なる要因には大きく二つの視点が考えられると私は思う。

まず1点目は有権者が争点を比較検討する機会に恵まれていないことだ。

首長選挙では今回からマニフェストが配布できるようになり、関心を集めるかと思いきや、そうでもない。
議会議員選挙にいたっては選挙公報くらいしか各議員の政策主張を目にする機会はない。「選挙カーや街頭演説はうるさい」という指摘は以前から多くあり、ブログ等でも声高に書かれている(私も選挙カーについてはかなり懐疑的な意見を持っている)が、なくしたら個々の議員候補の政策主張を知る機会はますます減ってしまうというのも現実なのである。

そしてもうひとつの要因として、争点となるような政策論争自体がなくなってきたのではないかという点だ。

もともと地方選挙はそれぞれの自治体に大きな問題(例えば巨大なプロジェクトの可否や現職の汚職など)があればそれが争点となる以外は、比較的地味な選挙といえるだろう。それは日常の生活に密着した政治ということの裏返しでもある。
それゆえに「議員になって何がしたいのか」「どのような政治理念信条で地元行政に取り組むつもりなのか」また現職であれば「任期中に何をやったのか」が明確にされなければならない。この点が近年急激に希薄になっているように感じるのだ。

立候補者の質的ばらつきが拡大していることも指摘されている。端的に言えば「このような人に我が地域の議員を任せられるのか」という人間まで立候補している。
特に公募制で挙がってきた候補にその傾向が強い。市区町村議員を都道府県議員、国会議員へのステップアップとしてしか見ていない輩がいるのも悲しき現実だ。
どこ、とは言わないが、ある政党では、毎回の都道府県議議選や国会議員選挙で、地方議会議員からの鞍替えが相次ぐ。今回も1期目の途中とか在任11ケ月だけという議員がいた。
こんな議員は最初から当選させてはならないと思うが、皆さんはどう感じるだろうか。

大切なのは議員としての信念理念だ。
理念や信念がない、あいまいだから、議員の不祥事が相次ぐ。
汚職や贈収賄の魔力に負けてしまう。
選挙のために、やってもいない実績を平気で詐称する。
必ず実現するという決意もビジョンもない公約を平気で言い放つ。
発言に一貫性がないパフォーマンスやルックスばかりが先行する。
結果として、議員になっても何もやらない。何をやったらいいかわからない。

何のために議員になろうとしているのか。
地域の発展のため、住民の生活向上のために、本気で取り組むのは誰なのか。
それを見抜くのは有権者の責任である。

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