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2006年8月20日 (日)

第17回桂冠塾『ロビンソン・クルーソー』

8月19日(土)に今月の桂冠塾を行ないました。
今回の本は『ロビンソン・クルーソー』(ダニエル・デフォー)です。
当日はデフォーの生涯、社会背景を概要確認した後に本編を学びあいました。

017 ロビンソン・クルーソーの物語はデフォーの思想を顕著に反映しています。それはデフォー自身が自分の考えを世に問うためにこの物語を著わしたことを明言していることからも明らかです。
時代背景は大きく「大航海時代から産業革命」「宗教革命」の2側面から見ていくことが必要でしょう。
物語としての大きな流れは
・経済的生活を組み上げていくロビンソン・クルーソー
・信仰人としてのロビンソン・クルーソー
の2つのストーリーが絡み合いながら構成されています。
一般的には1つ目の視点が取り上げられることが多いわけですが、当時のデフォーの言動や物語の全体像をみていくと2点目の信仰のあり方が最重要テーマとしているように感じられます。
当時もイギリスはキリスト教社会ですが、国教会を中心とした信仰のあり方に対して聖書を根本とする信仰のあり方を問うプロテスタンティズムが台頭していた時代でした。イギリスでは1642年にピューリタン革命も起きており、デフォーは父の時代からピューリタン(プロテスタント)の信仰を行なっています。

『ロビンソン・クルーソー』では「運命」という考えが随所に現れています。そこに描かれているのはキリスト教の説く運命論です。一言で言えば運命を決定づけるのは神であり、人は始めから決定している運命の中で穏やかにまじめに生きることがその使命であるとして、気が狂いそうになる状況も諦感によって避けて通り、孤島での生活をことなく終えることに成功します。
しかし果たして人生とは本来規定されているものなのでしょうか?私はそうは思いません。もし規定されているものであれば「より努力しよう」「もっと境涯を大きく、未来の子供達のために努力しよう」等々の思いをすべての人が持つことはありえなくなります。キリスト教的発想で言えばそうした思いも持つべき人は事前に決められているということになります。世界の歴史が証明するように、キリスト教徒は他宗教徒と戦争を繰り返してきたばかりか教派が違うキリスト教徒同士が戦争を続けてきました。先に述べた思想(選民思想)が根底にあることが争いの元凶といえるでしょう。

『ロビンソン・クルーソー』は小学生の課題図書にも取り上げられる作品ですが、多くの翻訳本では信仰者としてのロビンソン・クルーソーが描かれていません。宗教不在の現在日本の象徴であるとも感じました。

《当日の様子など》第17回桂冠塾実施内容

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