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2007年4月11日 (水)

今度は民主の風が吹くのか

統一地方選挙の前半戦は、投開票が4月8日(日)に行なわれた。
私の住む東京都ではマスメディアの関心を集めた都知事選挙だった。
結果は投票者の半数余りの支持を獲得した石原慎太郎候補が3選を果たした。
とかく「石原圧勝」が報じられているが、現実は果たしてそうだろうか?

知事選挙は1名の当選者を選び出すという意味でわかりやすい対立構図だ。
その意味では対立軸として自民vs民主を代表する代理選挙という報道もあったが、必ずしもそうではないだろう。
浅野氏敗北は単純に石原vs浅野という個人候補の差による要因が大きい。
様々な政策について異論反論もありながらも、総体として一人の候補を選び出して投票を行うというのが選挙のしくみである。

今回の選挙への関心は高く、東京都知事選挙での投票率は、4年前に比べて10ポイント余りアップした。(今回54.35%,前回44.94%)
当日有権者数は10,238,704人だったので10ポイントは約100万人に相当する。
この100万人の有権者の投票行動に注目することが重要な視点のひとつだ。
個々に確認することはできないので統計的に推論することになるが、その一環としてマスメディアが報道するのが出口調査をもとにした無党派層の投票行動だ。

読売新聞社による出口調査では無党派層の38%が石原候補、36%が浅野候補に投票したと報道されている。ほぼ互角に分け合ったということだ。したがって普段から支持政党を持っている有権者の多少によって勝負が決せられたというのが読売の分析のようだ。

しかし果たしてそうだろうか?
近年、都市部特に東京では無党派層と呼ばれる有権者カテゴリが定着したかのように報道されている。無党派層と聞くと
「あまり選挙に行かない」
「一定の政治的信条がない」
「直前にその都度投票する候補を決める」
といったイメージがあるように思うが、私はそのようには思っていない。

現在の無党派層には大きく二つのパターンがあるように思う。
ひとつは、政治自体にあまり関心がない人たち。
もうひとつは、自分が託するに足りる政党がみつからない人たちである。

前者は多くの人が従来から持っているイメージの類型であるが、後者が近年増えているように感じる。
つまり、毎回選挙には行くが日常的に思想信条を一にする政治パーティはないというパターンだ。
多くの候補者は、この「無党派層」の支持をいかに取り付けるかに腐心している。政治に関心がない人達に住民としての自覚を訴えるのは非常に重要であると思うが、評価されることを最優先するのは、ある意味で本末転倒であると感じている。

本来、多くの候補者の中から一人の人を選ぶには、それ相当の理由がなくてはならない。
それは公人としての実績であり、人間性も必要だ。間違ってもルックスや実現させる決意に欠けた耳障りのよい公約ではいけない。

日本社会が成熟したと言われる「56年体制の崩壊」以降、選挙のたびに言われるようになったキーワードがある。
それは「風」である。
私は個人的には好きでない表現であるが、マスメディアはなぜか多用してきたように感じる。「風をよむ」などというコーナーを続けている報道番組もあるほどだ。
しかし、政治は「風」なのだろうか。
本当に風を読むつもりがあるなら、風が起きるその原因を探るはずだ。
つまり、表面化された政策やマニフェストの基礎となる政治信条や理念だ。
自民党一党による政治からの脱却を期待する有権者の受け皿となるべき、過去に「風」を受けてきた多くの政党のすべてが、その後数年で党命を絶ったという事実は何を意味するのだろうか。

今までの固定概念を捨てて、今一度、正視眼で政治を見つめ直したい。

《関連リンク》
東京都選挙管理委員会
東京都知事選挙
統一地方選「前半の部」は与党が優勢

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