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2005年7月30日 (土)

『ペスト』アルベール・カミュ 第4回桂冠塾

『ペスト』はアルベート・カミュの代表作です。
日本では『異邦人』が有名になっていますが、カミュは生涯にわたってのテーマと言われている不条理への探求を、『ペスト』の作品の中で描き込んでいるとみることができます。

◆物語のあらすじ

本作品は1947年に発表されました。
時代は第2次世界大戦終結後の混乱期。作品の舞台は194X年と記述されていますので、カミュはいま自分が生きている現実の社会でペスト感染の事件が起きたという想定で描いています。
アルジェリアの要港オランでペストが発生。都市封鎖が行われてからペストが終息するまでの約10ケ月間の物語です。
ストーリーは大きく
Ⅰ.医師ベルナール・リクーの回想
Ⅱ.旅行者タルーの手記〔手帳〕
から構成されています。

Ⅰ.医師ベルナール・リクーの回想

医師ベルナール・リクーの回想はオランの街でペストが最初に発見され、それが矮小化されて殆ど隠ぺいのような形で真実が知らされなかった初期の数日間が描かれます。
リクーは医師らしく、また歴史家らしく正確な事実のみの記述に努めようとしますが、感染症の拡大が外的なものから内的なものへと姿を変え、個人的と思われた病から社会的集団的な感染症だとの危機感が増していくにつれて、被害者の立場に寄り添う善意の証言者へと軸足を変えていきます。

Ⅱ.旅行者タルーの手記〔手帳〕

旅行者タルーの手記は、一貫して感染に苦しむ庶民の一人として描かれます。
そしてタルーの手帳には、タルー自身、老官吏のグラン、喘息病みの老人の3人の人生が語られています。
この3人の生き方は不条理に生きる人達の代表であり、カミュの思想を体現しているとも言えます。

カミュの考える「不条理」を一応の理解をしようとするためには西洋社会の根底に根付いてきたキリスト教思想との対峙で捉えることが必要かもしれません。もちろんのことですがカミュ自身が多くを語らずに若くして交通事故で突然の死を迎えてしまったため彼の真意はわかりません。
カミュは「目的や意味を見出すことができない世界であっても、また自分自身が生きていくことに納得することができないとしても、人は生きていくしかないのだ」と考えていたと思われます。

旅行者タルーは死刑執行を自分の目で見た衝撃から人生を不条理と考えるようになり、老官吏のグランは妻の家出を契機に、喘息病みの老人は老齢に達したことで人生は不条理であるとの思いに入ってしまいました。
彼らをはじめとして、この作品に描かれる人物群は不条理を抜け出した人達と、不条理のままに生きていく人達に二分されていきます。

◆不条理から抜け出す人達

ペストの感染を経験して生き方を変えた人達として以下の人物を確認しておきたいと思います。

①判事コトン
コトンは厳格な法の番人として生きてきましたが、愛する我が子の死によって愛の奉仕者に変わっていきました。

②司祭パルヌー神父
ペストの蔓延がわかった時、パルヌーは「ペストは神からの懲罰」「人々は改悛しなければならない」と説きましたが、救護活動に献身していた少年の死を目の当たりにして「ペストは人々の理解を超えたものである」との思いに変わり、全てを受け入れる道を選びました。

③新聞記者ランベール
ランベールは個人の幸福に執着し、オコンの町から脱出しようと何度も画策します。しかし時間を経るにつれて「いまこの町に自分がいることには何かの意味があるのではないか」と考えるようになり、「自分一人が幸福になろうとすることは恥ずべきことかもしれない」との思いに至ります。自己のみの幸福観から自他共の幸福境涯を目指す生き方への転換はこの物語の中でもっとも劇的といえるかもしれません。

④犯罪者コタール
ペストが蔓延することによって多くの人々がコタール自身と同様に苦しむ境涯に陥る姿をみて、コタールは今まで社会的に孤立していた自分が救われたように感じます。屈折した犯罪者心理でもあり、一部の犯罪者が抱える心の闇とも言えます。コタールの生き方の変化は前者3人とは異なり、従来の生き方が増幅されたとみることもできると思います。

これらの人達には、ペストの蔓延によって大きく生き方を変えたという意味で、人智を超えた不幸な出来事に直面してもそれらを自らの生き方の糧にしていく人間の強さを見ることができるのではないかと思います。

◆不条理のままに生きる人達

一方でコロナに直面し生死に関わる状況に追い込まれても生き方をほとんど変えない人達が描かれています。
リウー、タルー、グラン、喘息持ちの老人、高齢の医師カステルなどです。
人智をはるかに超えたコロナ蔓延という不条理を困惑し苦悩しながらも止むを得ないものとして受け入れて生きる人達。非力無力そのものでしかないわけですが、それゆえに強いのだとカミュは考えている節が感じられます。

この物語には生き方の教訓とか正解とかはないのだと思います。
神を信じ求めたパルヌー神父。
厳格な法の番人としての生き方から愛の奉仕者の道を歩み始めた判事コトン。
エゴイズムの塊だった新聞記者ランベールは自他共の幸福を求める聖人のように変わっていきました。
その一方で、以前と何も変わらず、しかし力強く目の前の日常を生きていく市井の人達がいました。
世界を滅亡させるかもしれない感染症の恐怖の中で周囲の人達との共感を感じる犯罪者コタールも。
神を求める人も、神を求めない人も、犯罪者も、善良なる庶民も、同じように自身の運命を受け入れて、眼前の出来事に全力で格闘していく。
ただ人生とは何かと悩み続けるカミュ自身の悶々とした思索の変遷を感じ取ることはできるのではないでしょうか。

カニュは『ペスト』の最後をこう締め括ります。

「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。」

もちろんペスト菌が家具や下着の中で何十年も生き続けることなどありません。
カミュの生存した時代であっても、そのような風説はなかったものと思われます。
この部分は明らかにペスト菌を何かに例えていると見るのが妥当でしょう。

突如としてあらわれる災難に直面した時、また日々の生活の中で一人で真摯な判断することを求められる場面に遭遇した時に、それが本当に突如なのかという因果も含めて、その本質を見極め、最も過ちのない対処をすることが私達にできるでしょうか。
物事の本質と正邪を見抜き、行動することの大切さを、今一度見つめ直す機会としていきたいと思います。

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