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2005年5月 5日 (木)

JR西日本福知山線脱線事故が問いかけるもの

4月25日(月)午前9時18分頃発生したJR西日本福知山線(宝塚線)脱線事故から早や10日が経とうとしている。なんとも言いようがない凄惨な事故だ。お亡くなりになった107名の皆様のご冥福を心からご祈念申し上げます。多くの負傷者の方々の全快をお祈り申し上げます。

事故の技術的な原因解明は事故調査委員会を中心に様々な関係者が誠意尽力されている。
国土交通省発表資料
朝日新聞・尼崎JR脱線事故
時間を追う毎に事故原因と思われる事態が次々と指摘されている。運転手の前駅でのオーバーランと遅れを取り戻すための大幅なスピード超過、過失の隠蔽、虚偽の報告、甘いブレーキの車種、軽量化された車輌台座、横からの衝撃を想定していなかった車輌構造、基準外であったために行なわれていなかった脱輪防止措置、予見に基づく置石原因説の発表、日勤訓練、沿線私鉄との過激な乗客獲得競争、ピーク時の定時遅延の常態化、過密ダイヤのしわ寄せ、秒単位での遅延調査の影響、具体策を欠いた現場への過大な改善要求、レールの歪みの疑い、カーブ進入角の適正の可否、蛇行動による横揺増幅、設置ATMの問題、被害者への対応、管理職の危機感の欠如、事故車輌乗車JR職員の現場立ち去り、事故当日に行なわれたボーリング大会と飲み会等々。複合的要因が縺れた糸のように絡み合って不幸にもしかし必然的に事故が発生したと思わせるほどだ。

JR西日本の対応も被害者、国民の感情を逆なでしている。自社の責任を過小に見ようとする意図が随所に露呈しており、事実確認に基づかない推測を会見で話すなど傲慢の極みだ。今どきこんな企業がまだ残っていたのかと思う反面、悲しいことだが日本中のどこにもある企業体質であることも間違いないだろう。
JRの企業責任や被害者補償を追及するのは当然のことであるし更なる被害者を出さないためには決して手を緩めてはならない。

しかしそれだけではなぜこの事故が発生したのかという根源的解決にはならない。大きな事故事件には必ずその予兆がある。これを見逃してはならない。
そしてそれだけではまだ片手落ちだ。何故いまこの場所で起きたのか?ということへの思索が更に重要だ。当事者となった方々だけの問題ではなく、私達一人一人に問いかけられている命題というべき問題だ。いま何かが忘れかけはじめていはいないか。生命尊厳という言葉を言葉だけで現実の生活のうえで具現化する努力に心を砕くことをしていないのではないか。

私の親しい友人が語っていた。「事故車輌から出勤した2名のJR社員のことが問題視されているが、会社員である私は同様の事故に遭遇しても死傷者の救出よりもこのJR社員と同じように出勤することを選んだと思う。」
そして大きく報道された内容を見て出勤よりも救援に尽力することが大切だと今なら思えるとも言っておられました。
このように一瞬の行動を決する私達の判断基準は実に脆弱である。その根本的原因は何だろうか。色々な言い方がされると思うが、私は自分自身の行動を判断する行動規範の欠如だと思う。欠如という言葉が言い過ぎであればその行動規範自体が本源的でないために思索が行なえなくなっているのではないか。より本質的には生命哲学の欠落が今回の事故として露呈したのではないかと私は思うのである。

JRの経営者達にあっても同様である。引責辞任で責任ととるとか直接の責任者を処罰すると同時に、人の心の底に巣食う無明ともいうべき不確かな哲学不在の暗雲を払っていく努力を具体的な形で社員教育と企業理念の具現化を図っていくことが求められている。
乗客サービスという言葉が自走し始めて安全の限界を超えようとしたらその危険性を見抜くにはやはり哲学が必要だ。哲学がないと個々の対応マニュアルを作ろうとする。しかし現場は百人百様であり千差万別だ。対応マニュアルに載せられるのはほんの一部に過ぎない。結局そのマニュアルに載っていないことは判断ができないという人間を作ってきたのが現代社会の実態である。
そして私達は社会の全ての場面で同じ状況に追い込まれている。

現場にいち早く駆けつけた事故現場周辺の住民の皆様の献身的な行動が被害の拡大を大きく防いだ。多くの方が阪神淡路大震災を経験した被災者やその関係者だ。私達は心から賞賛の声を送るとともに私達自身もそうありたいと心から願うものである。

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