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2005年8月 8日 (月)

衆議院が解散

衆議院が解散した。
郵政民営化関連6法案が参議院で否決されたことによって小泉総理大臣が決断した。多くの国民が「えっ本当に解散したの?」という印象を受けたはずだ。その一方で「小泉さんだったら否決即解散だろうなぁ」というのも容易に想像できたことでもある。いい意味でも悪い意味でも自分がこうだと思い込んだら誰に何を言われようとも行動を変えることがない人である。

私は8月4日付で書いたとおり法案否決=衆議院解散という手法には賛成できない。解散に踏み切った小泉総理は多大な負担を国民にお願いしたのだという認識だけは持ち続けていただきたい。
そのうえで、8月30日公示9月11日投票日という選挙日程が確定した以上、私達一人一人は熟慮を重ねて投票行動を行うことが不可欠である。
衆議院選挙の投票は小選挙区と比例代表の二票が各人に付託される。

今回私達が表明すべき民意とは具体的には何か?
ひとつには郵政事業民営化の賛否である。
そしてそれだけではない。この審議を通して明らかになってきたことでもあるが「真に国政を託すことができるのは誰なのか」という点である。
この2点は言い換えれば「直面する政治課題」と「共鳴支持する理念哲学」とも言える。
このように書いてしまえば全くその通りなのだが、現実の問題としてはなかなか難しく感じられる。
それは
①自分が考える理念哲学と、直面する政治課題への対応の両方を満足させてくれる選択肢がない、矛盾している
②自分の思いと一致する候補がいない
ことが多々あるからである。

このうち①については自分内部の問題である割合が高く、熟慮に熟慮を重ねていくと実は矛盾していることは殆どないことに気づく場合が多い。哲学理念から突き詰めていくと多くの課題は必然的に一定の結論に達するのだ。有権者である私達が賢明になれば投票行動の基準はおのずから明確になってくるのだと私は思う。

難しいのは②のケースだ。上記①のような熟慮を重ねていない候補者、政党が少なからず存在するから候補者と政党自身が自己矛盾を起こしている場合があるし(このことが多大な混乱を招いている)、どうみても政治を託すに足りる候補が一人も出ていないという選挙区もある。
このような場合私達はどのように行動するべきなのだろうか。
私の結論は「次善の人を選ぶしかない」である。いわゆる消去法だ。
支持できる人がいないという理由で投票に行かないと、時として「この人だけは選ばれてほしくない」という候補者が当選することがあるのだ。誰でも身近で思い当たることが事例があるはずだ。近在の市長選や区長選、10年ほど前の東京都知事選でもそれが起こったことを記憶している人も多いに違いない。
そのうえで誰かが立候補するのを待つのではなく自分達の中から候補者を出していく努力を開始することだ。ここで重要なのは理念哲学であることは言うまでもない。今までの歴史においても数多くの人が民意を代表して政治の世界に打って出ている。その多くは直面する課題をテーマに公約を掲げて議員になっているが、その直面する課題以外の問題への対応はお粗末としかいいようがない方ばかりだ。これは本人の資質とかいう次元の問題ではなく哲学理念を持たない人が自分以外の多くの住民の代表(代議者)になることに無理があるのだ。

今回の衆院選挙は実に短期日程である。なおかつこれから週末から来週いっぱいにかけて夏休み、お盆休みの期間に入る。選挙を実施する方の苦労も多大であるが、有権者の側も政策や理念を検証する時間が限られている。
いつものことながらマスメディアはタレント議員の選挙活動や過激な発言をするテレビ受けのよい議員を出演させて対立軸ばかりをクローズアップさせるだろう。
私達は本質から離れたバラエティ的な意識を乗り越えて、限られた時間の中で「いま本当に政治を託すべき候補は誰なのか」を熟慮して投票行動を行なっていきたい。

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