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2007年4月29日 (日)

第25回桂冠塾 『永遠の都』ホール・ケイン

025 4月28日(土)に25回目となる桂冠塾を開催しました。
今回は『永遠の都』(ホール・ケイン)を取上げました。
ほとんどの参加者が読めないままでの参加となりましたが、かろうじて1名の方が読了していただいておりました。

■作品の大意・あらすじ

この作品はどのような表現をするのがふさわしいだろうか。
革命小説、ロッシィとローマとの大恋愛小説、キリスト教信仰を基盤とした理想郷建設のユートピア小説、友情と同士愛を描いた青春小説....。
いろいろな形容がされていますし、どれもこの作品を言い表している表現であると思います。それほどに、この作品には大きなテーマがいくつも提示されています。

■作者が意図したもの

そのうえでひとつの表現をするのであれば、作者のホール・ケインは「信じ続けることの難しさと大切さ」を訴えたかったのではないかと私は感じています。
裏切りと謀略、愛する者への不信、そして自分自身の良心を覆い隠して歩んでいく人生に、自分自身の存在が崩壊してしまうかのような危機感を感じながら、それでも生きていこうとする若き主人公たち。

何が真実なのか、何がよりよい選択なのか。
判断する基準を持てず、迷い、戸惑い、立ち止まって投げ出しそうになる人生。
それでも生きつづけることの意味と、それだからこそ、確固たる信念の確立の必然性を強く感じるのは私だけではないと思います。
混迷の度を深めているといわれている現代。
哲学不在の危機が叫ばれて久しい感がありますが、今一度、私たちは何を目指して人生を送るべきなのかを思索することが求められていると感じます。
ロッシィが目指した「人間共和」の社会。
ローマ法皇たちが陥ってしまった人間性の罠。

主人公ロッシィは、タイトルにもなっている「永遠の都」を実現できるのか。
そもそもホール・ケインが描き出そうとした、ロッシィが目指した「永遠の都」とはどのようなものだったのか。
ホール・ケイン自身はキリスト教社会主義による国家建設を目指し、居住していたマン島の下院議員を務めた経歴を持っています。その意味ではプロテスタンティズムによる幸福社会の実現を目指していたと考えるのは、あながち間違いではないと思いますが、プロテスタンティズムの啓蒙書としてのみこの作品をとらえることは必ずしも正しいとはいえないように感じます。

ロッシィが戦っているものは何なのか。
現実的には、総理大臣ボネリィ男爵を中心としたイタリア王国政府と法皇を頂点としたローマ教会です。
ロッシィは民衆を統治する2つの巨大な権力に、何の後ろ盾もなく、民衆の支持によって「言論の力」で立ち向かっていきます。新聞の論説や檄文、街頭や集会での演説、そして下院での国会議員としての主張を、徹底した非暴力で貫こうとします。

ロッシィが唯一の武器とした言論の力。
それは現代社会の閉塞状況を打開する力でもある。
ペンによる言論もそうであるが、一対一の対話による一人の覚醒の積み重ねこそが時代を切り拓くと強く訴えたい。そうした地道な努力があってこそ、より高貴な世論が形成されるのではないだろうか。
現代における浅薄な世論。それを作り出しているのはマスメディアにほかならない。
確固たる理念を有したメディア展開であれば、まだ許容範囲がある。
しかし、哲学不在のまま、一時的な感情で右に左に簡単にぶれてしまう俄か言論人に世論形成されている現代人は本当に不幸である。

別の視点でみるならば、それは虚偽なるものとの闘争だったといえないだろうか。
裏切りと謀略、愛する者への不信、そして自分自身への信頼が崩壊してしまうかのような危機に、繰り返し直面します。
これでもか、これでもかというくらい執拗に、そして信じられるものを貪欲に求めようとする姿は、どの登場人物にも共通するのではないかと感じます。

その意味では、ボネリィ男爵も完全な悪者ではないと同様に、多くの民衆には力強く道を説くロッシィは自身の道に迷い、ローマに対しては人格を否定するような暴言を一度ならず吐いてしまう。それは幼少期から迷路に入り込んでしまったローマとて同様でしょう。

私たち自身に置き換えてみれば、完全無欠の人格者など存在するはずもないのと同時に完全な偽善者もありえない。一人の生命は善にも悪にも瞬間瞬間変化し続けている。その実態そのものが私達の人生そのものなのだと感じます。

「終曲 遠い先の後日譚」としてこの物語の一番最後に50年が経過した時代を登場させています。
そこにはキリスト教で説かれたユートピアを実現したキリスト教による世界連邦が運営されており、キリスト教会も君主国家もその権勢を失った様子が登場した老人によって語られます。

移ろいやすい人の生命であるからこそ、何のために、何を目指して自身の人生を貫いていくのかが最も重要な選択となる。
ホール・ケインは、それを信仰を基盤とした生き方に求めることを提示しようとしたとも考えられます。
また、実現するまであきらめずに行動し続ける大切さ、人を信じる大切さがあってこそ物事が成就するという考えも盛り込まれてもいるでしょう。
多くの人に、信じる意味を考える契機を与えてくれる、今を生きる私たちが学ぶべき多くのことを感じさせてくれる一書です。

【物語のプロットなど↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/025.htm

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コメント

 初めましてHATAさん、僕も今やっと「永遠の都」を読み終えました。この本について感想文を書こうと思ったのですが、なかなかまとまらなくて、探していたところ、このページに出会いました。
 深い洞察に感服いたします。LINKお許し下さい。

投稿: minami | 2009年5月17日 (日) 13時07分

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